第15話
そして、呂布が長安にたどり着いてから、数か月が経った…
「呂布どの…最近、大将軍様は、さらに傲慢になってきておりますな」
周毖は、自宅に彼を呼び、そう切り出した。
「ああ、段々ひどくなる一方だな。自分に逆らう者は、徹底的に処刑を繰り返す始末だ」
呂布は、そう言って、注がれた酒を飲み干すと、
「やはり、暗殺しかないかもしれん」
周毖は険しい顔をした。
「しかし、どうやって実行するかが問題だ」
「手だてはあるぞ。最近、大将軍は王允様の娘を妾とされたのをご存知か」
それを聞いた呂布は、ふいに眉をひそめた。
「貂蝉どののことか。大層お美しい方だと聞いている」
「今、大将軍は彼女に夢中になっているそうだ。そこで、貂蝉どのに話を持ちかけ、暗殺の機会を探ってはどうかと思うのだが」
呂布は、少し考え込んだ。貂蝉は、戦乱の中で親を亡くし、孤児となっていたところを王允の計らいで養女となった女性である。ある日、董卓が王允の屋敷へ訪れた時、彼女に一目ぼれし、強引に自分の妾にしてしまったのであった。
「ふむ…しかし、貂蝉どのは協力してくれるかな」
「貂蝉どのは、王允様の寵愛を受け、多大な恩義を感じております。王允様にも、きちんとご説明をして取り計らってもらえれば、我らに協力してくれるはずだ」
周毖は、自信を持って言うと、
「やってみる価値は、ありそうだな」
呂布は、小さく頷いた。
「よし…私が根回しをやるから、君は大将軍のとどめを刺してくれ」
「わかった…共に伍瓊の仇を討とう」
呂布と周毖は、そう言って、酒杯をカチンと鳴らしたのだった。
翌日、周毖は王允のもとへ参り、説得を行った。すると、彼は、その計画を聞いて大いに賛同し、自らも貂蝉へ口添えをすると約束をしたのであった。こうして、段取りを済ませた周毖は、暗殺計画を具現化するため、夜間の警備を掻い潜って貂蝉の居る部屋へ忍びこみ、密に話し合うことにしたのだった。
「貂蝉どの…」
周毖が貂蝉の部屋の前で、そう声をかけると、
「誰です」
彼女は、小さな声で尋ねた。
「周毖にございます」
「まあ、周毖様ですか。養父より、お話を伺っております。どうぞ、お入りください」
彼女が、そう言って、彼を中に入れ、
「貂蝉どの…今日もまた、一段とお麗しいですな」
「おほほ…そのようなお世辞など」
機嫌よさそうに笑うと、
「私で良ければ、いくらでもお力になりますわよ」
「かたじけない」
彼は、深々と礼をした。
「さあ…そんなことよりも、早く本題に入りましょう」
「それでは…」
こうして、周毖と貂蝉は、話し合いを始めた。そして、段々と話は核心の部分となり、二人は周囲への警戒心が薄れるほど熟考していったのだった。
「ここが肝心だからな」
周毖が顎ひげをなでながら、首をひねっていると、突然、
「何者だ…貴様!」
辺りに怒鳴り声が響き渡った。彼は、はっと我に帰り、後ろへ振り向くと、そこには、貂蝉に夜伽をしてもらおうとやって来た董卓が仁王立ちしていたのだった。
「し、しまった…」
「わしのかわいい貂蝉に手を出そうとは…この不届き者め」
周毖は慌てて逃げようとしたが、董卓の剣はすばやく彼をとらえ、
「ぐ、ぐあっ!」
胸に突き刺さった剣から血が滴る様子を見て、思わず悶えた。そして、
「む、無念…」
そう吐き捨てると、
「死ねえ…下郎め!」
董卓は、彼の首を容赦なくはね飛ばしたのであった。
翌日、周毖の首と共に高札が掲げられた。
右の者、大将軍の妾と密通しようとした罪で処罰された由…
「し、周毖…」
その高札を見た呂布は、静かに目を閉じて涙を浮かべた。逆臣を成敗しようと志した者が、密通と言う破廉恥な罪を被せられて死んだのである。彼は、周毖の無念さを痛いほど感じたのであった。
「なんと、不名誉な死にざまだ。これでは、周毖があまりにも惨すぎる」
呂布は、こみ上げてくるものを必死に抑えながら、
「周毖よ…お前の死は、決して無駄にはせん。必ず、俺が逆臣の首をはねてみせるぞ」
