第10話
呂布が献帝の親衛隊長となってから数年の年月が過ぎた頃、洛陽よりはるか東に位置する陳留という土地で、ある英雄が董卓打倒に向けて挙兵しようとしていた。彼の名は、曹操、字を孟徳と言った。曹操は、首都・洛陽で将校として仕えていたが、董卓が洛陽を占拠すると彼の暗殺を企てた。しかし、その計画は露見してしまったため、都落ちをするハメとなり、出生の地である陳留に戻っていたのであった。
「今の後漢は、董卓の暴政によって、民草たちは大いに苦しんでいる。何とか、この状況を打開する手立てはないのであろうか」
曹操は、自軍の兵力だけでは到底かなわないため、それを打開する策を練っていたのであった。と、その時、何かがひらめいた。
「そうだ…帝から董卓の討伐命令を受けたことにしよう。そして、各地の有力諸侯に呼びかけ、巨大な連合軍を築きあげれば、勝算は十分にあるぞ」
そう思い立った曹操は、帝から勅令を受けたと偽り、董卓の暴政に対する非難を手紙に添えて、各地の有力諸侯たちに送ったのであった。
その文書は、当時董卓に次ぐ勢力を持ち、渤海を拠点としていた袁紹のもとにも届いた。袁紹は、勅命を受けて渤海の地へ就任する以前に、曹操と共に首都・洛陽で将校として仕えていた時期があったため、彼と親交があったからだ。
「ふむ。確かに、曹操の言うように、このまま董卓を野放しにはできぬな。しかし、曹操は本当に帝から勅令を受けたのであろうか」
袁紹は、あご髭をなでながら、首をかしげた。すると、横に控えていた参謀の田豊が横やりを入れてきた。
「例え偽勅であっても、曹操の言葉には大義名分があります。董卓によって苦しんでいる者は数知れず、皆彼を恨んでおります。各地の諸侯たちは、この激に賛同し、曹操の元へ集まることでしょう。ならば、我が軍も遅れを取ってはなりますまい」
田豊の助言に、袁紹は大きく頷いた。そして、
「そうだな。ならば、我が軍も大軍を率いて参ろうぞ」
軍備を始めたのであった。
こうして、曹操の激文を受けた各地の諸侯たちは次々と挙兵し、反董卓軍連合軍に参加していった。参加したメンバは、曹操や袁紹の他に、寿春の袁術、江東の孫堅、冀州の韓馥、譙の孔伷、河内の王匡、濮陽の喬瑁、北平の公孫瓚、済北の鮑信、東武陽の臧洪などであった。ちなみに、現時点では諸侯でないが、後の三国鼎立時で英雄の一人となる劉備、字は玄徳も参加をしている。そして、反董卓連合軍は、総大将を袁紹、参謀を曹操として軍容を整えると、
「ここに集いし義勇の士たちよ。今こそ、我らの力を結集して、国家に巣食う大逆臣を討ち払い、我らの大義を天下に示すのだ」
袁紹の演説に、諸侯は拳を大きく突き上げ、尽忠報国を掲げて洛陽へ迫ったのだった。
そうした動きを察知した董卓は、急いで配下たちを集め、緊急会議を開いた。
「皆の者…今、各地の諸侯たちが天子様に対して刃を向けて集結し、この洛陽へ攻め込もうとしておる。このような逆賊どもは、一刻も早く駆逐せねばならぬ。皆が一丸となって、この困難を乗り越えようではないか」
董卓は、そう激を飛ばして、部下たちを奮い立たせようとした。すると、上座に座っていた献帝は、
「朕は戦による大量の血を流す解決は好まぬ。皆の者…朕の名を勝手にかたり、利用する曹操と言う不逞な輩を一刻も早く捕らえてくれ」
と、諸将たちに訴えた。それを拝聴した呂布は、献帝に対して、
「はっ…この呂布が、必ずや下手人・曹操をひっ捕らえてみせましょう」
そう誓った。
(親衛隊長の分際で、何をえらそうなことを…)
董卓は、心中では面白くなかったが、話を進行させるために気を取り直して、
「では、我が軍の陣容だが、総大将は歴戦の猛者である華雄将軍とする」
と、淡々と述べて、呂布にこう尋ねた。
「呂布どのには、副将をお願いしたいと考えているが…いかがかな」
「異存はありませぬ。華雄将軍のもとで、武功をあげてみせましょう」
「うむ、うむ…頼もしい限りじゃ」
その答えに、董卓は、にこにこしながら頷いた。
