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戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


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第20話:軍師 竹中半兵衛

 その報せは、清須城の回廊を吹き抜ける風の音さえ、一瞬にして凍りつかせるような鋭利な響きを持っていた。


 『美濃・稲葉山城、竹中半兵衛なる士により占拠』


 斎藤家の客将、竹中半兵衛重治――。

 この名もなき士が、わずか十六人の手勢で、美濃の本城・稲葉山城を占拠した。斎藤道三様が築き上げ、かつて「天下の堅城」と謳われたあの城を、である。

 それは、万の兵を動かす既存の戦理が、一振りの剃刀によって根底から断ち切られたことを意味していた。


 上座に座る信長様は、膝の上に置いた美濃の地図を指先で叩きながら、居並ぶ家臣たちに不敵な問いを投げかけた。


「……権六(柴田勝家)。貴様なら、あの城を落とすのにどれほどの兵と月日を要する」


 勝家様は、戸惑いを隠せぬまま声を絞り出す。

「はっ……。三人衆を味方に引き入れているとはいえ、力攻めならば万の兵と、少なくとも半年の月日は必要かと。……わずか十六人で奪うなど、もはや妖術の類にございます」


「五郎左(丹羽長秀)、貴様はどう見る。あの竹中という男、何ゆえこのような真似をした」


 実務方の長秀様は、慎重に言葉を選んだ。

「……斎藤家への反旗、あるいは主君・義龍への諌言(かんげん)かと思われます。弟の久作を人質として送り込み、病の見舞いと称して城内に潜入する……。その手際に迷いがない。己の命を賭した『奇行』によって、主君の目を覚まさせようとしたのでは」


信長様は鼻で笑い、さらなるラリーを促す。

「諌言か。だが、あやつは城を奪った後、義龍を追い出しこそすれ、自らが座ることはなかった。それどころか、すぐに城を返して山へ隠棲したという。そんな諌言があるか」


広間に緊張が走る。長秀様が、ふと何かに気づいたように顔を上げた。


「……ま、まさか。義龍様の『器の底』を見せたのでございますか」


「ほう。続けてみよ」


「わずか十六人に城を奪われた義龍様には、もはや国を統べる資格も能力もない。竹中は、それを全美濃の国衆……いいえ、日ノ本に知らしめたのです。斎藤家という組織は、もはや看板だけの『空き殻』であると」


 その言葉に、他の家臣たちも「なるほど」と頷き合った。義龍の無能さを世に知らしめる――それは、敵対する織田家にとっても、これ以上ない援護射撃だ。


「悪くない」


 肯定。しかし、信長様は満足していなかった。

 信長様は地図を無造作に放り出すと、目を爛々と輝かせて言葉を継いだ。

「悪くない読みだが、それは『ついで』に過ぎぬ。あやつが真に示したかったのは、義龍の無能さではなく、『竹中半兵衛という男の値段』よ」


 信長様の言葉が、広間の空気を熱く震わせる。


「あやつは俺に問いかけておるのだ。『俺はわずか十六人で、万の兵が落とせぬ城を奪ってみせた。これほどの知能と手腕、織田信長ならばいくらで買う?』とな。……十六人で城を盗る腕。これは、一兵も損なわずに一国を動かすに等しい最強の武器よ。竹中は、己という唯一無二の才能を、最も高く、最も正しく運用できる主を値踏みしておるのだ」


 信長様は天を仰ぎ、かつてないほど機嫌よく、愉快そうに声を上げて笑った。

 その笑い声は広間の高い天井に反響し、困惑していた家臣たちの背筋を震わせる。


「くはははは!  面白い、実におもしろいぞ、竹中半兵衛!」


 信長様にとって、半兵衛の行動は奇行でも裏切りでもなかった。それは、自らの「知恵」という目に見えぬ力がいかに絶大であるかを証明し、最高の買い手を誘い出すための、計算され尽くしたデモンストレーションだったのだ。


「真に示したかったのは『竹中半兵衛という知略が、どれほどの不可能を可能にするか』――その一点のみよ。面白い。これほどの売り込み、乗らぬ手はあるまい!」


 信長様はそう断じると、広間の隅で機を窺っていた藤吉郎を鋭く指し示した。


「藤吉郎! おるか!」


「はっ! ここに!」


「あの男を連れてこい。あやつは金や領地では動かぬ。己の知恵が、日ノ本という巨大な盤面を動かすために使われることを望んでおる。手段は問わぬ、あの才を我が陣営へ引き込んでみせよ」


