第5話:蝮の召喚状 ~「織田信長」ブランドプロモーション~
那古野城に差し込む朝日は、かつての淀んだ空気を一掃し、白磁のような清潔さを照らし出していた。 庭先では、雑兵たちが一列に並び、平手政秀様の号令のもとで一糸乱れぬ動きを見せている。それは単なる武芸の鍛錬ではない。帰蝶が持ち込んだ「五常(5S)」の精神――すなわち、場の乱れは心の乱れ、心の乱れは軍紀の乱れであるという教えが、末端の足軽にまで浸透し始めた証であった。
(……この家も一つの『組織』として回り始めたわね)
回廊に腰を下ろし、私は和紙の束に目を落とす。そこには現代の経営学や心理学の知見を、この時代の言葉に置き換えて記した「組織改善計画書」が並んでいた。
元・芸能事務所のチーフマネージャー。それが私の、前世という名の「正体」だ。
担当したタレントをスターに押し上げるためなら、どんな泥も被り、どんな策も弄した。その経験が、今、織田家という「泥船」を「巨船」へと作り変える原動力となっている。
だが、安堵の息をつく暇はなかった。
歴史という名の激流は、私の思惑を置き去りにして加速し始める。
「……姫様。美濃の大殿より、お使いにございます」
政秀様が、以前のやつれた面影を感じさせぬ、凛とした足取りで現れた。その手には、斎藤道三――私の父からの書状。
一読して、私の脳内にある「戦国史データベース」が、瞬時に一つの年号と場所を検索し当てた。
(一五五三年。聖徳寺の会見……! 歴史の教科書にも載る、あの有名な場面だわ)
父・道三は、娘の安否を問う慈父を装いつつ、「一度、富田の聖徳寺にて信長殿と対面したい」と記している。
史実では、この会見で道三は信長の「真の器」を見抜き、後に「わが子たちは、あの男の門前に馬を繋ぐことになるだろう」と予言する。だが、それはあくまで信長一人の、剥き出しのカリスマ性に依存した「偶然」の産物だ。
(このまま史実通りに進めても、道三様は信長様を認めるでしょう。でも、それだけじゃ足りない。私がやるべきは、信長様という『不世出の明星』の価値を、この戦国という市場に決定づけること。そして、美濃と尾張を、主従ではなく対等な『戦略的提携』へと持ち込むこと……!)
私はすぐに、政秀様とともに信長様のもとに向かった。
信長様は相変わらず、茶筅に結った髪を揺らし、虎の皮の腰巻きという「うつけ」の装束で、火縄銃の清掃に耽っている。その瞳は、獲物を狙う鷹のように鋭く、冷徹だ。
「殿。父・道三が、殿との会見を望んでおります。場所は富田、聖徳寺にございます」
私が告げると、信長様は銃を置くこともせず、鼻で笑った。
「……あの老いぼれか。那古野が妙に整い始めたと聞いて、尻が落ち着かなくなったか」
「お見通しでございますね」
「当たり前だ。マムシは獲物の動きに敏感なもの。特に、貴様のような『毒』を嫁に寄越した本人が、その毒が思わぬ薬となって城を清めていると知れば、確かめたくもなろうよ。……会見の裏にあるのは、俺という男を『食えるか』『殺すべきか』の二択だ」
信長様は、道三の意図を完全に看破していた。その知性は、やはりこの時代の常識を遥かに超えている。
私は一歩、前へ出た。マネージャーとしての勝負師の顔で、主君を見つめる。
「ならば殿、あえて父の目論見を逆手に取りましょう。殿を測りに来るマムシに、殿の『看板』の重さを思い知らせて差し上げるのです。此度の会見、私に『見せ方』のすべてをお任せいただけませんか?」
「……見せ方だと?」
信長様が、初めて銃を置き、私をじっと見つめた。その瞳の奥には、好奇心の炎が灯っている。
「殿。世の人間は、目に見えるものしか信じませぬ。道中はあえて今まで通り、いや、虎の毛皮を用意しますので今まで以上にうつけの姿で行進してください。父は山門の陰から殿を盗み見るはず。そこで『やはり噂通りの大馬鹿だ』と、一度安心させるのです。……ですが、殿。その背後に従う兵たちは、一分の隙もない『鉄の規律』を見せつけるのです」
