第21話
李傕の号令を受けた彼の部隊は、呂布たちを取り囲み、一斉に攻撃を仕掛けてきた。
「ぬうう…おのれっ!」
それに対して、呂布は、立ち向かって来る兵士を次から次へと斬り刻んでいった。
「お前も目障りな存在だから、当然死刑だな」
李傕は、不気味に笑いながら、黄琬に詰め寄ると、
「死ねえ…この老いぼれめ」
「ぐはあ!」
容赦なく斬りつけ、彼を亡き者にしてしまったのだった。それを目撃した呂布は、
「くそ…黄琬様」
彼を守ることができなかったことに、激しい怒りを感じた。と、その時、郭汜が大声をあげた。
「呂布…俺と勝負しろ」
「こしゃくな!」
呂布は、いきり立って、郭汜に襲いかかった。すると、彼は、
「俺の剣の腕を甘くみるなよ」
その攻撃を受け流して、すかさず反撃した。だが、呂布は、
「おっと!」
声を発して、そのするどい攻撃を受け止めたのだった。
「やるな…さすが、鬼郭汜の異名は伊達ではないな」
そして、二人の斬り合いは激しさを増し、延々と続いたのであった。と、その時、ふいに高順が声をあげた。
「殿…味方の兵が、次から次へと討ち取られ、総崩れとなっております。もはや、防ぎようがございません」
「むう…多勢に無勢か。かくなる上は、血路を開いて突破するぞ」
呂布は、そう発すると、手のひらを返したかのように隙をついて、郭汜の前から遠ざかった。
「待て…まだ、勝負がついておらんぞ」
と、ふいに、徐栄が立ちはだかったのだった。
「この徐栄が、代わりにお相手をしよう」
「邪魔だてをするな」
そして、二人は、激しい斬り合いとなった。だが、鬼郭汜の異名を持つ彼の太刀筋は、生易しい物ではなかった。
「うりゃあ!」
「ぐわあ!」
郭汜の変幻自在の攻撃に、ついに徐栄は敗れ去った。だが、その後、迫り来る兵士たちに阻まれてしまった彼は、とうとう呂布を見失ってしまったのであった。そして、そうこうしている間に、呂布たちが、攻撃の目標を1点に集中させ、強引に包囲網を突破したのだった。
「皆の者…力のある限り、逃げろ」
こうして、彼らは、長安の街の中を散り散りバラバラとなっていった。
「あいつだけは、ここへ置いていくわけにはいかん」
呂布は、そうこぼすと、迷うことなく自らの屋敷へ走った。そして、そこで赤兎馬を目にすると、すばやくそれにまたがった。
「すまんな…また、汜水関の時のような大脱走をするぞ。こんな間抜けな俺だが、しっかりついて来てくれ」
そう言って、たてがみをなでると、
「陛下…」
献帝のいる宮廷の方角を凝視し、
「生きていれば、またどこかで会えましょう」
そう言い残すと、後ろめたさを感じながら愛馬の腹を蹴ったのだった。
その後、呂布は城門を守る兵士たちを蹴散らしながら、命からがら長安を脱出した。
「みんな…無事でいてくれよ」
そう口にして、仲間の身を案じながら疾走していると、少し離れたある場所で、高順と張遼、そして数名の者たちがたむろをしている光景を目撃したのであった。
「高順!」
呂布は、大声を発して、彼の名を呼んだ。その声を聞いた高順は、すぐに振り向いて満面の笑顔を見せた。
「殿…ご無事でしたか」
「うむ。遅くなって、すまなかったな。こいつだけは、どうしても共に連れて行きたかったのでな」
彼らと合流した呂布は、そう言って、赤兎馬の頭をなでた。と、その時、彼らと一緒に逃げてきた薛蘭が、
「呂布どの…それがしは、上司である徐栄様を失い、帰る場所がありません。これからは、あなた様と一緒に行動を共にしても宜しいですか」
おもむろに尋ねた。すると、呂布は、
「なんと…今やお尋ね者となった俺について行くと言うのか」
そう返して、眉をひそめたが、
「呂布どのは、陛下を心の底から慕い、この国の将来を真剣に案じておられます。それがしは、あなた様が、この腐りきった世を正してくださる指導者であると信じております。そのような御仁にお仕えできるのであれば、本望であること以外に何もございません」
彼は、迷うことなく、声を大にして公言したのだった。それを聞いた呂布は、
「そこまで俺を高く買ってくれるとは、これほど嬉しいことはない」
と、言うと、
「こちらこそ、よろしくな。力を合わせて、共にこの国のためにがんばろう」
口角をあげ、力強く彼と握手を交わしたのであった。と、それを見ていた張遼が、小さくため息をつき、
「じゃあ、そろそろ出発しようぜ…ここに居たら、そのうちに追手が来るだろうからな」
ボリボリと頭をかくと、
「しかし、そうは言っても行く当てがない。どうしたものか」
すぐに呂布は、顔をしかめた。しかし、それとは対照的に彼が、
「俺に心当たりがあるぜ…少々、長旅になるけどな」
と、にんまりと答えると、
「おお…それは、どこだ」
呂布は、目を輝かせ、
「陳留に張邈と言う御仁が居て、以前世話になったことがある。その時に、とても気が合ったので、今でも親友なんだ。今回は、その奴のところで厄介になろうと思っている」
その興味深い話に、
