瓜の花咲くその後に
直接的に残酷な描写はありませんが、若年者には不適切な内容が含まれている可能性があります。自己責任でご覧ください。
今年は、瓜の出来が良いのだそうだ。
真っ青な空の下、まっさらな地面にゆるゆると蔓を伸ばし、懸命に葉を茂らせ、やがて丸々とした実をいくつも肥え太らせる。
今年は。
瓜の出来が良いのだそうだ。
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「・・・・?」
「おじちゃん。ぎんゆうしじん?」
おじちゃんとは何事だ、と両目を吊り上げかけて、吟遊詩人は自分の腰にまとわりついてきた子供の顔を見下ろす。
丸い目がじいとこちらを見上げる様が、すべてを見透かすような視線で。
がんじがらめにされそうな視線に圧倒されかけて、彼は腰を落とすと、子供の目を覗き込んだ。
「そうだよ?」
「たびびとさん?」
「うん。」
視線を落として、まず気がついたのは。
「・・?どうした? 首に包帯なんか巻いて。怪我でもしたのか?」
その質問に、子供は首をかしげて上を見上げながら眉根を寄せた。その視線の先には雲ひとつ無い、深い色の空が広がっている。
「わかんない。」
「わかんないのか。」
「うんー。ねぇ、おじちゃん。さっきお歌歌ってたよねぇ?」
おじちゃん、はどうにかしてほしいなぁと苦笑いしながら、一応二十代の吟遊詩人は首をたてに振る。
「うん。」
「おじちゃん、さっきのお歌ボクまた聞きたいなぁ。」
つぎはぎの目立つ服と布の間のようなものを身にまとい、焦点の定まらない視線で人が千切れ雲のようにふらふらと横切るテントの間で、かろうじて道らしく人が往来するスペースで、少しばかりの慰めにと、彼が爪弾いた音が、子供の気に入るものであったらしい。
「そうか。」
「うんー。」
鮮やかな織物を地面に敷いて、吟遊詩人は荷物の中から楽器を取り出し、座る。その隣でぴったりと寄り添うように座り込んで子供がわくわくと目を輝かせている。
妙な子供だと思うが、その人懐こい笑顔にほだされて彼は楽器を爪弾き、とおりの良い声を響かせた。
「良い声だな。吟遊詩人さん。」
「ありがとう。」
一曲終えたところで、吟遊詩人に声をかけたのはしわがれた声の老人である。
老人、と一口に言っても。
しわだらけのまぶたの奥のその眼光は炯炯として、闇を射抜くように鋭く。
しわがれてはいるものの、言葉は歯切れ良く、人を圧倒させるような迫力があるようだ。
「見かけない顔だな。ここにはいつ来た?」
「今日の昼です。ここ数日の内に着きたい町があって。」
そういった吟遊詩人の言葉に、老人の顎鬚がもぞもぞ動く。
「運が良かった。つい半月ほど前までは戦場だったぞ。」
「やや・・。」
吟遊詩人は、目を丸くした後、周囲のテント小屋をぐるりと見回して息をついた。
どうりで、家らしい家が一見も見当たらず、瓦礫の山と、崩れた石材があたりにごろごろと転がっているわけである。
「戦の間。町から外に出ることが許されなかったのです。数日前に移動が許可されたので戦が終わったのだとは思っていましたが・・。」
「おじちゃーん! みてみてぇーーー! おぉーきぃーよぉーー。」
いつの間にか、傍らから離れていた子供の呼ぶ声に、吟遊詩人が顔を上げると。大きな籠を引きずりながら、丸い顔をくしゃりとゆがませて子供が笑っている。
その体に大きすぎる籠にはごろんごろんと緑の円筒形の塊が転がっていた。
「瓜か。でかいなぁ。」
「南瓜もあるよー。おじちゃん、一緒にたべよー?」
「坊。ばあさんに見せる前に瓜を割るなよ。」
わかったぁーーと言いながら、子供は籠を引きずり、テントの帳をめくって中に入ってゆく。
「・・・・お前さん、坊の父親に声が似ているからな。懐かれたんだな。」
「あの子の親は?」
吟遊詩人の言葉に、隣で煙草が無いかと懐を探っていた老人は首を振った。
「とうの昔に死んだ。坊の父親は一年前に騎士の馬にはねられた。母親は・・。」
煙草が無いと残念そうな老人に、吟遊詩人は荷物の奥に押し込んでいた刻み煙草の壺を差し出した。自分では吸わないが、煙草や酒といった嗜好品の類は持っていて損は無い。いざというとき、役に立つものである。
「こいつはすまんね。なにせここ一年、戦いくさで、食い物はほとんど兵士に取られ、泥水をすするような生活だったからな。煙草どころでは無かったよ。ちびちびと手持ちを吸っていたが、だいぶ匂いも飛んで、湿気た葉の塊しか口にしていなくてね、そいつも無いとなるとこいつは困ったもんだと思っていたところだ。あぁ、これは、良い品だ。ありがたい。」
「あの坊やの母親は?」
その言葉の答えを、吟遊詩人は大分待つことになった。
乾いた煙草のにおいにうっとりと目を細め、煙管に少し葉をつめ、火をつけ、勢い良く吸い込んで紫煙をはくまでの一連の行動がすべてにおいて、老人にとってはいとおしく、貴重な時間であったらしい。
「あの子の母親は。」
その言葉が聞かれたのは、青い空に紫煙が吸い込まれ始めて随分と時間がたっていた。
