第17話
しばらくして、呂布は、自身が眠りこけていたことに気付き、はっと目を覚ました。
「しまった」
我を取り戻した呂布は、すぐに周りで眠っている張遼らを起こそうと大きく揺すった。だが、彼らは、一向に目を覚ます気配を見せず、ぐうぐうと大いびきをかいていたのであった。
「ちっ…眠り薬を盛りやがったな。あのアマ!」
呂布は、奥にいる女狐に計られたと悟り、思わず歯ぎしりした。だが、感情に任せて貂蝉を斬ると間違いなく董卓と仁義なき戦いとなり、さらに献帝の意に背く行為となるため、彼は苦虫を噛み潰す思いで堪えることにした。と、その時、奥の部屋から男女二人の楽しそうな声が聞こえてきたのだった。
「むう…この隙に、間男に入られたか」
呂布は、冷静さを取り戻し、そっと聞き耳を立てて、中の様子を伺った。
「しかし、警備の者たちへ眠り薬を飲ませるとは、あなたも恐ろしいことをするものだ」
間男は、そう言って、笑いながら酒を飲み干した。それを聞いた貂蝉は、その男に流し目を使って、こう返した。
「だって…少しでも、あなたと一緒にいたいから」
「貂蝉…」
そして、二人は互いに見つめ合った。
「でも、不思議なものね。あなたとそっくりな人が、あの警備の方たちの中にいるのですから…最初に見た時は、本当にびっくりしたわ」
「へっ…俺とそっくりな奴?」
間男が、そう言いかけた時、突如として呂布が割って入ってきたのであった。
「こらあ、お前ら…大概にしないと、さすがの俺もマジでキレるぞ!」
呂布は、そう言い放って、きっと間男を睨みつけた。すると、彼は目を丸くして、思わず息を飲み、
「お、俺とそっくりだ…こりゃ、たまげた…」
「ほんとだ…信じられぬ」
間男の方も腰を抜かして、その場でしりもちをついたのであった。
「おい、お前…まさか、俺の生き別れの兄弟ってことはないよな」
「そんな訳ねえだろ…今まで生きていて、兄弟がいるなんて、聞いたこともねえよ!」
呂布は、彼のボケに、思わずつっこみを入れた。と、その時、貂蝉が初めて自分の顔を見て驚いた理由を悟った。
「ここまで瓜二つじゃ、びっくりするのも当然だな」
呂布は、思わず高笑いをしたが、すぐに我に帰って、
「おっと…あまりのことに、思わず任務を忘れるところだった。この間男を、とっ捕まえないと張り込んだ意味が無くなるってものだ」
刀を引き抜くと、間男は、
「くっ!」
すばやく後ろへ飛び、刀に手をかけた。それを見た貂蝉は、
「や、やめて!」
そう大きく言い放って、彼らを止めようとした。
「しかし、俺と同じ顔をした人間を斬ると言うのは、正直気分が悪すぎるぞ」
呂布は、苦笑いをすると、ふいに刀をすっと下した。そして、その間男に対して、おもむろに質問した。
「なあ、お前…名前は、なんて言うんだ」
「俺か…俺の名は、成廉だ」
成廉の淡々とした答えに、呂布はニヤリと笑った。
「そうか…ならば、成廉よ。今回は、見逃してやってもいいぞ。大将軍の妾に手を出すほどの大胆不敵さに免じてな」
「ほんとうか」
「ただし、条件が二つある。一つは、今後において、貂蝉どのに近づかないこと…そして、もう一つは、俺の部下になることだ」
と、その発言に、ふいに貂蝉が猛反発した。
「何をおっしゃるのです。私たちは、愛し合っているのよ。何の権限があって、あなたが私たちを引き裂くことができるわけですか」
彼女は、董卓によって無理やり妾にされた経緯があり、さらに彼とは大きく年の差が離れていた。そんな折に、若くてハンサムな成廉が目の前に現れ、彼に夢中となっていたからだ。だが、その彼女の言葉を聞いた成廉は、突然真面目な顔になって、こう言い出したのであった。
「いや…こんな関係は、もう止めよう。前々から考えてはいたが、中々切り出せなくて…本当に済まない」
思わぬ成廉の言葉に、貂蝉は戸惑った。成廉は、腕っぷしには自信があったが、学が無かったため、定職に就くことができず、挙句の果てに盗人となった男である。そして、たまたま、この屋敷へ忍び込んだ際に、彼女を見かけて一目ぼれをしてしまった。その後、彼は、高格武士の格好をして彼女に近づき、次第に彼女と仲良くなっていったのだが、彼女と密会を重ねていくうちに、彼女に本当の自分を偽ると言う罪悪感と己に対する情けなさ、さらに将来への不安を強く感じるようになっていったのだった。
「正々堂々と胸を張って付き合うのであれば話は別だが、今後において、とてもそのような状況になるとは思えない…それに、いくら大将軍様とは言え、これ以上関係を続けていると、最後には堪忍袋の緒が切れると言うものだ。そうなれば、あなただって、ただでは済まないだろう」
