第20話
そして、数日後、董卓のもとにある物が届いた。
「何、あの呂布を斬って、首を持ってきただと」
彼は、目を丸くして李傕を見た。
「はい…やはり、大将軍様のお命を狙っていた首謀者は呂布でありました。それゆえ、我が剣にて斬り捨てました。是非、大将軍様にご確認して頂きたく、お持ちしました」
彼は、そう言って、持って来た筒の蓋を取った。
「おお…まさしく、呂布の首じゃ」
董卓は、その首を見て満面の笑顔となった。すると、傍にいた李儒は、
「むう…拙者には、少し変な感じがしますが」
首をかしげた。
「死体の首など、少し時間が経てば変形もしよう。でかしたぞ、李傕…これで、わしはようやく枕を高くして眠れるわい。わはははは…」
「お誉めの言葉を頂き、ありがたき幸せにございます」
上機嫌で董卓に誉められた李傕は、そう言って深く礼をしたのであった。
その後、献帝は、呂布の死を悼むべく、例を見ないような盛大な葬式を行った。
「呂布よ…何故、朕の言うことを聞かず、かような暴挙に踏み切ったのだ。無念の極み、この上もない。朕は、とてもくやしゅうてならぬ」
彼は、首を失った棺にしがみつくと、
「天は、我を見捨てたもうた…朕は、最愛なる大切な友を失った」
割れんばかりに号泣したのであった。すると、
「呂布どのは、まさに国家の至宝…まことに残念でございます」
王允も続けて、苦悩の表情を浮かべた。それを受け、
「殿を失った我らには、もはや武人として生きる道はございません。我らは、本日をもって親衛隊を辞し、田舎へ帰ろうと思います」
高順は、涙ながらこぼし、
「呂布どの…短い間でしたが、数々のご指導を頂き、ありがとうございました」
張遼が静かに頭を垂れたのだった。こうして、高順と張遼ら呂布一派は、忽然と姿を消したのであった。その知らせを聞いた董卓は、天を突くような笑い声をあげた。
「わしに逆らうから、そのようなことになるのだ。これで、陛下も少しは考え方が変わるであろう」
それを傍で聞いていた貂蝉は、すぐに不快な顔をした。
「大将軍様…あなたは、どこまで愚かな人なのですか。呂布様の武勇があればこそ、諸侯に睨みが利かせ、国家を安泰に保てるのですぞ」
その反論に、彼は表情を険しくさせ、
「馬鹿なことを申すな…あの若僧の力など借りなくとも、わしの力だけで十分じゃ。わしこそが、この大地を支配し、天下万民が崇める神たる者なのだからな」
不敵な笑みを浮かべた。その言葉に、
「李儒様たちの力が無くともですか」
彼女は震えながら口にすると、
「所詮、奴はわしの道具よ…わしが居るからこそ、その才能が発揮できると言うものじゃ。わしに重用されなかったら、弁舌の立つただの一書生よ」
彼は、はばかりなく言い放ったのだった。
「なんと可哀相な人…一人の力が、どれだけ儚きことかを、あなたには理解できていない…いえ、あなたの持つ強大な権力が、あなたの目を曇らせてしまったのかも知れません」
「黙れ…それ以上申すと、例えお前であっても容赦はせぬぞ」
彼の怒りに、彼女は静かに項垂れると、何も語ることなくお辞儀して、いそいそとその場を去ったのであった。
「ふん…わしこそが、天下の帝王だ。わしの前に、成す術もなく万民はひれ伏すのじゃ」
部屋に一人残った董卓は、そう発して不機嫌そうに酒杯を空けた。それを部屋の外で盗み聞きしていた李儒は、
「私は、殿にとって、その程度にしか見られぬ下僕であったか」
天を仰いで、静かに涙を流した。だが、
「もはや引き返すことはできぬ」
そう思い直すと、
「私は外道となり、大将軍についていくしかないのだ」
その思いを腹の中に無理やり終いこんだのだった。
それから、数日後、董卓のもとに詔が届いたのだった。
「なんと…わしに、帝位を譲るだと」
その詔を見た董卓は、思わず大笑いした。
「わはははは…ついに、わしも天の人となったか。かような嬉しいことは、他にはないのう」
「ご使者どの…王允どのは、何と言っておられたか」
何か引っかかるものを感じた李儒は、その使者に問いただした。
「王允様は、受禅台を設け、お待ち申しあげると言っておられました」
「ようやく、あの古狸もわしに屈服したようじゃの。いいざまだ」
それを聞いて、董卓は、ますます上機嫌となった。すると、使者は、
「それでは、我ら朝臣百官は大将軍様をお待ちしておりますので、これにて失礼致します」
丁寧に一礼して、退出していったのであった。
「李儒よ…この即位の儀、そちも同行するが良い。そうじゃな、我が弟の董旻も連れていくとしよう」
董卓が有頂天になっていると、李儒はその事に水を差した。
「大将軍…それがしは、何か匂いますぞ。何かの企みでは、ないでしょうか」
