第19話
その後、張遼軍と合流した官軍は、ついに馬相のいる成都へ到達したのだった。
「官軍の勢い留まることを知らず、この近辺にまで押し寄せて来ているとのこと」
馬相の片腕である張脩が、そう述べると、
「おのれ…いまいましい官軍め」
馬相は、玉座を立ち上がり、
「苦労して手に入れた富貴を、そう易々と渡してなるものか」
自らが抱える10人の剣客を呼び寄せた。
「厳顔、張任、呉懿、呉蘭、雷銅、楊懐、高沛、冷苞、鄧賢、劉璝よ」
「はっ」
10人の剣客の声がきれいに揃うと、
「斥候の話だと、今回の討伐軍でもっとも恐ろしい漢は、副将の呂布とのことだ。ゆえに、奴を亡き者にすれば、向こうの士気は著しく低下することだろう。そなたらは、張脩に従い、一斉に襲いかかって奴を仕留めるのだ」
馬相の命令に、
「かしこまりました」
剣客らは力強く答え、張脩と共に兵を率いて城を出たのだった。
そして、両軍は、成都付近の郊外で激突した…
「この呂布の前では、如何なる敵も無力だ。大人しく、降伏せえ」
呂布が、赤兎馬を巧みに操って、雄叫びをあげながら方天画戟を振り回していると、
「あれが、呂布だな」
10人の剣客たちは、一斉に狙いを定めた。そして、
「我に敵なしとは、ずいぶんと高飛車な発言だな。この厳顔が、その大口を塞いでやる」
その内の一人である厳顔が、彼に向かって駆けて来たのだった。
「賊将に後れを取るほど、俺は間抜けではない」
呂布は、そう言い放つと、向かって来た厳顔を、一撃で馬から叩き落とし、
「おのれ!」
次に討ちかかってきた張任の乗った馬の首を斬り落として、彼を落馬させたのであった。
「その二人を縛っておけ」
呂布は近くにいた兵士に、そう言うと、
「まとめて生け捕りにしてやるぜ」
赤兎馬の腹を蹴って、剣客たちに襲いかかった。
「うりゃあ!」
「とうあ!」
向かって来た呂布に、呉蘭と雷銅が二人がかりで攻撃したが、
「甘い!」
彼の方天画戟によって、馬から振り落とされると、
「バラバラに攻撃をするな。一斉に仕掛けるぞ」
呉懿の掛け声で、残った6人の剣客たちが同時に一撃を放った。すると、
「はあっ!」
呂布は、風車の如く方天画戟を回して、全てを打ち返し、
「今度は、こっちの番だぜ」
「うおっ!」
呉懿を叩き落とした。そして、続けざまに、
「そりゃあ!」
楊懐の槍を叩き落として落馬させ、高沛の戟を破壊して馬から引きずり落としたのだった。
「さあ、これで大掃除の完了だ」
こうして、呂布は、あっと言う間に、10人の剣客を全て生け捕りにしてしまったのであった。
「さすが、我らが殿だ…格が違いすぎる」
「俺たちも後れを取るわけにはいかないぜ」
その顛末を目撃した高順と張遼たちは、大いに感化され、終始圧倒的な強さで敵と言う敵をなぎ倒していった。
「ぬう!」
張脩は、苦戦の中で必死にもがいたが、
「この郝萌が相手をする」
郝萌と一騎打ちとなり、
「お前らの命運もここまでだ」
あえなく斬り殺されたのであった。こうして、馬相の迎撃軍は、ものの見事に片づけられたのだった。
その後、大半の将兵を失った馬相軍が守る成都はあっけなく落城し、捕らえられた馬相は、賊軍の大将として処刑されたのであった。
「このたびの戦…ご協力いただき、大変に感謝します。これで、亡き父も浮かばれることでしょう」
討伐軍の総大将である劉璋は、深くお礼を言いながら呂布たちを労った。
「陛下の親衛隊として、国家のために働くことは、至極当然…気になさいますな」
「されど、それがしは貴殿に、頼りっぱなしだったからのう。恥ずかしゅうてならぬ」
彼が、そう言って、頭をかくと、
「いえ、いえ…劉璋どのが、ご活躍されるのは、これからですぞ。この荒れ果てた益州の地を蘇らせないといけませんからな」
