第23話:使者、明智光秀。 〜地雷原で踊るロジハラ魔王と天才軍師〜
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岐阜城と名を変えた稲葉山城。その一室で、私と信長様、そして半兵衛様は地図を囲んでいた。武田信玄へ「塩を送る」という私の献策に対し、半兵衛様は細い指先で信濃の山々をなぞりながら、静かに口を開いた。
「信長様、帰蝶様、塩を送るという策、宣伝の面では見事にございます。されど、軍略の上では一点、大きな穴がございます」
半兵衛様の理知的な瞳が、私を射抜く。
「塩は兵の命を繋ぐのみならず、保存食の仕込みには欠かせぬ品。無造作に送れば、それは虎の爪を研ぎ、再び戦場へ送り出す手助けとなります。さらに、安値で送った塩を武田側の商人が隠し持ち、値を吊り上げて売れば、民に織田の徳は届きませぬ」
「……供給の加減と、末端までの管理ですね。そこまで見越せなければ、ただの施しで終わってしまうかもしれない」
私が頷くと、半兵衛様は扇子を広げ、用意していた書状を差し出した。
「そこで、一度に送るのではなく、あらかじめ少し足りないくらいの分量を決め、ひと月ごとに運び込むのです。我らが認めた商人にのみ扱いを許し、民へ行き渡る値を固定させる。……武田側には『次の塩も織田の機嫌次第』と思わせるのです。常に渇きを抱かせ、我らの手から離れられぬようにする。これこそが真の支配にございましょう」
半兵衛様の提案。それは、単なる支援ではなく「契約の継続」を強いるものだった。
私は、その緻密な供給計画書を見つめ、思わず息を呑んだ。
「……ふん。一度きりの情けではなく、ひと月ごとに『命の貸し』を作るというわけか。半兵衛、その仕組みを動かせ。武田の家臣どもが、毎月の荷馬車を神仏の如く待ちわびるようにしてやれ」
信長様の瞳に、獲物を追い詰めるような愉悦が宿る。
(……これ、ほとんど現代のサブスクリプションサービスじゃない。定額制の継続利用サービス……いえ、それ以上に悪質で強力な、インフラの独占だわ)
一度に大量に売って利益を出すのではなく、あえて小出しにし、織田という「提供元」がなければ生活が成り立たない仕組みを作る。現代の巨大IT企業やインフラ会社がこぞって取り入れているビジネスモデルの神髄を、軍師は400年以上前のこの時代に独力で導き出したのだ。
戦国時代に、生活物資を月額課金制のような支配の道具に変える。そのあまりの先進性と、それを当然のように受け入れるこの組織の「加速」に、私は恐怖すら覚えるほどの感動を禁じ得なかった。
この日、信長様の決断、半兵衛様の知略。二つが噛み合い、塩の道は「支配の鎖」として磨き上げられた。
◆◆◆
数日後。越前の朝倉家に身を寄せている足利義昭様からの使者が、岐阜城を訪れた。広間に現れたその男は、一目見て「異質」だと分かった。
水色の狩衣を乱れなく着こなし、その所作の一つひとつが、まるで古い絵巻物から抜け出したような優雅さと厳格さを備えている。名は、明智十兵衛光秀。
「……越前より、公方様の御内書を携え、罷り越しました。明智十兵衛光秀にございます」
私の指先が、わずかに震える。 後に歴史を塗り替え、日本人の誰もがその名を知ることになる男。
明智光秀。
『本能寺の変』を引き起こし、織田信長という稀代の天才を炎の中で終わらせる、歴史の審判者。
光秀様は、頭を下げる角度、声を出す間合いまでもが完璧だった。それはもはや芸術の域であり、同時に「自分たちは正しい秩序を守る者だ」という、滅びゆく幕府の最期の意地のような威厳を放っていた。
(この人も苦労人なのよね……)
けれど、彼が城門をくぐってからここに至るまでの間、その瞳には戸惑いと、かすかな不快感が滲んでいたのを私は見逃さなかった。
この岐阜城は、今や機能性の塊だ。
伝令は走り回り、武士も商人も「時は金なり」と言わんばかりの速度で動いている。光秀様の重んじる「古き良き儀礼」は、ここでは効率を妨げる足枷として軽んじられていた。
「……さて、十兵衛と言ったか。朝倉の義景は動かぬそうだが、義昭は俺に何を求めている」
信長様が、光秀殿の丁寧な挨拶が終わるのを待たずに問いかけた。 光秀殿の眉が、ピクリと震える。