私は政秀様に向き直った。
「政秀様。同行する五百の兵に持たせる槍を、すべて『三間半(約六・五メートル)』の長槍に揃えてください。さらに、兵たちの歩法を、一寸の乱れもなく、太鼓の音に合わせるかのように整えていただくのです。殿がうつけであればあるほど、兵たちが整然としているその『不一致』が、父の脳を揺さぶります」
「三間半……。実戦では扱えぬほど長すぎますが、確かにそれが一斉に揃って掲げられれば、それは山が動くかのような威圧感を生みますな」
政秀様が、かつての自害の決意など忘れたかのように、目を輝かせて頷く。
「左様です。そして殿」
私は信長様へと、深く、だが自信に満ちた声を放った。
「会見場では、一転して最高の装束を纏っていただきます。ただし、派手な金銀は不要。余計な飾りを削ぎ落とした、静かなる王の姿……漆黒の直垂を用意いたします。父が安心したその瞬間に、殿の『圧倒的な静止』を突きつける。その不一致に、マムシは毒気を抜かれ、己が測っていた物差しがいかに小さかったかを思い知ることになるでしょう」
信長様は、腕を組み、しばし沈黙した。 部屋を流れる静寂。 やがて、彼は喉の奥から絞り出すような低い笑い声を上げた。
「……面白い。帰蝶、貴様の頭の中には、この尾張の地図より広い絵図が描かれているようだな。俺という男を、この乱世に売り出そうというわけか」
「はい。殿という商品は、この乱世を買い取るに足る価値がございます」
「商品……クハハッ。よい、乗ってやる。マムシが腰を抜かす姿、特等席で見せてもらおう。政秀! 槍を揃えろ。一兵たりとも歩みを乱すことは許さぬ。織田の規律を見せつけてやれ!」
「ははっ!」
承諾を得てからの三日間、那古野城は戦場のような熱気に包まれた。
政秀様は、泥に塗れて足軽たちに歩法を教え込み、隊列の美しさを徹底的に叩き込んだ。
一方の私は、信長様の装束を新調し、会見場での立ち居振る舞いを監修した。
「座る時は、呼吸一つ分、相手より遅らせる」「視線は逸らさず、ただそこにある深い闇を思わせるように固定する」。
それは、スターがステージに立つ際、会場全体の空気を支配するための技術。
(この会見で道三を本来の歴史以上に、そう、完全に味方につければ、美濃からの脅威は消え、織田は天下への最短路を手にする。……『本能寺』なんて悲劇、絶対に起こさせない)
そして、運命の会見当日。
五月の陽光が眩しく降り注ぐ街道を、織田の軍勢が進む。
先頭をゆくのは、虎の皮を纏い、髪を茶筅に結んだ、紛れもない「うつけ」の信長様。彼は馬上で欠伸をし、時折瓢箪の水を飲み、街道の野次馬に不遜な視線を投げかける。
だが、その背後に続く五百の兵はどうだ。
彼らが掲げる三間半の長槍が、太陽を反射し、一本の銀の壁となって揺れる。
ザッ、ザッ、ザッ。 一分の乱れもない、地鳴りのような足音。
うつけの主君がどれほど身勝手に振る舞おうとも、背後の軍勢はその影のように、冷徹なまでの規律を保ち続けている。
「……おい、見ろよ。あんな長い槍、見たことねえぞ」
「殿様は噂通りのうつけだが……あの兵どもは何だ? まるで一つの生き物じゃねえか」
街道を埋め尽くした野次馬たちが、ざわめき、そして恐怖に声を潜める。
やがて、寺の山門が近づく。 その門の陰に、一人の老人が潜んでいる。斎藤道三。 彼は、かつて見たこともない「カオスとオーダーの同居」という名の暴力に、その老いた眼を見開くことになるだろう。
(さあ、父上。貴方の娘が、この時代にどんな『明星』を連れてきたか……。その目に焼き付けて差し上げますわ)
私は籠の中から、静かに目を細めた。 歴史という名の舞台の幕が、今、劇的に上がろうとしていた。
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