第25話
しかし、彼らには、さらなる受難が降りかかってきたのだった。
「南陽の張繍どのから、使者が参っただと」
その報告を聞いて呂布は、腕組みをした。張繍なる人物は、元々は李傕の配下だったが、長安の暴政に幻滅し、一族を引き連れて脱出を図ったのだった。その際に、追手からの攻撃を受け、叔父の張済を失いながらも荊州の地へたどり着いたのであった。その後、彼は、荊州の長官である劉表の命を受け、周辺の賊退治に奔走し、その功績が認められて、荊州北部に位置する南陽の太守に任命されたのである。
「はて…劉表の子分に当たる彼が、何故に使者を送ってきたのだろう」
思い当たるふしは、見つからなかったが、
「ともかく、会われてはどうですか…賈詡と申される大層なべっぴんさんですぞ」
部下が、そう話すと、
「何…その使者は、女性なのか」
「はい」
「ふむ…一応、会ってみるとするか」
腑に落ちないまま、呂布は客間へと移動したのであった。
「賈詡どのが、お見えになりました」
「うむ。入ってもらえ」
呂布が、そう答えると、
「失礼致します」
使者は、そう申して、部屋の中にしずしずと入ってきた。と、その美しい女性を見た呂布は、思わず仰天した。
「ちょ、貂蝉どの…」
「お久しぶりにございます」
賈詡は、そう言うと、
「貂蝉は、今は亡き養父・王允に付けられた名にございます。養父と出会う前の本当の名は、賈詡と申しますので、旧名に戻した次第です」
続けて説明をした。
「左様でござりましたか…しかし、何故に張繍の配下となられたのですか」
動転する彼が、彼女に聞き返すと、
「養父・王允と大将軍が亡くなられた後、私は元の名である賈詡に戻し、我が主君の叔父である張済と再婚を致しました。その縁で、今に至っているのでございます」
さらに経緯を語ったのだった。夫・張済を失い、賈詡は再び未亡人となったが、知略に優れた彼女の才を惜しんだ張繍は、参謀の職を彼女に与えて厚遇したのである。
「いやはや、これは、本当にたまげました。しかし、ご健在であられて、至極嬉しく思いますぞ」
彼は、大きく笑うと、
「呂布様もお変わりないようで、よろしゅうございます」
彼女も久々の再会に、機嫌よく笑顔を見せた。
「ところで、この洛陽に来られたのは、どのようなご用件で」
「我が所領の近辺に、穣と言う地があり、そこには古城があります。そこに、禰衡と言う輩が、兵を集めて立て籠ったので、劉表様の命を受けた我が主君が、彼らを討伐しようとしたのですが、逆に返り討ちに遭ってしまいました」
それを聞いた彼は、
「それゆえ、我が軍へその賊の討伐の要請に来たと言うのか。その前に、荊州の長官である劉表に相談するべきなのでは」
さらりと、そう返した。ちなみに、禰衡と言う人物は、推挙されて曹操に仕えたが、素行が悪く、たびたび暴言を繰り返したため、彼の怒りを買い、罷免された男であった。その後、劉表のもとへ走り、士官したのだが、ここでも彼は、その悪い癖をふんだんに発揮したことで、再び解雇されたのだった。そんな経緯があって、路頭に迷った彼は、大いに恨み、今回の犯行に及んだのである。
「今回の賊は、特異なため、劉表様も頭を悩ましておられます。ゆえに、洛陽より討伐軍を出して欲しいと、長官も願っております」
「特異とは…」
「はい。禰衡は、様々な妖術を使うため、まともに戦うことができないからです」
「何…妖術だと?」
彼は、眉をぴくりと動かし、
「風を呼び起こしたり、耳障りな不快音を出したり、幻を呼び起こして人心を惑わせたりと、奇妙な現象を起こす奇術のことか」
「いえ、彼の妖術は、その程度ではありません。口から炎を吐いたり、雷雲を呼んでいかずちを落としたり、死人を蘇らせることまでできるのです」
「むむ…もはや人ではなく、悪魔か怪物の類と言ってよいかもしれん」
顎をしゃくった。
「私は、呂布様の人知を超えた武勇を良く存じております。あなた様であれば、さすがの妖術使いも退治できるのではないかと思っております」
「しかし、相手は、人ではなく化け物だからな…」
「旧知の仲のよしみもあります。是非とも、お願いしたく存じます」
「そうは言っても…」
