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戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


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第7話: 末森、那古野に慄く

 聖徳寺(しょうとくじ)での会見から二ヶ月。


 那古野城の空気は、ある種の『|機能的な冷徹さ』を帯びるようになっていた。


 早朝。中庭を埋め尽くす数百の足軽たちが、一寸の乱れもなく槍を繰り出す。


 かつての戦場にあった「我こそは」と叫ぶ個人の武勇の気配はない。そこにあるのは、太鼓の鼓動に合わせ、数百の穂先が銀の壁となって空を穿つ、無機質な反復作業だ。


 信長様は、本来なら農繁期で村にいるはずの農民たちを、銭を投じて城に留め置いていた。


(……これ、のちの歴史で語られる『兵農分離(へいのうぶんり)』の始まりだわ)


 教科書では、信長様が天下を狙う過程で生み出した革新的な制度。けれど、目の前の彼は、まだ二十歳を過ぎたばかり。私が教えたわけでもないのに、私の起こした、組織内の摩擦を減らすという小さな変化を受けただけで彼は持ち前の合理性で、「銭で時間を買い、専門の兵を育てる」という答えに辿り着いてしまった。




 私は回廊の陰から、その光景を静かに見守っていた。


 だが、この急進的な改革が生む「歪み」もまた、限界に達しようとしている。


 那古野城内に響く長槍の突進音は、伝統と誇りを重んじる末森城の面々にとって、自分たちの生き様を否定する不快な「不協和音(ノイズ)」でしかなかった。


 そして今日。その歪みが、広間にて爆発した。




◆◆◆




 広間の空気は、氷点下まで冷え切っていた。


 上座に胡坐をかき、退屈そうに火縄銃の部品を弄ぶ信長様。その正面には、端正な直垂を纏った弟・織田勘十郎信行かんじゅうろうのぶゆき様が、怒りに肩を震わせて座っている。


 背後に控える林秀貞(はやしひでさだ)殿、そして猛将・柴田勝家(しばたかついえ)殿の視線は、もはや主君を見るものではなく、得体の知れぬ化け物を凝視するそれであった。


「……兄上。それがしは、今の那古野の有様をこれ以上黙って見てはおれませぬ」


 沈黙を破った信行様の声は、屈辱に震えていた。


「武士とは、日々の研鑽により己の武芸を磨き、戦場で一騎当千の働きをすることにこそ誉れがある。それを兄上は……昨日まで鍬を握っていた農民を銭で買い叩き、長い棒切れを持たせ、揃って突く練習ばかり。我らが培った『矜持』を捨てろと仰るのか!」


 後ろで勝家殿が畳を拳で叩く。その目は、血走っていた。


「左様! 某が手塩にかけて育てた精鋭たちは、如何なる敵をも屠る猛虎。三間半などという無様な槍など、我が精鋭の踏み込みの前にはただの棒きれに過ぎませぬ! 無駄な遊びはそれまでになされよ。これでは武士の心が離れ、織田の家は内側から腐り果てますぞ!」


 勝家殿の言葉は、この時代の「正論」そのものだ。

 だが、信長様は、火縄銃の部品をカチリと嵌め、ようやく顔を上げた。


「……勝家。貴様の精鋭、一人育てるのに何年かかる」


 短い問い。勝家殿が一瞬、言葉を詰まらせる。


「……五年、いや十年はかかります。それゆえにこそ……」

「その十年の重みが、戦場では『石礫一つ』で無に帰す。……それがどれほどの損いか分かっているのか」


 信長様は、壁に立てかけた三間半の長槍を指し示した。


「この槍の長さは、敵の槍が届かぬ距離から一方的に突くためのものだ。個人の武芸などという、不確かなものに家臣の命を預けるほど、俺は馬鹿ではない」


「……な、何を!」


「この長槍を揃えて壁を作れば、俺の大切な家臣が、敵と刃を交える前に敵を仕留めることができる。……つまり、この槍は、お前たちの命を『無駄に散らさぬ(そんしつをださぬ)』ための道具だ」


 信長様の言葉には、容赦のない「理」が宿っていた。  それは勝家たちが信じてきた「武士の美学」を、単なる「生存率という数字」に置き換えていく残酷な行為だ。だが、その残酷さの裏側にあるのは、主君として、一兵たりとも無駄に殺したくないという、あまりに強大で歪な責任感であった。


