第9話
「本当にありがとうございました。なんと、お礼を言ってよいやら」
「気にすることはない。困ったときは、お互いさまだ」
原住民たちのお礼に、呂布は笑顔で応えると、
「よし…では、万能薬の捜索を続けるか」
使節団に向かって号令をかけた。すると、ふいにガネーシャが首を振ったのだった。
「どうした」
彼が、そう尋ねると、ガネーシャはゆっくりと向きを変えて、おもむろに歩き始めたのであった。不審に思った彼は、
「万能薬のもとが、そっちにあるとでも言うのか」
と、聞くと、威勢の良い声で答えたのだった。
「動物の勘は、鋭いと聞きます…この土地に慣れない我らが、闇雲に捜すよりは、当たっているかもしれませんぞ」
伏完が、そう言うと、
「ふむ。ならば、任せてみるか」
呂布たちは、ガネーシャの進む向きに従って歩き出したのであった。
それから間もなくして、ガネーシャにまたがった呂布たち使節団は、さらに奥地へと進み、とある泉のほとりにたどり着いた。すると、ガネーシャはぴたりと歩みを止めて、鼻先をある方向へ向けたのだった。
「あそこにあると言うのか」
呂布は、彼の背中から降りると、使節団の仲間を連れて、その方角に向かって歩み寄った。すると、
「間違いない…仙人より頂いた書物に書いてある通りの野草だ」
サンスクリット語を解読し、頭の中にその知識を叩きこんだ伏完は、少々興奮気味に声を発した。そして、
「おお…こっちの花のなる草も配合しなければならない材料ではないか…それに、この木の皮も」
辺りをぐるぐると回り、大喜びしたのであった。
「これで、一つ目の任務は完了ですな」
「うむ。陛下も大いに喜ばれることだろう」
こうして、彼らは、何本かの野草と野花を持ってきた鉢に植え替え、樹木は新芽となって生えているものを採取して、残りの鉢に移したのだった。
一つ目の任務を完了し、士気が上がる使節団は、疲れを忘れたかのように歩み出し、二つ目の任務である経典の漢訳の修正をするべく、クシャーナ朝の都・プルシャプラを目指したのであった。
「うん…何か見えてきたぞ」
ガネーシャの背の上から、呂布は、おもむろに立ち上がった。
「おお、仏塔だ。しかも、なんと大きい」
「あの天に向かって高くそびえる塔こそ、まさしくカシニカ王が建てたもの…プルシャプラの都は、もうすぐですぞ」
厳仏調は、指を差して、そう唸った。当時の建物で考えれば、その仏塔は群を抜いて高さがあったため、遠目で見ても一目瞭然であり、その存在感は圧倒的だ。
「ありがたや、ありがたや」
厳仏調は、その仏塔に向かって手を合わせ、感謝の意を示した。
「厳仏調どの…それは、まだ早いですぞ。先を急ぎましょう」
「そうじゃったな」
穏やかに笑う伏完に、彼は笑い返したのだった。
そして、使節団は、半年もの歳月を経て、ついに最終目的地であるプルシャプラの都にたどり着いたのだった…
「漢の国より、使者が参ったと取り次いで下さらぬか」
プルシャプラの護衛は、その巨象を見て肝を冷やしたが、すぐに冷静さを取り戻して、王のもとへと走っていった。
「お前の巨体に、みんなが驚いておるぞ」
呂布は、笑いながら、ガネーシャの頭をなでると、彼は大きな耳をパタパタさせて、今の気持ちを表現したのだった。
こうして、彼らは、謁見の間にて、王と向き合ったのであった。
「遠路より、よく来られた。あなた方を歓迎致しますぞ」
王は、そう言って、両手を広げた。
「お目通りさせて頂き、至極感激にございます」
伏完は、深く頭を下げて、お礼を述べると、
「このたびは、如何なるご用件でございますか」
彼は、そう尋ねた。
「はい。このたびは、我が漢の国に伝わった四十二章経のことで参りました」
と、漢訳が不十分なので修正したいと申すと、
「うむ。殊勝な心がけですな。我が国も仏教を信仰しておりますゆえ、お気持ちはようわかります。ならば、我が国の高僧を連れて参りましょう」
王は、部下に命じて、都にいる高僧たちを呼び集めたのだった。
