第2話
翌日、大将軍の位まで登りつめた董卓は、洛陽に集まった諸侯を大広間に集めて会議を開いた。そこには、名の知れた諸侯も含め、数百もの要人がズラリと勢揃いしたのだった。それは、彼の権威が如何なるものであったかを大いに物語っている。
「諸侯の方々よ…よくぞ、遠路より集まってくれた。まずは、そのお礼を申し上げよう」
董卓は、悠然とした態度で諸侯の顔ぶれを見渡した。それに対して、一同が緊張した面持ちで見つめ返すと、
「本日、集まって頂いたのは他でもない。ある重大なことを、皆で話し合おうと思ったからじゃ」
彼は、そう話を切り出した。すると、丁原は、
「重大なことですと」
怪訝そうな顔をした。
「わしが、この城に入城した時は、すでに霊帝はなく、少帝が即位をされていた。わしは、その少帝を近くで見ていたのだが、どうも帝としての器があるようには思えなくてのう」
董卓が、そう言いかけると、
「わしには、そうは思えませんが」
丁原は、ふいに眉をひそめた。その声に、彼はピクリと眉を動かしたが、さらりと流して続けた。
「それに対して、陳留王様は、幼少ながら聡明であり、とてもしっかりされておられる。わしは、陳留王様こそ帝としてふさわしいと思うのだ」
「一体、何をおっしゃりたいのですか」
丁原は、表情を厳しくさせた。
「ならば、率直に述べよう。少帝を廃して、陳留王を擁立するべきだと…わしは、皆に提案する」
「異議あり」
董卓の言い分に、彼はふいに声を発した。
「即位されて間もないのに、器があるかないかなどを見極められるものではない。それに、臣下の身でありながら、勝手に帝の去就を決めるなど言語道断である」
しかし、董卓は、その発言に対して、
「この混乱した世を、秩序ある世にするためには、優れたトップが必要である。今は、一刻を争う時…のんびり構えていれば、それだけ民草が苦しむことになろう」
低く笑った。すると、丁原は毅然とした態度で反論した。
「わしは、少帝が愚か者だとは思わん。大将軍よ…さては、幼い陳留王様を担ぎあげて傀儡化し、自分の思い通りに国を動かそうとしているのではないのか」
「何を申すか…貴様」
董卓は、ふいに怒鳴り声をあげた。と、その時、彼の横で控えていた腹心の李儒が割って入ってきた。この男は、彼から絶大な信頼を受けている当代随一の知謀の士であった。
「大将軍様…丁原は、自分の意見を述べたまでですぞ。他の諸侯の意見も聞いてみられた方がよろしいかと」
李儒は、そう助言をして董卓をなだめると、
「うむ。そうであったのう」
彼は、少し心を落ち着けてから、
「それでは、皆の者…他に意見はあるか」
確認した。すると、他の諸侯たちは、我が身の可愛さのためか、董卓の提案に賛成する意見を口々に申し始めた。さらに、その中には保身ではなく、事前の根回しによって彼らに買収された者も数多くいたので、その場はたちまち異口同音の大合唱と化したのだった。次々と飛び込んでくる諸侯の声を聞いて、
「何と言うことだ」
丁原は、次第に顔を青白くさせた。その様子を見た李儒は、
「残念だったのう、丁原どの」
思わずニヤリと笑った。すると、丁原は、
「この世には、もう忠臣はいなくなってしまったと言うのか」
愕然とした。そして、一通りの意見を聞いた董卓は、
「わはははは…どうやら、陳留王様の擁立に賛成の者が多いようじゃのう。では、皆の意見を踏まえて、少帝を廃することにしよう」
決断を下したのだった。それを受けた諸侯たちは、唖然とする丁原に目もくれることなく、一斉に頭を下げたのであった。
会議が終了し、諸侯がぞろぞろと退席した後、静まり返った大広間で、李儒は董卓に話しかけた。
「うまくいきましたね」
その言葉に、董卓は、
「いや…わしの意見に反対をした丁原は、恐らく黙ってはいないだろうな。それに、少帝もそう簡単には引き下がるまい」
と、眉を吊り上げてから、
「丁原を殺せ。そして、少帝も同様だ」
彼に視線を送った。すると、李儒は、ふいに顔をしかめた。
「恐れながら、大将軍様…そう簡単に、丁原を殺害することはできますまい。本日、彼の横で控えていた男をご存知ですか」
「呂布のことか。確かに、厄介だな」
董卓は、眉間にしわを寄せ、
「何か、よい策はないか。奴さえ居なければ、丁原を殺すことなどたわいもないはずだ」
そう問いかけた。それに対して、李儒はしばらく沈黙し、考えを巡らせたのだった。と、突然、彼の頭の中で、何かが浮かんだ。
「そう言えば、それがしの部下から聞いた話なのですが、丁原が皇帝に謁見した際に、その場にいた陳留王が呂布と狩りに行く約束をしたそうです。彼に狩りへ出て頂くようお願い申し上げ、呂布を丁原から引き離しましょう。そうすれば、少帝と陳留王も別々となりますので、両者をたやすく無きものにできるはずです」
李儒の言葉に、董卓の目が光った。
「ふっふっふ…そう言うことか。よし、速やかに取り計らえ」
「かしこまりました」
李儒は、そう発して頭を下げ、退出したのであった。
その頃、幕舎に戻った丁原は、大いに憤慨していた。
「大将軍にせよ、諸侯にせよ、何と言うザマだ。あれが、漢の臣下たる態度か。もう世も末だ」
その愚痴に、呂布は、
「私もあきれて物が言えませんでした。世の中は、ここまで腐っていたのですね」
同感した。
「しかし…何とかしないと、少帝は帝位を追われ、奴に逆らえる者が本当にいなくなってしまうな」
丁原が、そう言いかけた時、ふいに高順が幕舎の中に入ってきたのであった。
「殿…陳留王様が、お見えになられましたぞ」
「な、なんと…陳留王様だと。すぐに、お通しせよ」
彼は、そう命じると、すみやかに陳留王を幕舎に迎えた。
「約束通り、参ったぞ。さあ、狩りに行こうではないか」
陳留王の明るい言葉に、呂布は、
「陳留王様…大変申し訳ないのですが、今日はそんな気分になれませぬ。どうかお引き取りを願えぬでしょうか」
申し訳なさそうに暗い顔をした。と、その時、ふいに丁原は反発した。
「呂布…男の約束だ。陳留王様のお供をいたせ」
「ち、父上…」
その発言に、彼は思わず戸惑った。
「わしのことなら、もう大丈夫だ。さっき、散々愚痴を吐いたから、少しは腹の虫も治まったと言うものだ」
丁原が、そう言って穏やかに笑うと、陳留王は、
「ほら、丁原も良いと言っておるではないか」
あふれんばかりに、屈託のない笑顔を見せた。だが、それに対して、呂布が困惑していたため、ついに、
「陳留王様に対して無礼だぞ。さっさと支度をしろ」
丁原は、途端に大声を張り上げて、彼を叱り飛ばしたのだった。しかし、すぐにその乱れを整え、今度は威厳のある笑顔を見せると、
(まだまだ、親父には、かなわないな…)
呂布は、小さくため息をついて観念した。そして、
「はっ、ははあ…かしこまりました」
深々と頭を下げたのだった。こうして、陳留王に押し切られた呂布は、彼とそのお供たちと一緒に狩りへ出かけたのであった。と、その様子を、陰からじっと見つめる者がいた。
「ふっ…うまくいったな」
李儒は、低く笑いながら、目を光らせたのだった。