第16話
その頃、董卓は、手ぐすねを引いて呂布の到着を待っていた。
「貂蝉に手を出す者は、誰であれ許さん…いや、あの生意気な坊主は、ここで始末するべきだな」
彼は、そう口にすると、ポキポキと指を鳴らした。と、彼の部下から呂布の到着の旨を伝えられると、
「やっと来たか…今日が、貴様の命日じゃ」
董卓は、すぐに大広間に来させるよう指示したのだった。
そして、呂布と面会をするやいなや董卓は、こう切り出した。
「最近、わしの愛妾である貂蝉が、何者かと密通していると言う噂が後を絶たない状態だ。そこで、怪しい奴らをことごとく始末したのだが、それでも収まらぬ…どうしたものやら」
「左様でござりましたか」
彼が、そうしらばくれると、董卓は徐々に目つきを変えていった。
「耳寄りな情報だと、どうやら犯人は貴殿によく似ていたとのことじゃ。まさか、お主が犯人ではあるまいな」
その問いかけに、呂布は毅然とした態度で言い返した。
「拙者では、ございません。何故、拙者が大将軍様の寵姫に手を出さなければならないのですか」
「黙れ…そのような詭弁が、わしに通用するとでも思ったか」
董卓は、そう言い放つと、すぐに合図をして、部屋の隅で待機させていた刺客たちを呼び寄せ、彼を襲わせた。ところが、
「狼藉者が!」
あっという間に呂布が、刺客たちを一人残らず斬り捨てしまうと、
「おおっ!」
あまりの彼の強さに、董卓は舌を巻いたのだった。
「大将軍。さては、拙者をここで亡き者にしようとされたのか…ゆ、許せん」
呂布は、刺客たちの血を吸った刀を董卓に向けて、怒りを露わにした。と、その時、大広間の入り口で、何者かが大声を発したのであった。
「二人とも、そこまでだ」
「へ、陛下…」
突然の献帝の登場に、呂布と董卓は、思わず息を飲んだ。
「朕の前で、流血は許さん…まずは、刀をしまえ」
「申し訳ありません」
叱責を受けた彼が、すぐに刀を鞘に納めると、
「董卓よ、これは如何なる戯言か…この漢が、そなたの寵姫を汚すような下衆であると思っておるのか」
献帝は、すぐに矛先を董卓へ向けた。
「いや…しかし、陛下…」
彼が言いかけると、献帝はそれを制し、
「言い訳をするな…そなたは、その寵姫に入れ込みすぎて、どうかしているとしか思えぬ。それとも、女にうつつを抜かして、この国を滅ぼすつもりか」
「め、滅相もございませぬ」
そう叱責すると、董卓は、地に膝を付けて深く頭を下げたのだった。
「呂布よ…どうやら、董卓は、勘違いをしておったようじゃ。今回の一件は、朕に免じて、許してやってくれぬか」
ここで呂布が董卓を斬れば、彼はお尋ね者となり、また董卓が殺されたことで、その臣下たちが黙っていないだろうと考えた献帝は、穏便に事を鎮めることが適切であると判断したのであった。
「陛下の仰せであれば、異論はございませぬ」
それを察知した呂布は、感謝しながら、お辞儀した。すると、
「だが、その不貞な輩は、このまま見過ごすわけにはいかん。そこで、呂布よ…お主が張り込んで、その間男を捕らえてやってくれぬか」
献帝は、彼に唐突な依頼をしたのだった。その妙な措置に、彼は目を丸くしたが、
「御意にござります」
とりあえず引き受けることにした。すると、それを聞いた董卓は、
「おお…呂布どのが、力を貸してくれると言うならば、これほど心強いことはない。期待しておるぞ」
と、言って、顔を引きつらせた。
(なんで、貴様のために…)
その言葉に呂布は、正直ムカついたが、
「大船に乗った気分で、吉報をお待ちくだされ」
表情に出すことなく答えた。こうして、彼は、その間男を捕らえるため、張り込みを開始することになったのであった。
呂布は、屋敷に戻って高順たちに経緯を伝えると、すぐに手勢を連れて、貂蝉の住む部屋の周囲を固めたのであった。
「まったく…親衛隊長のする仕事じゃねえな」
ふいに張遼は、愚痴をこぼした。すると、その言葉に対して高順は、こう答えた。
「そう言うな…ここで、犯人を捕まえてしまえば、殿の容疑は晴れるのだぞ」
「だから、俺はシロだと言っているだろうが」
癇に障った呂布が、すぐに言い返すと、
「そうでした。申し訳ありません」
高順は、うかつな発言をしたことに、後悔をしながら頭を下げた。
「しかし、その間男は、どういう神経をしているのだろうな。あれだけ多くの者がさらし首となったのに、それでも通い続けるとは」
と、呂布が、そう話題を変えようとした時、おもむろに部屋の扉が開いた。そして、そこから煌びやかな衣装を纏い、天女のように穏やかな顔で美しく微笑む貂蝉がしずしずと現れたのであった。それを見た呂布たちは、たちまちうっとりして、ため息をこぼした。
「こりゃあ、また…えらい、べっぴんさんだな」
「これ、張遼…だらしがないぞ」
鼻の下を伸ばす張遼を見て、高順は横から肘で突いた。
「お勤め、ご苦労様です」
彼女は、そう言うと、深々とお辞儀をした。
(何が、“お勤め、ご苦労様です”だ。お前が、変な野郎と不倫するから、俺たちがこんな目に遭っているのだろうが…)
呂布は、口をへの字にしながら、頭を下げた。と、その時、貂蝉は、彼の顔を見るやいなや、一瞬にして表情を強張らせた。
「うん…どうされましたか」
「いえ、何でもありませんわ。それでは、失礼します」
彼女は、そう言うと、そそくさと奥へ引っ込んでいった。
「何なんだ、一体」
訳がわからない呂布は、そう発して、不快そうな顔をしたのだった。
しばらくして、日が傾き始めた…
「しかし、遅っせえな…かったるくてやってられないぜ」
痺れを切らした張遼は、思わず声を上げた。
「これだけ、厳重に警備しておるのだ。今日は、やって来ないかもしれないな」
呂布は、彼にそう答えると、頭をガリガリとかいた。と、その時、奥の部屋から、再び貂蝉が現れたのであった。
「皆様…さすがに、お疲れでございましょう。お酒と食事を用意しましたので、どうぞ召し上がってくださいませ」
彼女は、そう言うと、女中たちに酒と肴を持たせてきた。
「おお、気が利くじゃねえか。喉が渇いてしょうがないところだったんだ」
張遼が、途端に笑顔となって、目を輝かせると、
「おい、仕事中だぞ。酒を飲んでいる場合ではない」
彼の様子に、高順はそうたしなめた。ところが、
「うむ…まあ、少しくらいなら良かろう」
呂布は、彼の思惑と異なることを発した。
「と、殿…しかし」
無論、高順は反論しようとしたが、彼はそれを制し、
「折角、貂蝉どのが用意してくれたのだ。ありがたく頂戴するとしよう」
と、言って、彼女にお礼を述べたのであった。
「こちらの肴は、各地から取り寄せた珍味でございます。まだまだ用意をしておりますので、どんどん召し上がって下さいまし」
こうして、呂布たちは、彼女が用意した酒と肴を思う存分に頂いたのだった。すると、彼らは、すぐに猛烈な睡魔に襲われ、その場で大の字になって眠りについてしまったのであった。
「うふふ…ほんと、単純な人たちね」
貂蝉は、そう言って、小さく笑った。実は、その酒と肴には、眠り薬が仕込まれてあったのだ。