幕間:深夜の事業計画書 ~私のKPIは「本能寺回避」~
隣から、規則正しい寝息が聞こえてくる。 魔王・織田信長は、私に背を向けたまま、あっという間に眠りに落ちていた。 その神経の図太さに呆れつつ、私は布団の中で目をぱっちりと開けていた。
暗闇の中、天井の梁を見つめながら、脳内で今日の「業務」を振り返る。
(……とりあえず、初夜という第一の難関は突破したわね)
だが、安堵している暇はない。 先ほど信長が放った「俺の領域から出るな」という言葉。あれは脅しではない。 役に立つうちは生かしておくが、害になると判断すれば――。
そもそも歴史上私には、バッドエンドが約束されているようなものなのだ。
私は、現代で叩き込まれた「プロジェクト管理」の思考を起動する。
私の名前は帰蝶。またの名を濃姫。 史実通りに進めば、私の運命はどうなる?
夫である信長は、破竹の勢いで天下統一へと突き進む。 だが、その道は血に塗れている。彼は古い権威を焼き払い、多くの敵を作り、家臣に過酷な要求を突きつけ――そして。
1582年6月2日。本能寺の変。
家臣である明智光秀の謀反により、彼は炎の中で死ぬ。 そして、妻である私もまた、その炎と共に運命を共にする(諸説あるが、少なくとも行方不明か死亡扱いだ)。
(冗談じゃないわ)
私は布団を強く握りしめた。 せっかく二度目の人生を得たのだ。また30代半ばで、焼け死ぬなんて御免よ。 私は長生きがしたい。美味しいものを食べて、畳の上で大往生したい。
そのためには、どうすればいい? 逃げる? 無理だ。実家の美濃は兄と父が殺し合う泥沼になるし、他の大名に嫁いでも戦国の世からは逃れられない。
ならば、道は一つ。 この「織田家」というブラック企業を、私がホワイト化するしかない。
本能寺の変の原因は何か? 諸説あるが、最大の要因は信長の「管理不全」だ。 パワハラ、過重労働、成果主義の押し付け、説明不足。 これらが積み重なり、部下(光秀)のメンタルが崩壊して、謀反という名の「退職代行」が起きたのだ。
(つまり……私の最終目標は、歴史の改変)
脳内のホワイトボードに、赤字で大きく目標を書き込む。
【プロジェクト目標:1582年の「本能寺の変」を回避し、生存すること】
そのために必要な重要業績評価指標は以下の通り。
1.信長の「説明不足」を解消し、家臣の信頼を高める。 2.信長の「パワハラ気質」を、論理的な指導へと昇華させる。 3.織田家を、謀反など起きようもない強固な組織へと再建する。
簡単なことではない。 相手はあの魔王だ。下手を打てば、本能寺の前に私が彼に斬られる可能性だってある。 まさに、命懸けのコンサルティング。
(でも、やるしかない。……私の命のために)
私は隣で眠る信長の背中を睨みつけた。 この男を、最高の名君に仕立て上げる。 それが、私がこの乱世で生き残るための唯一の生存戦略。
「……覚悟なさいよ、旦那様。貴方を絶対、殺させはしないから」
私は小さく呟くと、決意を固めて目を閉じた。 明日の朝は早い。 まずは手始めに、職場環境の改善(5S)からだ。
数時間後、あの忌々しい鐘の音で叩き起こされることを、この時の私はまだ知らなかった――。
第3話に続きます。