成廉は、そう言って、彼に向き直ると、
「呂布どの…ここで会ったのも、同じ顔で生まれてきたのも何かの縁だ。こんな女にだらしないダメ野郎を使って頂けるのなら、喜んでお仕えしますよ」
その言葉に、呂布は破顔した。
「よし…決まりだな」
呂布と成廉は、互いに手を取り合って頷いたのであった。
次の日、呂布は、董卓に拝謁した。
「なんと、間男の噂は、貂蝉が流したデマだったと言うのか」
「はい…彼女は、大将軍様の気を引こうと、そう企んだそうにござります」
それを聞いた董卓は、思わず大声で笑った。
「わはははは…そんなことをせずとも、わしの思いは変わらぬと言うに…まったく、初々しい奴じゃ」
その彼のだらしない様子を見て、呂布は心の中で、
(やれやれ…これで、まずは一安心だな。しかし、あの董卓から揺るぎない寵愛を受け、ここまで骨抜きにしてしまうとは…まさに、貂蝉は、傾国の美女という言葉がよく似合う恐ろしい女だぜ…)
ため息をついたのであった。
貂蝉の一件が無事に終息した頃、長安の都にある訃報が届いた。
「なんと、益州へ向かった劉焉どのが戦死されただと」
それを耳にした献帝は、大きく目を見開いて声をあげた。この頃、漢の国では、政治の腐敗や各地の反乱の影響で、刺史や太守の支配力が弱体化していたため、新たに州牧を設置し、清廉な人物を各地に派遣する政策を進めていた。そんな状況の中、皇室と親戚関係にある劉焉は、益州と言う遠方の山岳地へ派遣されることになったのだった。だが、そこでは、地元の豪族たちが国家の官吏を殺害して跋扈し、無法地帯状態となっていたため、彼は制圧軍を率いて、益州の地に足を踏み入れることになったのであった。
「むむ…益州にはびこる賊どもが、かように力を持っていようとは」
献帝が、歯ぎしりすると、
「益州は辺境の地とは言え、そのまま野ざらしにすれば、国のメンツに関わります。それに、我が父を討った輩どもに対して泣き寝入りをしたくはございません。何卒、それがしに兵を与えくだされ」
劉焉の子である劉璋は悲痛な表情で、そう嘆願した。
「この件について、大将軍は、なんと言っておる」
「はい…先の連合軍の動向が気になるゆえ、大事な兵を裂く訳にはいかぬと」
「ぬうう…己の保身のために、兵は動かせぬと申すのか」
彼の話を聞いて献帝は、激高し、
「このままでは、我が国は無能呼ばれをされ、各地の反乱分子たちを増長させることになる…大将軍には、それが理解できないとは」
頭を抱えた。すると、傍で話を伺っていた王允が、
「陛下…親衛隊長の呂布どのに相談されては、如何でしょうか」
助言し、
「おお、そうじゃな…すぐに、呂布を呼んでまいれ」
思い立った献帝は、即座に使いの者を出したのだった。
そして、数刻後、呂布が姿を現した…
「お呼びでしょうか」
彼が、そう尋ねると、
「実は、かくかくしかじかでのう…」
献帝は、包み隠さず事情を話したのだった。
「左様でござりましたか…ならば、我が親衛隊が討伐軍となり、益州を平定してまいりましょう」
「おお、そなたがやってくれると申すか」
呂布の勇ましい答えに、献帝は笑顔になった。だが、
「ただ、劉焉様が率いた討伐軍が敗れたとなると、豪族たちは、相当数の兵を抱えていると思われます。親衛隊だけでは、心もとないので援軍を要請したいと考えます」
彼が、そう言うと、
「算段はあるのか」
献帝は、眉をひそめながら聞き返した。
「白馬寺参拝時に出会った張燕の率いる黒山賊、西方に万病薬を求めて赴いた際に懇意となった無吾の率いる羌族たちに声をかければ、まとまった兵力が集まるでしょう」
「おお、なるほど」
「さらに、敵は烏合の衆のため、利害を説けば、こちらに味方をしてくれる者もいるかもしれません。情報収集を行い、じっくりと調略を行ってはどうかと考えます」
「うむ、うむ…うまくいきそうじゃな」
その話を聞いた献帝が、大きく頷くと、
「よし、益州平定の件は、そなたに任せた。吉報を待っておるぞ」
「はっ…かしこまりました」
呂布は、一礼して退出したのだった。
その後、呂布は、部下に命じて、張燕と無吾のもとに使者を送り、益州へ密偵を放って情報収集を行ったのであった。
「ほう…南鄭(漢中)に拠点を置く張魯が、我が軍に味方をしたいと申しておるのか」