「兵士の数人に、そりゃぁ無体な目に合わされてなぁ。止めてやりたかったが、みな自分の命惜しさに誰も手出しできなんだ。幾日も、幾日も辛い目におうて。もう生きている気力も無いと、自分で首を掻き切った。・・・坊も一緒に連れて行こうしたらしいが、自分の子供に刃を向けるのは、さすがに躊躇したのだろう。力が足りずに連れて行くことにはならなかったらしい。」
「な・・・。」
「あと、数日じゃ。あと、数日待てば、戦も終わって死なずにすんだのにの・・・。あれから、あの子の記憶は一年分、消えたままじゃ。戦の間のことはなぁも覚えてない。」
老人が、紫煙をくゆらせているその隣で、楽器を膝においたまま、吟遊詩人は絶句したまま口を開くことができなかった。
「戦とは。そういうものだ。正義だなんだとお題目を振りかざしても。結局は“人殺し”以上でも以下でもない。」
老人は、もう少しもらっても良いかのうと壺を眺めて吟遊詩人を一瞥する。吟遊詩人は、どうぞ、と頷いた。
「お礼といってはなんだが。今日は、家に泊まっていきなさい。戦のすぐ後で、たいしたものは出せないが。雨風をしのぐテントと、湯浴みの出来る湯殿と南瓜のスープくらいはだせるぞ。」
「ご厄介になります。」
吟遊詩人は、素直に頷いた。
また、煙管に煙草をつめる一連の作業の間の沈黙のあと。老人は、遠くを見つめた。
「儂は生き残ってしもうた。坊の母親になーんにもしてやれなんだわ。かわいそうに、辛かろうと思うても、自分の命惜しさに、坊の耳目をふさいで隠れることしかできなんだ。・・・情けのうて、なさけのうて・・・・。儂は、誰を守ることも出来ずに、しかも、生き残ってしもうた。」
「・・・。」
吟遊詩人は、自分が何を言えばいいのか、わからなかった。
しばらく、ゆるりとした紫煙だけが空に昇っていくほかは、何も動かず、誰も口を割らなかった。
「・・・・吟遊詩人さん。坊の持ってきた瓜は大きかったろう?」
「え・・? あ・・。はい・・・。随分、大きいですね。」
突然の話に、しばらく呆けていた吟遊詩人は吾に返る。
戦と隣り合わせの生活で、畑の手入れがどれほどできたのだろうかと首をひねるが、検討もつかないので、ただ、頷いた。
「前に植えた瓜やら、誰かが食べのこした瓜の種から芽が出てな。ここのところ、このあたりでは瓜がよく肥えてのう・・。おかげで、なんとか食いつなぐことができそうだわい。」
「それは、よかったですね。」
にこりと口の端を引いて笑みをみせた吟遊詩人に、老人はちらりと一瞥するだけである。
「あの実は。」
その後。老人は冷ややかに言葉をつなげた。
「あの坊の父親を埋めたあたりから生えた実だ。」
「・・・・。」
「・・・わが身かわいさに、誰も救うことができない上に、屍を喰らって、それでも、儂らは生きていくのかのぅ。」
その声はむしろ、絶望にも聞こえた。
「・・・・・のう、吟遊詩人さん。」
老人の声は、紫煙と共に細く空へと吸い込まれる。
「あぁたの謡う歌には、英雄の死を悼む詩はあるだろうが、追い詰められた親に殺される子供の叫びは、あるのかい?」
「・・・・。」
吟遊詩人は、その問いに答えることはできず。
ただ、青空に吸い込まれる紫煙の行方を眺めていた。
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白い、少し端のかけたスープ椀の中央で、黄金色の塊がほっこりと湯気を立てていた。
「今日は旅人さんが、ベーコンを分けてくだすってねぇ。川沿いで、クレソンとパセリも見つかったし。ちょっと豪華だよ。」
「ばぁちゃん。ボク、おかわり。」
透明なスープに浮かぶ南瓜に小さく刻まれたパセリがちらちらと動いている。やや焦げ目をつけたベーコン独特の燻された香りが胃を刺激する。
「坊。たんと食え。」
「うんー。」
「ちゃんと食え。・・・・それは坊の骨と肉になる。ちゃんと食って・・・強くなるんだぞ。」
「うーん。」
老人は、含めるように言って聞かせると、そっと椀の端からスープを飲む。
「旅人さん、なんだか悪いね。助かるよ。」
「いえ。お邪魔したのはこちらですから。」
年老いた奥方の言葉に、吟遊詩人は柔らかく笑った。
目の前の、椀によそわれた黄金色の塊をそっと見つめて。
吟遊詩人は椀を手に持つと、中央でころんと転がる南瓜をそっとスプーンで割る。
「頂きます。」
「おじちゃん。おいしーよ。」
子供のあまりに無邪気な言葉に、吟遊詩人はにこりと微笑む。
彼は、ゆらりと揺れた塊をスプーンですくうと、一口ずつ、ゆっくりとかみ締めた。
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戦の後は
瓜の出来が良いのだそうだ。
真っ青な空の下、まっさらな地面にゆるゆると蔓を伸ばし、
大地に眠る屍を喰らって育つ瓜は、たいそう大きく。
彼らが、泥だらけの手を伸ばして欲しがった水をはちきれんばかりに溜め込んで、切れ目を入れるだけで自ら口を開くのだそうだ。
戦場の、その後には
・・・・瓜の出来が良いのだそうだ。