第13話
そして、朝議が終わるやいなや遷都の発令が書かれた高札は、洛陽中に掲げられた。
「事は急を要する。準備は進んでおるか」
董卓は、命令通りに事が進んでいることを確認するため、近くにいた李儒にそう問いかけた。
「はい。高札を立て、役人にふれさせましたから、民草たちも我が軍勢について参りましょう」
彼は、李儒の話を聞いて眉間にしわを寄せた。
「貧乏人どもはついて来るだろう。しかし、富貴な者は家財を持って亡命する可能性がある。今、朝廷は金銀に乏しい状態であるゆえ、臨時徴収令を出せ」
「承知しました」
董卓は、これを機に火事場泥棒を企んだのである。こうして、李儒は兵を集めて、富豪の家を手当たり次第に襲わせた。そして、大概の者たちは抵抗したため、皆殺しにされ、金銀財宝を略奪したのであった。
「臨時徴収の件、遅滞なく完了致しました」
董卓は、そう李儒の報告を受けると、
「よし…ならば、出発じゃ」
と、言い放ち、
「李儒よ…洛陽を出た後は、都中に火を放って焦土化させろ。敵にくれてやるものなど何もないからな」
冷たい視線を送ったのだった。
こうして、董卓軍は洛陽を出発したのであった。
「さあ、とっとと歩かぬか。止まれば、斬り殺すぞ」
民草の誘導を任された武官たちが、悪鬼のごとく鞭を振りまわしていると、
「お父さんは、病気で歩けないのです。何とぞ、お慈悲を」
一人の娘が、指揮を取る武官の一人に泣きついてきた。すると、彼は、
「ならば、その足手まといは殺すまでだ」
と、言って、その娘の親父を惨殺した。その不幸に、娘は、
「お父さん、お父さん!」
亡骸となった父に寄り添って泣き始めた。それを見た彼はいきり立ち、
「止まるなと言ったのが、わからんのか」
その娘まで殺してしまった。このような鬼畜な所業が、あちこちで起こったため、次第にこの行軍は阿鼻叫喚が飛び交う地獄へと化していったのだった。
「そろそろ頃合いだ…火を放て」
そして、流民の群れが一通り城門から出ると、ふいに都から火の手が上がったのであった。
「おお…なんと言うことじゃあ。歴史ある洛陽の美しい都が燃えている」
董卓の焦土戦術により、李儒と董旻は兵を率いて洛陽中に火矢を放ち、都を火の海にしたのだった。
「わはははは…燃えろ、燃えろ…全て、焼き尽きてしまえ。おかげで、良い余興になったわい」
洛陽が大きな炎を上げて燃えるさまを見ながら、董卓は大笑いした。
「このような悪行は、断じて許さぬ。董卓よ…いずれ、時が来れば、その報いを受けることになるであろう」
王允は、そう言って、伍瓊の形見の品を握りしめたのであった。
まもなくして、長安への遷都の報は汜水関にも伝わり、
「殿…一大事にござります」
高順は、大慌てで呂布のもとに駆けつけた。
「何事だ」
呂布は、慌てふためく彼を落ち着かせながら尋ねると、
「大将軍様が、長安への遷都を強行し、洛陽に火を放ったとのことです」
「な、何っ!」
それを聞き、たまらず仰天した。そして、
「なんと恐れ多いことを…かような暴挙、誰も諫言をしなかったのか」
声を荒げて問い正すと、
「異論を唱えた伍瓊どのが、その場で処刑されたそうです」
「伍瓊どのが、殺されただと」
その報告に、彼の怒りは頂点に達し、
「おのれ、あの逆臣が…我が友を殺し、罪もない洛陽の民を流民にさせ、必死に戦っている汜水関の兵たちを見捨てて、自分だけがさっさと逃げ失せるとは」
たまらず傍にあった椅子を蹴りとばした。しかし、
「いかが致しましょう」
高順が、冷静に努めて問いかけると、彼はこみあげてくるものを必死に抑え、それに応えようとしたのだった。そして、
「このまま、汜水関で籠城戦を続けても、いずれは突破されるだけだ。ならば、我らも今宵の内に、ひっそりと城を出て、長安を目指そう」
そう下知を出すと、
「承知つかまつりました。それでは、すぐに皆へふれまわってきます」
高順は、急いで飛び回ったのであった。
その夜、呂布たちは、闇にまぎれて汜水関を脱出した。すると、その情報を入手した反董卓連合軍は、すぐさま追撃を開始したのだった。