「案ずることはない。李傕の報告では、わしの暗殺を試みていた首謀者は呂布であり、王允にその心は無いとのことじゃ。それに、その呂布は李傕に誅殺され、この前に首実検をしたではないか」
彼がそう話すと、李儒は静かに頭を垂れた。
「確かに、呂布の首をそれがしも見ました。しかし」
「そう心配を致すな。万が一のことも考えて、李傕も同行させるつもりじゃ」
董卓は、彼の不安を払いのけるかのように、大きく笑ったのだった。
「…」
李儒は、なんとなく腑に落ちなかったが、決め手となる要素が見当たらなかったため、ついに沈黙してしまったのであった。
そして、数日後…董卓は馬車に乗り、腹心たちと手勢を連れて、献帝の住む宮廷へと向かった。
「それでは、大将軍様…この禁門より先は掟ゆえ、兵が入れませぬので、わずかなお供と共にお入りくださいませ」
董卓らの道案内を務めた朝臣は、そう声を発した。
「うむ…わかった。皆の者は、ここで待機せい」
彼は、兵士たちを待機させ、董旻と李儒、そして李傕に声をかけた。
「よし…では、参るぞ」
「はい」
こうして、董卓を乗せた車は、禁門をくぐり、禁庭へと足を運んだのであった。そして、門は閉ざされ、宮廷から王允が姿を現した。
「ようこそ、お越しくだされました。大将軍様…誠におめでとうございます」
彼は、そう言って、深く頭を下げた。
「うむ。ご苦労である。これからは、わしの力となって働くがよいぞ」
「ありがたき幸せ」
と、王允がそう答えた瞬間、ふいに草陰で潜んでいた刺客たちがどっと押し寄せ、
「親父の仇だ。死ねえ、董旻!」
その中に紛れていた呂布は、董旻を一瞬で真っ二つにした。
「ぬう、生きておったか。やはり、あの首実検の首は偽物か」
李儒は、思わず声を荒げて、そう吐き捨てた。実は、彼らが見た偽首は、王允がある死刑執行人に働きをかけて、呂布によく似た死刑囚の刑の執行を早めさせ、入手したものだったのだ。と、その時、李儒の前に、成廉が立ちふさがり、
「何も王允様の手を煩わさなくても、この俺の首で十分役目は務まるものを…だが、我を生かしてくれた殿の期待に応えるためにも、命ある限り暴れさせてもらうぜ」
大刀を構えて殺気をみなぎらせた。すると、
「おお…まだ、奴の影武者がいたのか」
呂布と瓜二つの顔を持つ彼を見た李儒は、思わず固まってしまった。それを見た成廉は、ここぞとばかりに、大刀を振りおろした。
「覚悟!」
「うびゃあっ!」
右腕を飛ばされた李儒は、あまりの激痛に思わず叫び声をあげた。そして、彼は、兵士たちの無数の槍で串刺しにされ、血を吐きながら絶命した。
「どうやら、ここが潮時のようじゃな。董卓どの」
草陰から、黄琬がすっと現れると、
「ぬう…計りおったな」
董卓は激高しながら車を降り、
「李傕よ、かかれ!」
と、言い放った。ところが、李傕は何を思ったのか、背後からいきなり董卓を斬りつけた。
「ぐばあっぱあっ!」
彼は、大量の血を全身から吹き出させながら、大地に転がった。そして、
「な、何を致す…ま、まさか、お前まで、わしを裏切るのか…」
その言葉に、李傕はギラリと目を光らせ、
「逆臣・董卓を討つ!」
容赦なく董卓の首をはね飛ばすと、亡骸となった彼は、周囲の兵士たちにめった斬りにされ、ついに肉片と化した…これは、如何に彼が人々に恨まれていたかを象徴するものであった。
こうして、西暦192年、初平3年に後漢の大将軍・董卓は、臣下の手によって誅殺されたのだった。
「よし…ついに天下の極悪人・董卓を成敗したぞ」
呂布は、そう言って、天高く拳を突き上げ、
「丁原様…天から見ておられますか。殿の無念、見事に呂布様が晴らしましたぞ」
高順は、そう口にして、万歳した。
「王允どの…董卓とその一味の家族には、既に我が兵を向けております。直に皆殺しとなりましょう」
李傕は、閉められた門を兵士たちに再び開けさせ、自らの手勢を招き入れた。
「逆臣・董卓の誅殺が成功したのは、まさにあなた様のおかげじゃ。なんとお礼を申してよいやら」
と、王允が李傕へ駆け寄ろうとした時、ふいに彼の胸に矢が刺さった。
「ぐわあ!」
王允は、その1本の矢によって心臓を貫かれ、絶命したのであった。
「何を致す。李傕どの…」
呂布の言葉に、李傕はニヤリと笑った。
「董卓と王允…この二人が片付けば、天下はわしのものじゃ」
「な、何っ…それでは、我らの義に参加したのは、自らが天下人になりたいがためだったのか」
呂布は、拳を震わせながら、それを強く握りしめた。
「わははは…漁夫の利とは、まさにこのことじゃ。さあ、者ども…あとは、呂布とその間抜けな仲間たちを始末するだけじゃ。かかれ!」
そして、野望に取りつかれた李傕は、呂布たちに対して、容赦なく手勢を放ったのであった。