彼が、そう渋っていると、彼女は、途端に泣き叫び出した。
「ああ、王允様…あなたが逝かれてから、彼はとても冷たくなりました。あなたの大切な娘をじゃけんにするのですよ。なんと言う冷酷、なんたる仕打ち!」
「ここに至って、泣き落としかよ…いくら何でも、それはあんまりだ!」
傍若無人な賈詡の振る舞いに、呂布は思わず頭を抱えたのであった。
「理不尽ではあるが、ここで断っては、今は亡き王允様に申し訳が立たぬ」
呂布から今回の一件を聞いた高順たちは、一斉に深くため息をついた。
「まったく、なんとワガママな女だ。国家の軍隊を何だと思っていやがる」
張遼は、そう言い放つと、
「劉表も劉表だ…皇室の血筋のくせに、我ら陛下の官軍に負担をかけるとは」
怒りの頂点に達した。
「仕方がないのだ。事が決まった以上は、やるしかない」
「殿は、人が良すぎる…少しは、がつんと言わなければ、ならないこともあるであろう」
「まあ、まあ…張遼どの。抑えて、抑えて」
高順が、そう彼をたしなめると、
「その妖術使いが、そのうちに力をつけると、国家を揺るがすぐらいの大悪党になるやもしれん…今のうちに、叩いておく方が得策とも考えられると言うものだ」
と、話し、呂布が、こう続けた。
「今回の件は、陛下にもご相談した。陛下も、皇室につながる劉表様や王允様の娘の頼みとあれば、それに応えてやるべきだと申されたのだ」
「むむ…陛下が、そう言われたのか」
その話に、張遼は、ついに沈黙してしまった。
「しかし、相手は妖怪…どうやって、退治すればよいやら」
呂布が頭を抱えると、
「殿…こう言った類の怪人たちは、邪教を信仰することで、それらの術が扱えるようになると聞きます。ここは、厳仏調どのに相談なされては、如何でしょう」
高順が、そう助言し、
「なるほど…何か、打開策が見つかるかもしれん」
彼らは、急いで厳仏調のもとへ駆け込んだのであった。
こうして、町の一角にある寺にたどり着いた呂布たちは、すぐさま門弟たちと話をつけ、その寺の住職との面会を取り付けたのであった。
「また急に、どうなされたのですか…呂布どの」
唐突な来訪を受けた厳仏調は、首をかしげながら応対し、その訳を伺った。すると、その話に、
「まことにけしからぬ輩がいるものですな」
短く答えると、閉じていた目を静かに開き、
「わかりました…私が討伐軍に同行し、その邪教の徒が用いる妖術をことごとくうち破ってさしあげましょう」
と、頷いた。
「かたじけない、厳仏調どの…感謝致します」
呂布は、そう礼を述べると、
「よし…すぐに兵をまとめて、穣城へ向かうぞ」
軍勢を率いて、禰衡の立て籠もる古城へと向かったのだった。
そして、洛陽の軍勢は、小高い丘にそびえる穣城の麓にたどり着いた。
「皆の者…不逞の輩、禰衡を倒し、国難の芽を摘み取ってくれようぞ。全軍、出撃」
呂布の号令のもと、洛陽の軍勢が、一斉にその荒れ果てた丘を登り始めると、
「くっくっく…我が妖術の前に、お前らのような小勢など、簡単に捻り潰してやろう。者ども、かかれ!」
城門の前で陣取っていた禰衡は、自らの手勢に合図をして、それを彼らへ差し向けたのであった。
「うん?」
その軍勢を見た呂布軍の兵士たちは、異様な気配を察知した。そして、次の瞬間、兵士たちは、思わず絶叫した。
「ひ、ひい…骸骨だ。骸骨が鎧をまとって、襲いかかってくる!」
たちまち、呂布軍の兵士たちは恐怖に憑りつかれて、逃走を始めた。なんと、禰衡は、死人を蘇らせて、自軍の兵としていたのだ。
「逃げるな…相手が誰であろうとも、戦うのが軍人だぞ」
呂布は、必死になって、逃げる兵士たちを止めようとしたが、この異常事態に、さすがの勇敢な彼らも完全に我を忘れてしまった。
「わははは…滑稽よのう。片腹が痛いわい」
その様子に、禰衡は、大きく笑った。と、その時、
「一度、死んだ人間に殺されてたまるか」
ただ一人、李封が、骸骨兵に立ち向かい、
「どすこーい!」
と、掌底をかまして、それを粉砕し、
「ごっつあんです」
太鼓腹を叩いて、睨みを利かせた。と、同時に、
「成仏しやがれ!」
薛蘭が、骸骨兵を一刀両断にした。そして、
「それがしも続くぞ」
「ああ…お前らだけ、格好をつけさせないぜ」