呂布は、そう切り替えた。
「そうであったな…これからは、州牧として、民が安らげる国を作らねばのう」
「ご立派にございます。国家のため、尽力してくだされ」
劉璋は、大きく頷き、新たな決意をしたのだった。すると、捕らえられた剣客の一人である厳顔が、おもむろに口を開き、
「呂布どの…我らは、もっと剣の腕を磨きたく思います。何卒、貴殿の弟子にしていただけないでしょうか」
と、願い出てきたが、
「剣の腕は、自己鍛錬でもできる…お主らは、劉璋どののために働くのだ。益州の民たちのためにな」
呂布は、そう言って、彼の手を取った。そして、
「がんばってくだされ…益州運営の良し悪しは、お主たちの働き次第でもあるぞ」
熱い視線を送った。その言葉に、厳顔は少し悲しい顔をしたが、
「わかりました…都にて、我らの活躍をお聞きくだされ」
すぐに顔を引き締め直して、彼に誓いを述べたのだった。
「さて、そろそろ帰るとするか…陛下も首を長くされているだろうからな」
呂布は、そう口にすると、官軍に声を掛け、
「事は、一件落着した。仔細を陛下へ報告しにまいるぞ」
と、言って、長安へと戻っていったのであった。
ある日のこと、司徒・王允は献帝に呼び出された。
「最近、体調があまりすぐれぬので話の相手が欲しくてな」
「ははは…この爺でよければ、いつでもお相手しますぞ」
王允は、笑顔で、そう口にすると、
「近頃の董卓の所業は、目に余るものがある。なんとも嘆かわしいことじゃ」
献帝は、ため息を漏らした。
「董卓は、民衆に対して重税をかけ、私腹を肥やしていると聞いておる。かような者に、国を任せるわけにはいかぬ」
献帝の話を聞いた王允は、
「陛下のお考え、ごもっともでございます。それがしも同感です」
真面目な顔をして小さく頷いた。彼が自分の意見に賛同するのを見て、献帝は次第に表情を厳しくさせて、こう言った。
「実は、妙な噂を耳にしたのじゃ。董卓が、我が先祖である歴代の墓をあばいて財宝を手に入れたと」
その話に、王允は、静かに目を閉じた。
「残念ながら、本当の話のようです。それがしも、その話は伺いました」
「何…ならば、何故にその話を朕に教えてくれなかったのじゃ。董卓のしでかした行為は、我が先祖を愚弄するに等しいのだぞ」
献帝は、途端に激怒し、王允に詰め寄った。すると、彼は、無念の表情を浮かべながら、こう話したのであった。
「申し訳ありません。その話が明るみになったのは、つい最近のことでございましたから…と、言うのも、大将軍は、その一件に関わった十万余の人夫を一人残らず生き埋めにし、口封じをしたようですので」
「なんと…十万余の人夫を殺したと申すのか」
献帝は、その話を聞いて肝を冷やした。
「酷いことをする…民たちを物としか思っておらぬ証拠じゃ」
「おっしゃる通りです。少し前に、我が娘の貂蝉が男子を生んだ時に、ようやく跡継ぎができたと大将軍は、大喜びをしたそうですが、その赤子は難病にかかって急死してしまいました。その時に、ちょうど長安の街で祭りが行なわれていたことに彼は腹を立て、多くの当事者たちを虐殺したと伺っておりますし」
「むむむ…」
それを聞いた献帝は、何かの覚悟を決めたかのように目を鋭くしたのだった。
「朕は、血を流すことは好まない主義じゃ。しかし、奴に対しては別なのかもしれん。民を救うために、決断しなければならないだろう」
彼は、そう語尾を強めると、王允は、こう返した。
「しかしながら、大将軍は自分にとって都合の悪い者、諫言する者は、ことごとく惨殺し、忠臣は皆死に絶えました。もはや、大将軍に逆らえる者はおりませぬ」
「いや…まだ、呂布がいる。彼の武勇の前では、董卓も成す術がないだろう」
「確かに、武勇においては彼に勝る者はおりませぬ。しかし、暗殺となるとそう簡単には成功しますまい」
