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戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


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第3話:魔王様の5S活動 ~城の汚れは心の汚れ~

ゴーン……、ゴーン……。


 那古野の町に夜明けを告げる「明け六つ(午前六時)」の鐘が、静寂を震わせた。  その最初の一撃と同時に、私は完璧な身支度で、ある人を「待って」いた。


 ふと、隣に敷かれた布団に目を向ける。  そこは既に、体温の欠片も残っていなかった。  昨夜、背中合わせで寝たはずの織田信長は、私が目を覚ますよりずっと前に起き、気配すら残さず部屋を出ていたのだ。


(あの人、本当に人間なのかしら……)


 三時間しか眠れなかった目を気合で開き、私は一人、文机の前で「那古野城・組織構造メモ」を読み返していた。その時、背後の襖が無造作に開け放たれる。


「――ほう」


 入ってきた信長の声に、微かな驚きが混じった。  彼は既に刀を帯び、寝起きの隙など微塵も見せない。


「おはようございます、殿。丁度、白湯が飲み頃でございます」


「……いつ起きた」


「明け五つより刻を数えておりました。業務(しごと)を命じられた以上、その段取り(じゅんび)を整えるのは当然の嗜み。殿こそ、少々お早いお着きではありませんか?」


 信長は私を値踏みするようにじっと見つめていたが、やがて不敵な笑みを漏らした。


「気に入った。口先だけではないようだな。……行くぞ。付いてこい」


 廊下に出ると、そこには作事奉行の小島権六郎と、侍女頭のお松、二人の供回りの若侍が控えていた。  私と信長、そして家臣四名。計六人の一行で、早朝の城内視察が始まった。


 ◆◆◆


 廊下を進むにつれ、信長の歩調がわずかに「澱む」場所があった。


 曲がり角に放置された空の桶。  通路の三分の二を塞ぐように突き出た古い木箱。  信長はそれらを一瞥すると、立ち止まることすらなく、吐き捨てるように言った。


「……遅い。これでは通れぬようなものだ」


「はっ? 殿、何がでございましょうか?」


 小島が当惑した声を上げる。  信長は答えず、ただ通路を狭めている木箱の山を指した。


「なぜこの道は塞がれたままにしてある?」


「は、ははっ! 道ならば、ご覧の通り常に一人通れる分は十分に空けてございます。ちと散らかって見えますが、桶も木箱も何かと入用でございますれば、どこにあっても役立ちまする。兵たちが槍を担いで通るにも支障はございませぬ!」


 小島は胸を張り、自らの管理が行き届いていることをアピールした。小島の指示を受けて、 実務を担当する侍女頭のお松も同様だ。 だが、その瞬間。  信長の瞳に、身が凍るような殺気が宿った。


「権六郎。お松。貴様らは、私の兵を『蟻』かなにだとでも思っているのか?」


「え……?」


「この廊下、本来なら三人並んで走れるはずの広さがある。だが貴様がゴミを置いたせいで一列にならざるを得ない。……計算もできぬか? 兵がここを通り抜けるのに、本来の三倍の刻を要するということだ」


 信長の一歩一歩が、畳を鳴らす。  彼は小島の目の前で立ち止まり、その喉元に手をかけるような威圧感で言い放った。


「もし今、城門が攻められたとしたらどうなる。奥にいる兵が辿り着くまでに、この場所で必ず渋滞が起きる。……その三倍の遅れの間に、私の首が飛ぶ。貴様らは掃除を怠ることで、私に死ねと言っているのだな?」


「ひ、ひぃっ……! 滅相もございません! そのようなつもりでは……!」


「つもりがないから無能なのだ。……貴様らの首など、このゴミ以下の価値もない。今ここで、その澱みと共に片付けてやろうか」


 信長が刀の柄に手をかける。  小島とお松はガタガタと震え、もはや声も出ない。


(……言い過ぎだわ。放置したら小島様、本当に物理的に片付けられちゃうわね)


 私は静かに一歩前へ出た。


「殿。……小島様を斬る前に、一つご提案が」


 信長の冷徹な視線が私を射抜く。


「なんだ」


「小島様の今回の失敗は、掃除を『見た目の問題』だと思い込み、戦場としての視点を欠いていたからです。ですが、一度『戦の備え』だと理解すれば、彼は有能な働きを見せるはず。……小島様、そうですね?」


 小島は泣きそうな顔で、何度も首を縦に振った。


「掃除ではなく、『兵の展開速度を確保する軍事任務』。……これを今日中に完了させ、那古野を殿の意志が最速で流れる城へと作り替えてみせます。ですから殿、今日一日は、私に現場の指揮をお預けください」