「個人の武芸で勝った負けたと騒ぐのは、戦ではなく『遊び』だ。俺は遊びに、家臣の命を支払う気はない」


「兄上、それは違います!」


 信行様が、身を乗り出して反論した。その瞳には、彼なりのリーダーとしての危機感が宿っている。


「道具が勝負を決めるのではありません。人を動かすのは『忠義』と『恩顧』にございます。銭で雇った農民が、命のやり取りの瀬戸際で、一体誰のために踏み止まるというのですか! 彼らは腹が減れば逃げ、金が尽きれば裏切る。長い槍を揃えたところで、それを支える『心』がなければ、戦場ではただの案山子かかしにございます。兄上のやり方は、織田家を支えてきた家臣たちとの絆を、根底から腐らせているのです!」


 功利主義に走る新興企業の社長に、創業時からの専務が「愛社精神」を説くような、切実な訴え。  だが、信長様は火縄銃の銃口を覗き込みながら、氷のような笑みを浮かべた。


「……勘十郎。お前の言う『絆』とやらが、何によって保たれているか教えてやろうか」


「……何ですと」


「『勝利』だ。それ以外にない」


 信長様は銃を置き、信行様を射抜くような視線で捉えた。


「家臣に命を懸けさせたいなら、勝てることわりを与えよ。逃げぬ兵が欲しいなら、一方的に敵を屠れる道具を与えよ。……絆だの忠義だのと耳当たりの良い言葉で、勝ち目の薄い戦場へ家臣を送り出す。それこそが、家臣への最大の裏切りではないか」


 信長様は傍らの鉄砲を手に取り、それを信行様へと向けた。


「見ろ、勘十郎。この筒は、いずれ三間半の槍よりも遠くから、貴様の磨き上げた『精鋭』の眉間を撃ち抜くだろう。その時、貴様の絆は弾丸を弾き返してくれるのか? 武士の矜持は、飛んでくる鉛の玉を叩き落としてくれるのか?」


 広間が、静まり返る。信長様の言葉は、未来からの宣告であった。


「道具が、芸を殺すのだ。そして組織が、個を飲み込む。……その流れに乗れぬ者は、織田を滅ぼす重荷でしかない。勘十郎、お前の優しさは、家臣を無駄死にさせる『罪』だ。理解できぬなら、去れ。俺の理屈が聞こえぬ者は、この織田という船には不要だ」


「……兄上。……そこまで仰るか」


 信行様は、真っ青な顔で立ち上がった。その背後で、勝家殿と林殿の殺気が実体化せんばかりに膨れ上がる。


「……分かりました。これ以上、何を説いても無駄なようです。那古野と末森……どちらの理が真か、いずれ明白になるでしょう。……さらばです」


 信行様たちは、屈辱に震えながら広間を後にした。


◆◆◆


 足音が遠のき、静寂が戻った広間に、平手政秀(ひらてまさひで)様の重い声が響いた。


「……殿。これで、戦は避けられませぬな」


 政秀様は、主君を案じつつも、幼き頃から見守ってきた信行様との決裂に、隠しようのない苦悩を滲ませていた。


「……勘十郎は、いずれは必ず兵を挙げる。組織の澱み(うみ)を出すには、一度、膿ませる必要がある」


 信長様の声には、先ほどまでの苛烈な響きは消えていた。

 代わりにあったのは、実の弟を、自らの「理」で切り捨てなければならぬ主君としての孤独な覚悟だ。


「……政秀。準備をせよ」


 指示はそれだけだった。  私は、その背中をじっと見つめていた。


(斎藤道三との謁見もそうだけど、……本来なら一五五六年、織田信長の父、織田信秀が亡くなってから起こるはずの『稲生(いのう)の戦い』。歴史上の出来事が、前倒しで起きようとしている……)


 私がこの世界に来てから、歴史の歯車は異常な速度で回り始めている。私の介入が、信長様の進化を早め、それに対する反発を「早期爆発」させてしまったのだ。


(信長様はあまりに合理的すぎて、人の『感情』というコストを計算から除外してしまう。勝家殿や林殿が抱いた、自分たちの居場所を奪われる恐怖……。その綻びを縫い合わせるのは、私の役目だわ)


 彼が「魔王」として加速し、世界から孤立してしまわないように。この凄まじい合理性の副作用を、この時代で唯一の「翻訳者」である私が抑え込まなければならない。


 私は、城壁から夜の空を見上げた。  遠く末森城の方角で、反旗の狼煙を待つかのように、不気味な星が瞬いている。

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