と、その時、王允はふと何かを思いついた。
「陛下…たった今、董卓を誅殺する策を思いつきましたぞ」
「何っ…申してみよ」
彼は、献帝に近づいて、こう述べた。
「この策は、陛下にもご協力して頂く必要があります。方法としては、陛下がこのまま病のため、重体となったように芝居をしてくだされ。そこで、それを理由に董卓へ帝位を譲ると言って、偽の詔を出してください。さすれば、大将軍はよろこんで禁門をくぐり、この陛下の住まわれる宮廷へ参内しましょう。そこに、兵を伏せて討ち取るのでございます」
王允の策を聞いた献帝は、大きく頷いた。
「うむ…うまくいきそうじゃのう」
「それがしも可愛がっていた伍瓊を殺された恨みがございます。この策で、確実に奴を仕留めてみせますぞ」
そして、王允の目に殺意が浮かびあがったのであった。
その頃、董卓は自分の邸宅に腹心の李傕を呼んでいた。彼は、董卓が洛陽に入城する以前から彼に仕えてきた武勇の士で、彼が権力を掌中に収めた後、後将軍の位に任ぜられた武人であった。
「最近、不穏な動きがある。あれだけ粛清を行なったにも関わらず、未だにわしの命を狙う者が出没しているようだ」
「誠にけしからん話にございます。大将軍様のお命を狙おうとは」
李傕が、そう言うと、
「わしは、王允と呂布が怪しいと見ている。そちは、奴らを見張って、不穏な動きがないか、逐次知らせてくれ」
董卓は、目を光らせた。
「承知致しました。大将軍様のお命を狙う不逞な輩は、この李傕が全て処して参ります」
李傕は、そう言って、頭を下げた。
その夜、呂布は王允の館を訪れた。
「おお…よく、お越し下された。呂布どの」
王允は、呂布の手を取って笑顔を見せた。
「王允どののお呼びであれば、断る理由などございません」
「さあ…外はお寒うございますから、どうぞ中へ」
彼は、そう言って、呂布を招き入れた。と、突然、館の曲がり角から李傕が姿を現したのだった。
「ふっふっふ…ついに、尻尾を掴んだかもしれんのう」
彼は、思わずニヤリと笑った。すると、彼と同行していた郭汜が、おもむろに口を開いた。彼は、李傕の片腕として長く付き従ってきた剣の達人である。
「どうします…このまま、斬り込みますか」
彼の問いかけに、李傕はこう言った。
「いや…もう少し様子を見よう。奴らの警戒心が、完全に薄れた時を狙うのだ。それに…」
「それに…」
郭汜は、その含みに、思わず首をかしげた。
「少し考えるところがある」
そう言って、李傕は、低く笑いながら、再び姿をくらませたのだった。
そして、王允は、呂布を奥の間へ案内した。すると、呂布は三人の先客を目の当たりにし、目を丸くした。
「おお…黄琬どのに、徐栄どの、薛蘭どのまで」
「お待ちしておりましたぞ、呂布どの」
彼の姿を見るやいなや、三人の先客は、丁寧にお辞儀した。実は、彼らも舞台裏で、王允と共謀を重ね、董卓の排除を企んでいたのであった。それに対して、呂布は、
「そうでしたか…これは、心強い」
深く一礼したのだった。
「それでは、早速はじめましょう」
こうして、王允は、彼らに董卓誅殺の策を話したのだった。
「なるほど…それならば、うまくいくでしょう。ならば、拙者もそこで待ち伏せをし、董卓めを一刀両断にしてみせます」
「頼りにしていますぞ。呂布どの」
と、その時、ふいに李傕と郭汜が奥の間へ踏み込んで来た。李傕は、自分が王允の客人であると下男に偽って屋敷に潜入し、機会を伺っていたのであった。
「何奴…」
呂布は、ふいに怒鳴り声をあげると、
「むう…お主は、董卓の腹心・李傕」
王允は、招かざる客の登場に仰天した。
「わははは…今の話、とくと聞かせてもらったぞ」
李傕は、そう言って、大きく高笑いしたのだった。