「それでは、大将軍様…直ちに準備をしたいと思います。吉報を、お待ちあれ」
華雄は、そう宣言すると、諸将たちを連れて、戦の準備に取り掛かったのであった。
緊急会議の終了後、董卓と李儒は別室にて話をしていた。
「くそ、いまいましい。何で、呂布を副将にせねばならんのだ」
董卓は、そう愚痴を言いながら、辺りをうろついた。
「帝のご命令であれば、いたしかたございますまい。それに、奴の武勇は他を圧倒しております。毒は毒を持って制すべしとも言いますゆえ、徹底的にコキ使ってやれば宜しいでしょう」
李儒が言い終わると、董卓は間髪をいれずに、こう話した。
「奴に軍勢を預けて、本当に大丈夫であろうか。逆賊どもに寝返る可能性はないのか」
「それは、大丈夫でしょう。逆賊に寝返ることは、帝を裏切ることになります。あれだけ、帝の信任の厚い者が裏切るはずは、ございません」
「むむ…そうじゃのう。ならば、後は呂布が奴らとの戦いの中で戦死でもしてくれれば、万々歳ということか」
董卓は、そう言って、ニヤリと笑ったのであった。
呂布は、反董卓連合軍と戦う準備をするために、宮廷を出ようとした。と、その時、ふいに二人の男たちに呼び止められたのだった。
「お努め、ご苦労さまです」
「呂布どの…これから、戦の準備をされるのですか」
伍瓊と周毖に声をかけられた彼は、思わず笑顔を見せた。
「おお…伍瓊どのに、周毖どのではないか。いかが致した」
この城門校尉・伍瓊と尚書・周毖は、彼が洛陽で帝の親衛隊長を務めるようになってから仲良くなった無二の親友だ。
「この度の戦で、呂布どのが官軍の副将として出陣されると話を伺ったので、挨拶をしておこうと思った訳だ」
伍瓊が、そう言うと、呂布は、
「そうだったのか。ありがとう、伍瓊どの」
丁寧に頭を下げた。すると、周毖は、
「しかし、ついに世に点在する反董卓派たちが動き始めましたな。聞いた話では、反董卓連合軍は相当な数の義勇兵を集めたそうだぞ」
眉をひそめた。それに対して、彼は、
「そうだな。それだけ、董卓の暴政に不満を持つ者が多いということだろう」
毅然とした態度でさらりと答えた。
「呂布どのは、董卓の片棒を担ぐことに抵抗はないのか」
その伍瓊の言葉に、呂布は表情を陰らせた。
「言っておくが、俺は董卓のために働く気はない。全ては、天子様のためだ。めったなことを言うでない」
「そうだったな…どうやら、いらぬことを聞いてしまったようだな。すまん」
彼が、そう謝罪をすると、周毖は穏やかな顔で、こう言った。
「我らは、宮中にあって董卓の所業に異を唱える同志だ。これからもお互い連携を取って、共に董卓の野望を阻止していこう」
「うむ。こちらこそ、宜しくな」
呂布は、そう言って、彼らと互いに顔を見合わせて握手した。
「しかし、今回は連合軍とあって兵の数が半端ではない。気を引き締めてかからないと命はないぞ」
「その通りだ。こんなところで、お前に先立たれたのでは、まさに董卓の思うつぼだからのう」
伍瓊と周毖が、そう続けて言うと、
「案ずることはない。反董卓連合軍など所詮は烏合の衆だ。ひとたび乱れれば、あえなく壊滅するであろう。それに、この俺の武勇に勝る者など、そうたくさんはおらぬ」
呂布は大きく笑った。
「わしは、お前を心配して言っているのだぞ」
「我らは、同志であると共に親友でもあるのだ。絶対に死ぬようなことがあってはならん」
伍瓊と周毖の続けざまの言葉に、
「ありがとう。肝に銘じておくよ」
呂布は感慨深そうに頷いた。洛陽に来て以来、見知らぬ者ばかりに取り囲まれて、心を落ち着けることのなかった彼にとって、その言葉はとても有難く感じたのだ。そして、
「それでは、急いで準備に取り掛からないといけないので、これにて失礼する」
と、言って、深く頭を下げた。
「呂布どの…ご武運を祈っておりますぞ」
「どうか、お気をつけて」
伍瓊と周毖は、彼の姿が見えなくなるまで、手を振り続けたのだった。