その話を聞いた呂布は、顎をしゃくった。張魯は、五斗米道と言う宗教の指導者で、益州内で安全に布教活動を行うため、地元の豪族たちに従属していた。ところが、漢王朝が本格的に益州の統治を実行しようとしていると耳にしたため、張魯は、後ろ盾を後漢にした方がより安全に布教活動ができると考えたのだった。
「蜀の地理に詳しいから、道案内をしたいと願い出ておるのか…これは、好都合だな」
彼は、口角をあげ、
「綿密に攻略計画を立てたい、張魯どのに一度、長安へお越し頂くよう要請するとしよう」
早々に南鄭へ使者を出したのであった。
数か月後…
長安の都に、張魯が姿を現した。
「遠路より、よくお越しくだされた…感謝致しますぞ」
満面の笑顔で、呂布が屋敷の前で挨拶をすると、
「このたびの件、至極賛同致します。こちらこそ、宜しくお願いします」
張魯は、深く一礼して屋敷へ入ろうとした。と、その時、路地の曲がり角から何者かが、彼らに声をかけてきたのだった。
「こんにちは、呂布様…ご機嫌麗しゅうございます」
「ちょ、貂蝉どの…何故、こんなところへ」
突然の貂蝉の訪問に、呂布は思わず仰天した。
「このたび、呂布様が国家の名誉を賭けて出征されると伺いましたので、挨拶でもと思いまして」
彼女が、そう話すと、
「こんなところを大将軍様に見つかれば、ただでは済みませぬぞ」
「大将軍は、己の保身のために国家の兵を動かすこともできないようなダメ亭主です。逆に一喝して、せめて慰問だけでもして来ますと、言ってやりましたのよ。おほほ…」
「ほんと、大将軍様は、貂蝉どのにはお弱いことで」
呂布は、ふうっとため息をついたが、
「折角、張魯様もお越しになっていることですので、わらわで良ければ、喜んで知恵をお貸ししますわ」
その話を聞いて、ピクリと眉を動かした。そして、
「失礼だが、戦の経験は?」
「いえ、まったくありません」
その答えに、
「けしからん…これは、ままごとではないのですぞ!」
「あら…時には、素人の勘が当たることもありますわよ」
「当たる訳がない…早々に、お引き取り願おう」
彼は癇癪を起して、そう言い放ったが、
「なんと、ひどい言い方…王允様に言い付けようかしら」
「むう…そこで、王允様の名を出すとは、なんと卑怯な…」
彼女に切り札を出されたため、腑に落ちないまま、張魯と共に屋敷の中へと案内したのであった。
「現在、益州でのさばっている豪族の中で強大な勢力を誇っているのは、成都を本拠地とする馬相、梓潼を本拠地とする王咸、雒を本拠地とする賈龍の三つの勢力となります。この中で、馬相は、彼らのリーダー格にございます」
張魯は、そう話すと、
「彼らを撃破すれば、他の少数の豪族たちは漢に従属すると言うことですな」
「左様…」
益州の地図を広げ、
「ルートとしては、まず我が所領である南鄭から入って頂き、王咸が支配する葭萌関の要害を攻め取るのが宜しいと思われます。そこから、四川盆地に入り、梓潼に向けて兵を進めて彼の勢力を一掃したら、次のターゲットは賈龍です。綿竹関を破り、雒を陥落させれば、成都平原に栄える益州の首都・成都は目前となります」
と、滔々と述べた。
「敵は、葭萌関に多くの兵を配置して我が軍を大いに阻むであろう…初戦となるゆえ、かの地を容易に攻略する良策はございませぬか」
呂布が、そう聞くと、
「そうでございますな」
張魯は、顔をしかめて言葉を詰まらせた。すると、ふいに貂蝉が口を開き、
「張魯様は、王咸と言う者と交流はございますか」
と、尋ねた。
「ございますが、それが一体…」
彼が首をかしげると、
「ならば、このような一計を案じられたら、いかがでしょうか。張魯様が率いる南鄭軍が、官軍との戦いで敗れたフリをして葭萌関へ敗走して頂きます。その際、その軍中に我が官軍も紛れ込ませるのです。さすれば、彼らは油断して門を開けて、張魯様たちを中へ呼び込もうとするでしょう」
彼女は、考えを巡らせたのであった。すると、
「むう…まさに、妙案…」
張魯が舌を巻き、
「なるほど…その機会を狙って、一気に叩き潰すという訳だな」
呂布は目を光らせた。そして、
「まさか、貂蝉どのにかような知略があったとは思いませなんだ…恐れ入ります」
「おほほ…わらわは、国家のためを思って献策しているのですよ。そんなに、気になされますな」
頭を下げる彼に、彼女は機嫌よく笑った。
「それでは、張魯どの…初戦は、その段取りでいきたいと思います。貴殿が、我が軍の味方となってくれたことを大変感謝しますぞ」
「ええ…共に力を合わせて、まいりましょう」
こうして、呂布と張魯は、笑顔で握手を交わして別れたのであった。