「皆の者…このチャンスを逃すな。二度と息を吹き返さないよう、徹底的に叩いてしまえ」
曹操は、そう容赦なく、大声を張りあげた。そして、反董卓連合軍は、敵兵と見るやいなや、次から次へと董卓軍の兵士を斬り殺していった。その様子にぐっと耐えながら、呂布は赤兎馬へ鞭を打ち続けた。
「殿…味方の兵が、どんどん敵の餌食となっておりますぞ」
高順が思わず声を荒げると、彼は、
「やむを得ん」
と、歯ぎしりし、
「皆の者…恨むなら、大将軍を恨め。全ては、大将軍のしでかした暴挙が原因なのだからな」
追撃してくる敵兵を斬り刻みながら、必死に長安を目指したのだった。
「こんな理不尽なことで、死んでたまるか。帝を守るためにも、父上や伍瓊の仇を討つためにも、絶対に生き抜いてやる」
呂布は、鬼のような形相で、赤兎馬に鞭を打って走り続けたのであった。
一方、反董卓連合軍は、ここぞと言わんばかりに、董卓軍を追いまわしていた。と、その時、一人の斥候が袁紹のもとに駆けつけ、
「大変です。総司令官様…洛陽が煌々と燃えておりますぞ」
「何っ!」
その報告を聞いて彼は、ぎょっとなった。そして、
「恐らく、董卓が火を放ち、洛陽から脱出したのだと思われます」
「おお…何と言うことだ。あの荘厳で麗しい洛陽の街が炎に包まれただと」
固めた拳を震わせながら、そう発したのだった。
「袁紹どの…もしかしたら、逃げ遅れた者もおるやもしれません。至急、洛陽へ急行し、状況を確認しましょう」
傍らにいた曹操が助言すると、彼は、
「うむ。我ら義勇軍は、民のために立ち上がった軍勢だ。民を救うことこそ、我が軍の使命である」
大きく頷いた。こうして、袁紹は、董卓軍の追撃を取りやめ、軍勢を洛陽へ向かわせたのであった。
だが、この追撃の最中で、総司令官の命令を無視して、呂布たちを追いかける集団があった。それは、済北の鮑信が率いる一軍である。
「このチャンスを逃すと、再び奴らは息を吹き返すことになる」
勇猛果敢な武将として名高い鮑信は、その武勇を遺憾なく発揮させながら、逃げ遅れた董卓軍の兵士たちを突き殺していった。
「なんと、しつこい」
呂布は、手綱を緩めることなく、荒れ果てた谷間の道を駆け抜け、函谷関を目指したのであった。ちなみに、函谷関は、洛陽より西にある大きな関門で、長安へ続く道の途中にある要衝だった。洛陽にとって、東の守りが汜水関ならば、西の守りは、この函谷関となる。
「あと、もう少しで函谷関に着くぞ。もうひとふんばりだ」
呂布は、そう声を張り上げて、味方に生きる希望をもたせようとした。すると、背後から鮑信が、疾風の如く追いついてきたのだった。そして、
「そこにいるのは、呂布とみた。この鮑信と勝負しろ」
ためらうことなく、彼へ一撃を放った。
「むう!」
呂布は、鮑信の鋭い一撃を受け止めて唸ったが、間髪を入れることなく反撃した。
「こしゃくな!」
しかし、彼はその攻撃をさらりとかわして、すかさず攻撃に転じた。
「食らえ!」
「おっと!」
呂布は、鮑信の繰り出す連続の突きに対して、方天画戟を巧みに操って裁き、
「見事な槍裁き…恐れ入ったぜ」
ニヤリと笑った。と、その時、この谷間で、あふれんばかりのドラの音が響き渡ったのであった。
「むう…敵の援軍か」
鮑信は、敏感に反応して、函谷関の方角を見据えた。すると、前方から董卓軍の兵士たちが、続々と現れた。そして、
「ふんばれ、呂布どの…この薛蘭が、加勢に参ったぞ」
函谷関を守っている徐栄将軍の部下の薛蘭が、そう大きく声を発したのだった。徐栄は、汜水関の将兵が敗走していると耳にしたため、すぐに彼へ指示して、兵をまとめて出撃させたのであった。
「おお…薛蘭どのだったか、かたじけない」
味方の軍勢であることを確認した呂布は、笑顔を取り戻し、大きく答えた。すると、鮑信は、
「これは、一度引き揚げた方が、よさそうだな」
すばやく馬首を返して、その場から立ち去っていったのだった。