表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/37

第28話:藤吉郎の京営業(前編)

 岐阜城の一角、人目を忍ぶように設けられた奥書院。

 開け放たれた隙間から吹き込む風は、すでに冬の訪れを予感させる冷気を帯び、室内で揺らめく行灯の火を絶えず不安げに揺らしていた。


 室内には、丹羽長秀――五郎左様と、私の二人だけ。

 使い込まれた文机の上には、幾枚もの書状が並んでいる。その紙の端は、秋雨の湿気を吸ってわずかに反り返り、そこに記された墨の色だけが異常なほど黒々と浮き上がっていた。そこへ、足音もなく、しかし確かな存在感を伴って、一人の男が滑り込んできた。


 木下藤吉郎。

 泥にまみれたその姿は、この城に流れる清冽な空気から浮いている。だが、その手だけは、先ほど五郎左様が差し出した書状を、壊れ物を扱うように慎重に受け取っていた。


「藤吉郎、急ぎ呼んだのは他でもない。殿より下された京への先触れ、その真の狙いを伝えるためだ」


 五郎左様は、視線を台帳から外すことなく、淡々とした口調で命じた。

 机の上に広げられたのは、山科家から預かった近江の荘園の目録である。そこには、本来届けられるべき年貢が、現地の国人たちの「未進」という二文字によって、数年にわたり途絶えている実態が示されていた。


「この未進分を、殿が上洛する前にすべて回収してこい。礼銭の代わりにそれを山科家に届ける。それが今回の役目だ」


 藤吉郎様は目録を手に取り、その鋭い眼光で中身をなぞる。

 一見すると卑屈にも見えるその顔に、一瞬だけ、かつて美濃を震撼させた梟雄より受け継いだ毒が閃いた。


「……承知いたしました。京の公家衆を黙らせる手土産、しかと作って参りますだに」


 藤吉郎様はふわりと口角を上げた。その目は、すでに現場での立ち回りを計算し始めている。


◆◆◆


 近江の街道沿い。立ち並ぶ村々はどれも、相次ぐ戦火に焼かれ、あるいは寺社や国人が勝手に設けた関所の重税に耐えかね、農民たちが山へ逃散ちょうさんした後の抜け殻だ。

耕作を放棄された田畑には枯草が項垂れ、賑わいは饐えた埃の匂いに取って代わられておる。


「……ひでえもんだ」


 独り言が、白い息となって消える。

 ここはもう、身の詰まった国じゃねえ。

 関所ごとに銭を剥ぎ取られ、戦のたびに家を焼かれ、中身をからすに突かれ尽くして、形だけが残った『蝉の抜け殻』だあ。


 秋の近江の冷たい雨が、泥道をじっとりと濡らす。

 馬の蹄が跳ね上げる泥の重みが、わしの脛にべったりとまとわりついて、離れねえ。

 道中に漂う湿った馬の毛の匂いと、雨に打たれて腐り落ちた枯草の、鼻を突くような臭気。それらが冷え切った肺腑の奥まで入り込み、わしの体温をじりじりと奪っていく。


 わしはこの日、京へ入る前に一つ、大きな「仕掛け」をすることに決めていた。

 向かう先は、この辺り一帯を牛耳る小領主――京の山科家がお持ちの「荘園」を、何年も前から横領し、年貢を納めず知らん顔をしておる進藤政綱しんどう まさつなの館だ


 わしは館の門前に立つと、わざと泥まみれのままで、大声で喚き立てた。


「おーい! 織田家の上洛先触れ、木下藤吉郎だあ! お館様がお通りになる前に、道の掃除をしに来ただに!」


 奥から出てきた進藤政綱は、手入れの行き届いた直垂ひたたれを纏い、わしを不快げに睨みつけた。その眼には長年、この地の利権を守り抜いてきた男の、狡猾な光が宿っている。


「……織田か。騒々しいな。以前も伝えたはずだ。この地にはこの地の掟がある。山科家への年貢が滞っているのは、街道の警固に銭がかかるゆえだ。織田とて、武士ならばその苦労は分かるはずだがな」


 進藤の声は低く、落ち着いておった。こやつ、自分を正当な「地の主」だと信じて疑ってねえだあ。  


「旦那、いいのかに? ――わしはともかく、信長様は、そんな苦労話に耳を貸すようなお方ではないぞ。あの方は、道理に合わぬ澱みを嫌っておられる。この街道の巡りを滞らせる余計な関所や、横領を『無駄な費え』として根こそぎ切り捨てるおつもりだあ」


 わしは懐から、適当な紙に信長様の筆跡を真似た印が押された「討伐目録」なるものを見せつけた。

 その紙には、領主たちの名が羅列され、進藤の名の上には、無慈悲に『整理』とだけ記されておる。


「旦那、今までは『のらりくらい』やってこられたかも知れないがね、選ぶ必要があるだ。上洛の際、この館が『整理』の対象として、信長様の目にとまるのを待つか。

 それとも今のうちに、山科家への滞納分を『清算金』としてわしに預け、織田の掟に従う意志を見せるか。脅しっちゅうわけじゃあねえが……旦那、命の値段を値切っちゃあいけねえだあ」


 目録は真っ赤な嘘だあ。だが、今川の大軍を寡兵で打ち倒し、続け様に美濃をも呑み込んだ信長様の噂は、この近江にも響き渡っておる。

 進藤の顔が、みるみるうちに土色に変わっていくのが、はっきりと分かった。

 雨音だけが、やけに大きく館の庭に響く。


「ま、待て……分かった。滞納分、すべて今すぐ用意させる。だから、その……織田殿には、進藤はすでに恭順し、不義理は清算したと、しかと……しかとお伝え願いたい!」


「わはは! 物分かりが良くて助かるだあ。これはお館様が通るまでの、わしが一時預かりだに」


 こうしてわしは、正式な権を得る前に、信長様への畏怖を借りて山科家への「未進分」を回収しただあ。

 これを持って京へ乗り込めば、あのお高いお公家様たちの首を縦に振らせるのも、容易いもんだに。

後編は明日の朝に投稿します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