そして、厳仏調と伏完は、プルシャプラの高僧たちと共に翻訳の修正作業に取りかかったのだった。
「どうやら、順調に進んでおられるようですぞ」
高順が、夢中になって木彫りをしている呂布に、そう話しかけると、
「うむ。それは、なによりだな」
彼は、手を休めることなく、それをひたすら彫り続けながら頷いた。
「一体、何を彫られているのですか?」
「金人様だ…翻訳の修正が終われば、洛陽に戻らなければならぬ。それゆえ、旅の安全を祈願して彫っているのだ」
その話に、高順は、
「もしかして、仏教の信者にでもなられましたのか」
と、尋ねると、
「すばらしい教えではないか…礼を重んじる儒教も良いが、弱きを救う仏教は、俺にぴったりの教えだと思うているのだ」
呂布は、淡々と答えた。
「どうやらこの旅で、殿は、一枚も二枚も皮がむけたようですな」
「お世辞など言っても、何も出ぬぞ…洛陽に戻れば、また陛下にコキ使われるであろうからな」
「実は、それが嬉しいのでは、ありますまいか」
「まあな」
そう言って、二人は、大笑いをした。と、その時、クシャーナ朝の王が、忽然と彼らの前に現れたのであった。
「随分、楽しそうですな」
「これは、これは…とんだ、粗相を致しました」
「よいぞ…ここにいる時ぐらい、気楽にされよ」
王は、そう言って、にこやかに笑うと、
「貴殿より頂いた巨象は、見事な体格である上に、なかなか賢いので大変気に入っている。その礼を言いたくて、ここへ来たのじゃ」
「お気に召されましたか。有り難き、幸せに存じます」
呂布は、丁寧にお辞儀をした。彼が連れて来た巨象は、友好の証にとクシャーナ朝の王に献上したのであった。
「ただ、頂いてばかりでは申し訳ないので、わしもそなたに何か送りたいと思うてのう。かような物を用意したのじゃ」
王は、そう言うと、金色の箱を持たせた召し使いを部屋に招き入れ、
「どうぞ、お受け取りください」
それを開けて、彼に贈呈の品を見せた。すると、そこからは、108個の飴色の球をひもの束で通した輪っかのようなものが現れたのだった。
「これは」
「数珠と申す…仏教で扱う仏具の一つで、祈祷をする時や念仏を唱える時に用いるものじゃ」
王が、ニコリと笑うと、
「かような貴重な品を頂けるとは、感激の至りにございます。さらなる精進をし、仏事に励みたいと思います」
呂布は、その数珠を受け取って、感謝の意を述べたのであった。
こうして、翻訳の修正も無事に終わり、役目を果たした使節団は、王にお礼を述べて、洛陽に向けて出発した。そして、彼らは、洛陽より来た道をたどりながら、懐かしい故郷を目指して行進したのだった。
「この数珠は、妙にしっくりとくるな」
呂布は、左手に巻き付けた数珠を眺めながら、小さく笑った。
「洛陽に戻ったら、たびたびお寺にお越しください…歓迎しますぞ」
「そうだな…よろしく頼む」
その言葉に、彼は大きく頷くと、厳仏調は、
「帰路の途中、少しそれたところにブッダガヤと言う街があります。お釈迦様は、その地にある菩提樹の下で座禅をし、苦行の末に悟りを開いたと言われております。折角、ここまで来たのですから、拝観しに参りませぬか」
口添えした。
「そうだな…是非、お願いしたい」
仏教に興味を持ち始めた呂布は、二つ返事で答えると、一向はブッダガヤの街に訪れた。ブッダの菩提樹は、無憂樹、沙羅双樹と並ぶ仏教聖木の一つで、仏教三大聖樹とされている。この植物は、クワ科イチジク属のインドボダイジュで、熱帯地方では高さ20m以上に生長する常緑高木であり、葉の先端が長く伸びる特徴を持つ。
「ご覧ください…あの大木が、菩提樹です」
目的の大木を見つけた彼の一声に、
「釈尊は、ここで真理を悟られたのか」
呂布は小さく頷くと、菩提樹に歩み寄り、ゆっくりと上方へ目を移していった。しばらくの間、空一面を覆い尽くさんばかりに広がる緑の大天井を、感慨深げに見上げていると、傍にいた高順が、ふいにこう話しかけてきた。