高順と張遼が、当たると幸いに、骸骨兵たちを微塵にしていったのであった。
「彼らを見ろ…我らの誇る武勇を、今一度思い出し、立ち向かうのだ」
呂布は、そう大きく発すると、彼らに勇気づけられた兵士たちは、逃げるのを止めて、反撃を開始したのだった。
「ちっ…恐れを振り払いおったか。ならば、いかずちを落として、焼き殺してやる」
禰衡は、そう言い放つと、天に杖をかざして雷雲を呼び寄せた。
「死ねえ…俗世をむさぼる愚人どもめ」
彼の目が赤く光った瞬間、雷雲は大きな音を響かせて、立て続けにいかずちを落としてきたのだった。その攻撃に、呂布軍の兵士たちは、みるみるうちに焼き殺されていったのであった。
「ぬう…おのれ!」
その人知を超えた攻撃に呂布が、そういきり立つと、横で控えていた厳仏調は、
「結局、骸骨たちは禰衡に操られている傀儡ですので、あの妖術使いを倒せば、この戦いは終わります。あと少しで、我が軍によって骸骨兵たちの防波堤が瓦解しますので、私は、その隙をついて奴へ近づき、制裁を加えたいと思います」
自らの考えを述べた。それを耳にして、
「承知した…ならば、突破口を開くゆえ、拙者の背後から付いて来てくれ」
彼が答えると、二人は、手薄なところを狙って突撃を開始した。そして、
「この呂布の刃を受けてみよ」
荒れ狂う呂布の攻撃に、骸骨兵たちは成す術もなく砕け散ると、そこから禰衡へ近づくための道が開けたのであった。そのチャンスに、
「今だ!」
厳仏調は、馬の腹を思い切り蹴り、彼を目掛けて一直線に走り抜けた。
「仏となった者を弄ぶなど言語道断…貴様だけは、断じて許さん」
「生意気な…紅蓮の炎で、焼き殺してやる」
禰衡が、大きく息を吸い込んで口から炎を吐き出すと、
「御仏のご加護を、我に与えたまえ」
厳仏調は、そう言い放って、前方に大きく手をかざした。そして、彼の吐き出した炎をしっかりとその両手で受け止め、
「はあ!」
そのままそっくり、はね返したのだった。すると、
「ぎゃあああ!」
その炎は、逆に禰衡の身を包みこみ、彼をことごとく焼き尽くしたのであった。
「おお…雷雲が晴れ、骸骨たちが土に帰っていく」
彼の死によって、彼に操られていた雷雲は、おもむろに去って行き、骸骨たちは、ぴたりと動きを止め、瞬く間に溶けて無くなってしまった。
「やったぞ…我らの勝利だ」
呂布は、高々と方天画戟を天に掲げて、勝ち鬨をあげた。こうして、彼らは、禰衡の野望を打ち砕き、賈詡の依頼を達成したのであった。
それから、数か月後のこと…
「おお…だいぶ元通りになってきたのう」
「はい。あと、もう少しですな」
呂布と献帝は、急ピッチで行われる宮殿の復旧具合を眺めながら話をしていた。
「しかし、義に厚く、朕に忠誠を誓う有力者・張邈は、まだ到着しないのか」
献帝が、そう心配をすると、
「はい。書簡は送っておりますので、もうじき兵を率いてやって来るのではないかと思います」
呂布は、自信を持って言った。と、その時、彼らのもとに、諜報活動をしていた魏越が戻ってきたのだった。
「一大事です…張邈軍は、曹操軍によって滅ぼされたとのことです」
「な、何っ!」
呂布は、思わず大声を上げた。
「どう言うことだ。詳しく説明してくれ…」
「はい。張邈様は、呂布様と共に初戦を勝利で飾った後、路頭に迷った曹操軍を一気に片付けようと、昌邑から軍勢を率いて出陣したそうです。しかし、曹操軍は劣勢に怯むことなく果敢に抵抗し、激しい乱戦となりました。そして、その激戦の末、曹操軍が逆に勝利してしまったのです。そこで、張邈様は、体制を整えるため、昌邑へ引き上げようとしましたが、そこに住む有力者たちが曹操と内通し、城門を閉じて矢で応戦しため、張邈様は来た道を戻らざるをえなくなりました。そこを、すかさず曹操軍に攻撃され、張邈様は戦死したのです」
魏越の話を聞いた彼は、がっくりと膝から崩れた。
「なんと言うことだ。張邈様が、死んでしまうとは」
呂布は、大粒の涙を流して泣いたのだった。しかし、彼らには、泣いている暇などはなかった。その後、勢いに乗った曹操は、彼らが不在の間に周辺諸国を次々と攻略し、着実に一大勢力を築いていったからである。




