ふるとり
どれくらいの間僕は歩いていたのだろう? 家を出るころにはまだ東の地平線近くにあった太陽が、すでに真上に来ている。だいぶ遠くまで来てしまった。そろそろ保護地区に入ってしまうだろうか。帰らなくては。
それでも、僕は歩き続けた。
保護地区には、僕ら一般森民が入ってはいけないことになっている。一般森民は保護地区に何があるのかさえもほとんど知らない。僕が保護地区について知っているのは、そこには僕らが見たことのないような、不思議な生き物が生きているということだけだ。昨日まで、そんな場所のことなど知りたいとも思っていなかったのに。
胸の前にぶら下がっている、紐につながれた不格好な楽器がカランと乾いた音を響かせた。悲しい音。
楽器は中心となる管から、いくつもの棒が突き出たような形をしている。素材はよくわからない。冷たくて硬くて、汚れた白に近い色。僕はその楽器の演奏の仕方さえも知らない。
突然、森が途切れ開けた空間についた。森の薄暗さに慣れ親しんだ僕は、あまりの眩しさに顔をしかめる。膝より低い高さの野草と、まばらに生えた樹。広すぎる視野。なんだか落ち着かない。
よく見ると少し遠くにある樹の下にヒトが座っていた。とりあえず僕は、そこへ向かうことにした。
それは少女であった。髪の短い、可愛らしい少女だ。彼女はまだ僕に気付いていない。彼女はその手のひらの上にいる小さな灰色の鳥を見つめていた。僕の見たことのない鳥。
少女はおもむろに小さな鞄から何かを取りだした。それが何かは僕にはよく見えない。彼女がそれを口にあてると、綺麗な音が響く。僕の心臓が高鳴った。彼女が持っていたのは僕の不格好な楽器と同じものだった。
その心臓の音が聞こえたのだろうか、少女は僕の方へ振り向いた。
「こんにちは」
僕は少女を怖がらせないように、やさしい声で挨拶をした。彼女は静かに微笑んんだ。そして挨拶を返す代りに、少女はまた楽器を演奏してくれた。先ほどと同じ、綺麗で優しい音色。でも、その中に少しだけ悲しい音色が聞こえた気がするのは、僕の聞き間違いだったのだろうか。少し演奏すると口元から楽器をはなし、彼女はまた微笑んだ。
「その楽器、僕のやつと同じものだよね」
僕は自分の楽器を見せた。少女はそれを持ち上げよく眺めた後、頷いた。
「僕、この楽器について調べに来たんだ。君はこの楽器の名前を知ってるかい?」
少女は何も答えなかった。そういえばこの子、僕に会ってから全く声を出していない。一般森民とは話してはいけない決まりでもあるのだろうか。これでは僕がわざわざここまで来たことが無駄になってしまう。
「なんでもいいんだ。この楽器について何か知っていることを教えてくれ」
少女は手のひらの上にのせた鳥を見た。この鳥もずっと鳴いていない。こんなにも静かな鳥を、森の中では見たことがなかった。少女はその鳥の体を両手で包み込んだ。ちょうど鳥の頭だけ、彼女の手の外へ出ている状態である。彼女は鳥ののど元を親指で軽くつついた。鳥は首をかしげる。彼女は今度は強く、鳥ののど元へ親指を押し付けた。
「そんなことをしたら鳥が死んでしまうよ!」
僕は叫んだが、少女は黙って鳥ののど元を押し続けた。非力な鳥は為すすべもなく、声も立てずに息を引き取った。
「なんてことをするんだ」
少女は何も答えなかった。彼女は僕の言葉も無視し鳥の羽をむしる。羽だけではない。その皮も肉も内臓も取り去さった。おとなしい少女が突然こんなことをするなんて、僕は自分の目を信じることができなかった。
やがて少女は一本の骨を僕に見せた。それは鳥の体から取り出した骨だった。僕の胸元を指差す。この楽器は、鳥の骨から出来ているんだ、と。
少女は鞄の中に骨をしまった。覗いてみると、その中には同じような骨がたくさん入っていた。
僕は帰ることにした。結局何もわからなかった、そういうことにしよう。
帰る途中、誰もいないところで、そっと楽器を吹いてみた。少女と同じようにやったつもりなのに、僕の場合は不細工な音が響いただけであった。彼女みたいに上手く吹けやしない。僕は、あの鳥の鳴き声だって知らないんだ。もしかしたら、この楽器の音こそ、あの鳥の鳴き声なのかもしれない。
それでも、僕は何度も吹いてみた。
ケルー、ケルー
不細工な音が森に響く。