「そうだったのか。ならば、その張邈どのに、俺もかくまってくれるよう頼んでくれるか」
「お安いご用だぜ」
破顔したのだった。
「よし…ならば、決まりだな。我らは、これより陳留へ向かうとしよう」
こうして、呂布たちは張遼の知り合いである張邈の住む陳留を目指して、旅立っていったのであった。
時は流れた…
曹操は反董卓連合軍解散後、董卓軍の残党が根城とする酸棗の地を攻め、胡軫・趙岑と名乗る武将らを自軍に加えると、陳留に近接する定陶、昌邑の地を攻略し、着実に領土を広げていった。もはや後漢には、諸侯を抑えつけるだけの力は既になく、彼らはこぞって国家を転覆させ、我こそが帝にならんと水面下で覇権争いを始めていたのだった。そんな状況の中、難を逃れた呂布たちは、曹操の部下として陳留太守に任ぜられた張邈のもとで客将となり、ひっそりと身を潜めていたのであった。
「木彫りの金人様の数もだいぶ増えましたな」
一心不乱に彫り続ける呂布に、高順は、そう声をかけた。
「うむ。今までにたくさんの者が死んでいったからな」
彼は、そう言うと、
「親父の分に、王允様の分。黄琬様に、徐栄どの、伍瓊、周毖…それに、大将軍様の分だ」
「大将軍様の分も彫られておられますのか」
「死んでしまえば、みな仏だ。いつまでも、恨んでいてもしょうがあるまい」
優しい顔をして、その金人たちを眺めた。
「また、今日もお寺までお努めにいかれるとか」
「ああ…しっかり供養してやろうと思っている。中には、一家皆殺しに遭った民たちもいるのだ。せめて、生き残った者が、供養してあげないとな」
高順の問いかけに、呂布は、そう答えると、
「それに、陛下の身に何かがあるといかん…いつまでも健全であられるよう、祈り続けなければ」
と、続けた。
「そうですな…今頃、陛下は、どうされておられますかな」
「うむ。ここへ来て、もう何年も経つからな」
彼が、そう漏らすと、高順は、
「殿…ならば、陛下へ文でも書いたらどうでしょうか」
そう助言した。すると、呂布は、
「うむ、そうだな」
大きく頷くとすぐさま机に向かい、手紙をしたためた。そして、筆をおくと、
「よし、書けたぞ。魏越はおるか」
「はい。ここにおります」
最近、諜報活動のために雇った魏越を呼んだ。彼は、とても足が速く、俊敏に動くので、韋駄天の魏越と呼ばれ、呂布に重宝された。この時、彼はまだ、ただの諜報員だが、後に一軍を率いる将に抜擢される。
「少し長旅になるが、この手紙を長安にいる陛下へ渡してきてくれぬか」
「承知しました」
魏越は、お辞儀をすると、煙の如く消えていったのであった。
そして、呂布の手紙を携えた魏越は、巧妙に人の目を欺きながら宮廷に潜入し、献帝へ手紙を渡すことに成功したのであった。
「おお…これは、呂布からの手紙…そうか、お主はまだ生きておったか」
献帝は、穏やかな表情で笑いながら、その文を読んだ。そして、手紙を読み終わった彼は、思わず天を仰いだ。
「呂布よ…お前が、羨ましいぞ。朕は、長安にて籠の中の鳥じゃ。毎日が、生きた心地がせぬ。朕も長安を脱出して、住みなれた洛陽に戻りたいものじゃ」
長安を李傕に占拠されて以来、彼は宮中にて監禁状態となっていた。それに加え、董卓や王允がいなくなり、目の上のタンコブがなくなった李傕は暴君と化し、我が物顔に暴政を始めたのであった。
「今の漢は、政権が董卓から李傕へ移っただけで、内容は一つも変わっていない…もはや精も根も尽き果てたわい」
そのため、献帝は目の前にある現実に絶望し、ますます故郷への思いが強くなっていたのだ。そして、
「焼け野原でも良い。朕は、洛陽が恋しいぞ」
思案の末、呂布に対して返書を送ることにしたのであった。
その後、魏越は、献帝の文を携えて、風の如く舞い戻ってきたのだった。呂布は、その手紙を喜んで受け取り、すぐに読み始めた。すると、そこには、献帝の苦悩に満ちた思いが滔々と綴られていたのであった。
「なんと…陛下は、かような辛い目に遭われておられたのか。おいたわしい」
呂布は、悲しい顔をして、さらに手紙の中身を読んでいった。
「そうですか…陛下は、故郷に帰りたいのですか」
彼は、手紙を机に置いて、窓の外をじっと見た。
「わかりました。では、お望み通り、拙者が陛下の長安脱出のお手伝いをしましょう」
彼は、そう心に決め、再び文を書いた。そして、また魏越を呼び、献帝へ渡すよう指示したのであった。
密書を携えた魏越は、再び陳留を発ち、その優秀な脚力と忍びの技を駆使して、鮮やかに長安の宮廷へ潜入した。こうして、その手紙が何の支障もなく献帝へと渡ると、
「そうか…朕の長安脱出の手引きをしてくれるのか。ありがたいことじゃ」
彼は、その文を読んで涙を流すと、
「よし…朕の腹は決まったぞ。奸臣・李傕と対抗するため、洛陽にて新たな礎を築いてみせよう」
と、言って、その目に精気を蘇えらせた。そして、
「そなたと再び会えるのじゃな。待っておるぞ、呂布」
呂布と再会できることを大いに喜んだのだった。