「織田殿。まずは、将軍家の歴史と、今この日ノ本における正統なる秩序について、順を追ってお話しせねばなりませぬ。……そもそも室町以来、清和源氏の嫡流たる足利家がいかなる徳をもって天下を治めてきたか。先の公方、義輝公が非業の死を遂げられた今、弟君たる義昭様こそが唯一無二の正統なる後継……」
そこから、光秀様の「格調高き講義」が始まった。
義昭様がいかに高貴な血筋であり、上洛の際にはどの門から入り、どの順序で儀式を執り行い、随兵の旗印の紋様は古礼に則ってどうあるべきか。
果ては、三管領・四職といった旧来の有力家門との席次の割り振りに至るまで、光秀様の話は微に入り細を穿っていた。
それはあまりに長く、美しく、そして――今の織田家にとっては、あまりに「価値のない」時間だった。 信長様は三行目あたりで飽き始め、扇子をパチパチと鳴らして苛立ちを隠さない。
「……で、結論はいつ出るのだ」
開始から一刻ほど経った頃。信長様が、ついに堪えきれず扇子を床に叩きつけた。
「朝倉が動かないから、俺に上洛の先鋒を務めろと言うのだろう。話はそれだけだ。いくら出せば、いつ京へ入れる。その二点だけを話せ」
「な……ッ! 織田殿、これは大義に関わる重き話にございますぞ! 順序を飛ばしては……」
「順序など知るか。無駄な言葉は兵の命を削るのと同じだ。貴様の話は、長いだけで中身が入っておらん。首の上のそれも同じでないなら疾く結論を話せ」
信長様の剥き出しの苛立ちが、光秀殿の自尊心を削っていく。さらに追い打ちをかけたのは、半兵衛様だった。
「光秀殿、お言葉ですが。……今の貴殿のお話は、搔い摘んで文字に直せば三行もあれば済みます。その残りの言葉を費やす間に、我らの軍は三里先まで行軍できる。……失礼ながら、そのような古いやり方では、これからの世の速度にはついていけますまい」
半兵衛様の、悪気のない「憐れみ」を含んだ微笑。 光秀殿の顔から血の気が失せ、代わりに静かな、しかし深い怒りのような色が瞳の奥に沈殿していくのが見えた。
(……ストップ! ストップして二人とも! この男、一度刻まれた傷を一生忘れないタイプだって歴史が証明してるのよ! 誰かこのロジハラコンビを止めて!)
私は強引に、二人の間に割って入った。まさに、命がけの「翻訳」作業の始まりである。
「光秀様! 申し訳ございません。美濃を獲ったばかりで気が昂っておりまして、少々『早急』が過ぎるのです。殿も半兵衛様も、光秀様の説かれた『大義』という名の鑑札があれば、京での商いも戦も百人力だと確信したからこそ、一刻も早く実務に移りたいと……ねえ、殿!?」
私は、光秀様の手を取り、心からの敬意を込めて微笑んだ。
「十兵衛様のその深い教養と、都の風習への知見。それこそが、我が織田家が最も求めていたものでございます。どうか、殿の言葉を『期待の裏返し』と受け止めてはいただけませんか?」
光秀様の視線が、私に注がれる。 その氷のように冷たい瞳が、私の言葉によって、わずかに和らいだ。……ように見えた。
「……帰蝶様。貴女様のような御方が、織田殿の傍らにおられるとは。……心得ました。我が主君への報告、良しなに取り計らいましょう」
光秀殿が深々と頭を下げて退出した後。 私は、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえ、信長様と半兵衛様を思い切り睨みつけた。
「……殿! 半兵衛様も! 今の方は、決して見下して良いお相手ではありませんわ!」
「何だ、帰蝶。あのような古めかしい奴を気に入ったのか。無駄が多すぎて聞いておられんわ」
「話が長く、軍議には向きませぬな」
信長様は相変わらず不遜に笑っている。半兵衛様も、今にも決定的な罵倒でも始めそうな表情だ。
(この……このロジカルハラスメント・ツインタワーめ! あんたらが笑いながらタップダンスしてるそこは、巨大な地雷原なのよ! 十数年後にドカンといくやつなのよ!)
私は、光秀様が座っていた場所を、いつまでも眺めていた。胃のあたりが、かつてないほど重い。 水色の使者が残していったのは、上洛への希望だけではない。織田家という「新しすぎるシステム」が、古き良き秩序を食い破る時に生じる、決定的な不協和音。
それがいつか、取り返しのつかない爆鳴を上げる日が来ないよう、私は冷や汗を拭いながら、次なる「接待」の準備を始めるしかなかった。