「我らもお釈迦様を見習い、もっと精進せねばなりませぬな」
その言葉に同意を示すと、呂布は合掌し、
「我が国は、混迷しております。愚かな我らではありますが、努力を惜しむつもりはございません。どうか、慈悲を持って、お導きくだされ」
覚えたばかりの念仏を唱え、敬礼したのだった。
その後、使節団の旅は続き、ようやく彼らは、チベット高原の北東部に差しかかったのであった。
「あと少しで、青海湖につくな」
呂布が、そう口にすると、無吾は、
「はい。久しぶりの故郷ゆえ、少し緊張しております」
穏やかに笑った。
「ははは…長い間、付き合わせてしまって、悪かったな」
「そんな、とんでもない…呂布どのの仕事を手伝えて、光栄の限りです」
と、その時、使節団に村人らしき者が、慌てた様子で駆けつけてきた。
「おお、無吾様…よくぞ、戻られました」
「どうした、そんなに慌てて」
そう聞き返すと、村人は息を切らしながら続け、
「大変です。先日、村に大きな地震が起こり、家屋は倒壊し、田畑はめちゃくちゃになってしまいました」
「なんだと」
その話に、仰天した。
「無吾どの…急いで、様子を見に行くぞ」
「うむ」
呂布は、使節団に後から来るよう命令し、赤兎馬にムチを入れて、無吾と共に彼らの村へ向かったのだった。
無吾たちが住む村に到着した二人は、その被害状況に愕然とした。村では、家を失った人々やけが人であふれ、炊き出しが行なわれていたのだった。
「なんと、これはひどい…あちこちで、大地が隆起と沈下を起こし、まともな家が一つも無いではないか」
呂布は、思わず息を飲んだ。
「ご覧の通りにございます。今回の地震で、多くの村人が亡くなられました」
「あの金色に輝く裸麦畑の風景が、このような地獄と化すとは」
あまりのことに、無吾は大地に顔をつけて泣いた。
「無吾どの…泣いている場合では、ござらん。我ら使節団も手伝うゆえ、一刻も早く復旧作業を行いましょう」
それを聞くと、すっと顔を上げて、
「いや…これは、我々の問題です。呂布どのの手を煩わすなど」
と、言いかけると、
「困った時は、お互い様だ。ここで、お主たちと会ったのも何かの縁と言うものだろう。我ら使節団は数百人もいるのだ。この労力を使わなくてどうする」
「いや、しかし…」
「いいから、手伝わせてくれ。道中を護衛してくれたお礼だ」
呂布は、にこやかに、そう言った。と、少し遅れてから、使節団の姿が現れると、
「じゃあ、ちょっと話をしてくる。そこで、待っていてくれ」
彼は、それに向かって走っていったのだった。
「なんと、お優しいお方だ。心より、感謝致します」
無吾は、その様子を見ながら、呟いたのであった。
そして、無吾たちの村の復旧作業が始まったのだった。その作業で、呂布は、陣頭指揮を取りながら、自らも作業に加わり、労苦を共にした。ある時は石を運び、またある時は、地面を均すために鍬を手に取り、そしてまたある時は、屋根の上にあがって家屋の修繕を行ったのだった。こうして、使節団の手を借りた作業は着々と進み、予想をはるかに上回る速さで、村は元の状態に戻ったのであった。
その後、使節団は、無吾たちに青海湖まで見送られた。
「呂布どの…それでは、我らはここで失礼させて頂きます。今回の旅は、とても有意義なもので、貴重な体験をしました。そして、我が村の復旧にまで携わって頂き、感謝し尽くせぬ思いでございます。本当に、本当にありがとうございました」
無吾たちが、深々とお辞儀をすると、
「こちらこそ、大変世話になったと思っている。感謝するぞ」
呂布も満面の笑顔で、お礼を言った。
「どうか、いつまでもお元気で」
「ははは…お主こそ、達者に暮らせよ」
呂布たちと別れた羌族の者たちは、彼らが地平線に消えゆくまで、その場から離れることなく、ずっと見送り続けたのだった。
こうして、一年半の年月を経て、彼らは洛陽への帰還を果たし、献帝よりお褒めの言葉を頂いたのであった…