 信長は私をじっと見つめ、やがて、つまらなそうに刀の手を離した。


「……夕刻だ。夕刻までに、この槍を担いだ兵が三列で走り抜けられぬ場所が残っていれば、権六郎の首を跳ねる」


 信長は後ろに控えていた供回りの長槍を奪い取ると、それを私に突き出した。  そのまま、振り返ることもなく視察を続けた。


 ◆◆◆


 大広間。  平伏する小島権六郎、そして侍女頭のお松。

 二人の責任者は、先ほどの信長の怒りに震え上がり、顔面蒼白だ。

 私は彼らの前に、先ほど拝借した長槍を水平に掲げた。


「お二人とも、顔を上げてください。……怖かったですね。でも、殿が仰ったことは真実です。ここは城であり、戦場なのです」


 私は努めて穏やかに、だがはっきりと告げた。


「この槍を水平に振るって、何にも当たらない幅。これを今日から那古野城の『道』の基準と定めます。三人並んで、一歩も足を止めずに走り抜けられる空間。……それ以外はすべて、殿の命を奪いかねない『障害物』です」


 お松が、縋るような目で私を見た。


「……濃姫様。それは、先代から大切にしてきた品であっても、でございますか?」


「ええ。殿の御首(おしるし)と、どちらが大切かを選ばせてあげてください。そうすれば掃除するあたなに、誰も逆らえませんわ。……大丈夫、私も手伝います。何を捨て、何をどこへ移すべきか、一緒に考えましょう」


 私は小島の肩にそっと手を置いた。


「小島様、汚名返上の機会です。夕刻までに、殿を驚かせてやりましょう」


 ◆◆◆


 夕刻。  澱みの消えた廊下を、信長は一人、無言で歩き、その足音を確かめるように踏みしめた。


 私はその後ろを、一定の距離を保ってついていく。


「……なるほど。これならば、一走りで城門まで届くか」


 信長は足を止め、私を振り返った。  そこには「感謝」などは微塵もないが、私の調整能力を一つの「武器」として認め始めた、不気味な期待が宿っていた。


「場所は空いた。だが帰蝶。場所を整えても、扱う道具が錆びていては意味がない。……小島。貴様、まだそこに突っ立っているのか? 廃棄する武器をまとめろ。明日はこれらをすべて打ち直す」


「は、ははっ! 直ちに!」


 信長は、足蹴にした錆びた槍を不敵に笑いながら、私に背を向けた。


整理(せいり)の次は、整頓(せいとん)。……兵器の規格化こそが、織田家の武装化への次なるステップね)


 その光景を、物陰から震えながら見ていた老人がいた。  織田家筆頭家老、平手政秀。


 彼は、信長が「帰蝶という翻訳者」を得たことで、自分たちが守ってきた織田家の秩序が、跡形もなく塗り替えられていく様子に、まるで魔王と魔女が共闘し始めたかのような絶望的な恐怖を感じていた。


 政秀が見つめる先では、長年、城の倉庫で眠っていた「先代ゆかりの品々」や「戦功の証であった古い槍」が、次々と運び出され、容赦なく積み上げられていく。


(……あれは、単なるゴミではない。わしらが命を懸けて守ってきた、織田家の『誇り』ではないか)


 それを、あの姫君は『軍事的な欠陥』と断じ、殿は『不要なもの』として切り捨てた。


 政秀の脳裏に、冷徹な思考が過る。


 三倍の刻を要する道は、道ではない。  三列で走れぬ廊下は、城ではない。  ならば――。


(殿の思考に追いつけぬ老臣などは、もはや家臣ではない、というわけか……)


 運び出されていく錆びた槍の山。  明日には溶かされ、没個性な「規格品」へと打ち直される運命の武具たち。


 その鉄の冷たさが、今の自分の境遇に重なる。


(……廃棄されていく古い武具。あれが、明日のわしらの姿になるかもしれぬ)


 信長の圧倒的な直感と、帰蝶の残酷なまでの合理性。  その二つが噛み合った瞬間、この那古野城から「情緒」や「情け」といった、政秀が人生を捧げてきた美徳が、急速に色あせ、消え去ろうとしていた。


 政秀は、震える手で胸元を押さえた。  そこには、長年の心労からくる激痛と、居場所を失うことへの底知れぬ恐怖が渦巻いていた。


(よし、次はあの『胃痛のベテラン管理職』をなんとかしなきゃね)


 私は、物陰に消えていく老臣の寂しげな背中に、小さく、だが決意を込めて目を向けた。


【業務報告】 ・城内環境整備(5S):完了。 ・兵の展開速度:理論上3倍に向上。 ・次回の課題:平手政秀のメンタルケア(自害フラグの解体)。

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