そう心に誓ったのであった。
董卓は、貂蝉の間男を退治したことで、数日の間はとても上機嫌だった。と、言うのは、近頃、彼が留守にしている間を狙って、彼女が若い男と会っていると言う噂が流れていたからである。
「貂蝉ほどの美人はおらぬ…ありえない話ではない」
疑心暗鬼に陥った董卓は、それを悩みの種とし、常に頭を抱えていた。本来ならば、浮気の疑いがある貂蝉に咎めがあっても良さそうなものだが、彼は完全に彼女の虜となっていたため、少しも彼女を責めることなく、聞くことすらしなかったのであった。そんな時、董卓は、彼女の部屋に入り込んだ周毖を目撃した。そして、彼が噂の間男だと思い込んだ董卓は、問答無用で彼を惨殺したのである。
「わしのかわいい貂蝉にちょっかいを出すなど言語道断じゃ」
ところが、間男の噂話は、再び囁かれ始めた。
「むう…新手の間男が現れおったか」
周毖は犯人ではないため、当然と言えば当然なのだが、貂蝉の美貌を高く評価していた董卓は、それに気付かなかった。
「見せしめに奴をさらし首としたのに、まだ貂蝉を狙うか…何と大胆不敵な」
怒り狂った彼は、腕の立つ強者たちを揃えて、監視の目を行きわたらせることにした。すると、その者たちは、目についた怪しい者たちを次から次へと捕らえては、己の武功を誇示するかの如く、ことごとく斬り殺していったのであった。だが、貂蝉の間男の噂は、一向に途切れることはなかった。
「一体、犯人は何者なのだ」
と、そんな時、頭を抱える董卓のもとに有力な情報が舞い込んできた。
「なんと、呂布に似た男が、貂蝉の部屋の前でうろついていただと」
董卓は、その話を聞くやいなや激怒し、
「おのれ…わしに盾突くだけでは飽き足らず、わしの女まで奪おうと言うのか」
部下に命令して、呂布を呼び出そうとしたのだった。
その頃、自宅でくつろいでいた呂布は、高順から耳障りな噂を聞かされた。
「何…俺が、貂蝉と密通しているだと」
呑気に茶を啜っていた彼は、思わず吹き出したが、
「はい。街中、その噂で持ち切りとなっておりますぞ」
高順の話に、傍で聞いていた張遼は、腹を抱えて高笑いをした。
「わはは…さすが、我が殿だ。武勇だけでなく、精力も絶倫だったか」
「馬鹿なことを言うな…俺が、そんなことをするはずが無いだろうが」
その冷やかしに、呂布は顔を紅潮させて怒鳴った。すると、
「しかし、困りましたな…この噂が、大将軍の耳にでも入ったら、確実に咎められますぞ」
高順は、心配そうな顔をして言葉を詰まらせたのであった。だが、それを聞いた張遼が、ニヤニヤしながら、
「いや、間違いなく殺されるな」
軽く訂正すると、
「貴様…そんなに俺を殺してえのか」
激怒した呂布は、彼に掴みかかって、ついに喧嘩をおっぱじめたのだった。それを見て、
「やれやれ…この期に及んで、かように賑やかとは」
高順は、ふうっとため息をついた。と、その時、董卓の使いの者が、厳しい表情で彼の屋敷に訪れたのであった。
「呂布様…大将軍がお呼びです」
「やはり、来たか」
呂布は、思わず顔を歪ませた。すると、傍にいた高順が、
「殿…行ってはなりませぬ。飛んで火にいる夏の虫ですぞ」
彼の耳元で囁いたが、
「わかっておる…しかし、ここで命令を無視すれば、さらに疑われるだけだ」
呂布は、小声で言い返し、
「わかりました。すぐに支度を致します」
使者に向かって告げると、出掛ける準備をするため、別室へ向かったのだった。彼は、董卓の前で堂々と申し開きをしようと考えたのだ。それを聞いた使者が、安心した面持ちで、すみやかに屋敷を去っていくと、
「まずいな」
高順は眉をひそめて、そうこぼした。それを受けて、
「おい…このことを陛下にお伝えしたらどうだ」
その部屋で彼と二人きりになった張遼が、おもむろに話すと、
「そうだな」
その意見に高順は小さく頷き、すぐに部下へ命じて、献帝のいる宮殿へと走らせたのであった。