 藤吉郎の瞳に、使命感と野心が灯る。

 私は、その様子を傍らで見守りながら、密かに胸を躍らせていた。


(竹中半兵衛。後の世で日ノ本の諸葛孔明とも称される、最高の軍略家……。このスカウトチャンスは、織田家の未来のために必ずものにしなければ)


 私もその背を追って、広間を後にした。


◆◆◆


「藤吉郎、これを持っていきなさい」


 差し出したのは、父・道三様が認めた、美濃の経営を信長様に託すという『国譲り状』の写しだ。


「竹中様を口説くなら、情だけでは足りません。あの方は、己の知略が淀みなく国中に流れ、天下の形そのものを変えていける場所を探しているの。この書状は、織田家が美濃を継ぐ『正統な大義』を持っているという証。どこよりも広く深い水路がここには整っていると伝えなさい」


 藤吉郎は私の言葉を反芻するようにじっと聞き入ると、不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「……なるほど。半兵衛殿のようなお方は、己の知恵という水が腐らぬよう、どこまで遠くへ流せるかを案じているのでしょうな。帰蝶様、ご安心を。あの御仁の『居場所』が、この織田家にこそあるのだと、骨の髄まで分からせてまいりましょう」


 人の心の機微を掴む、天才的な交渉人としての藤吉郎。彼なら必ず、あの気高い天才を連れてくるだろう。


◆◆◆


 数日後。藤吉郎の執念深い説得が実を結び、ついに竹中半兵衛が清須城へと足を踏み入れた。


 広間に現れたその姿に、私は一瞬、呼吸を忘れた。

 女と見紛うばかりの白い肌、涼しげな目元。しかしその佇まいは、風にそよぐ柳のようにしなやかでありながら、決して折れぬ芯の強さを感じさせる。

 極限まで研ぎ澄まされ、余分な肉を削ぎ落とした氷の彫刻のような、「完成された美貌」がそこに立っていた。


(……この透明感。ビジュアル面でも圧倒的な華ね。現代なら即、人気グループのセンター確定だわ)


 案の定、その静謐な空気を切り裂くように、武闘派の筆頭・柴田勝家様が声を荒らげた。


「……殿! 某は、某はどうしても納得がいきませぬ!  このような風が吹けば折れるような優男が、織田の猛者たちを差配するなどと!  戦は槍働き、血を流してこそ手柄。座り込んで口先で理屈を転がすだけの小僧に、何ができましょう!」


 勝家様の怒号は、広間の柱を震わせるほどだった。しかし、半兵衛様は眉一つ動かさない。それどころか、勝家様の方を見ることすらせず、扇子で口元を隠し、冷淡な響きを帯びた声で問いかけた。


「……柴田様とおっしゃいましたか。一つ伺いたい。此度の『桶狭間』、世間が快哉を叫ぶあの戦の勝因は何であったと、貴殿自身は考えておられるのですか」


 勝家様は、当然と言わんばかりに胸を張って答える。

「決まっておろう!  我ら将兵の命懸けの突撃と、殿の御決断、そして何より我らに味方したあの『豪雨』よ!  天が織田を後押ししたのだ!」


 その答えを聞き、半兵衛様は初めて薄く笑った。それは、あどけなささえ感じさせる美しさと、底冷えするような侮蔑が混在した笑みだった。


「なるほど、天運。……柴田様、貴殿は今、自らが無能であることを殿の前で証明なさいましたね。雨が降らねば負けていた、敵が油断せねば届かなかった。それは戦ではなく、単なる博打の結果です」


 勝家様が色めき立つ前に、半兵衛様は言葉を畳み掛ける。


「あの勝利は、雨という偶然を『必然』に変えるための設計図があったからこそのもの。周到な情報収集をし、敵の心理を読み切り、事前に動線を確保した、殿の完璧な盤面管理の結果に過ぎません。……柴田様。海図を持たぬ船頭が、どれほど必死に(かい)を漕いだところで、それは努力ではなく単なる足掻きです。貴殿のように、幸運を己の実力と履き違える者が差配を執れば、次に雨が降らぬ時、織田の兵は無為に泥を啜ることになる」


 半兵衛様は、ここで初めて勝家様に視線を向けた。その瞳は、壊れた道具を検分するかのように無機質だった。


「私がここに招かれたのは、貴殿のような『天候頼みの船頭』が荒波の中で兵を沈めぬよう、仕組みを整えるため。……人の容姿に文句をつける前に、少しは己の不勉強を恥じ入ってはいかがですか」


「き、貴様ぁ……ッ!」


 勝家様は悔しさに身を震わせながらも、一切の反論を封じられ、それ以上の言葉を失って立ち尽くすしかなかった。織田家に、最強の実務責任者(COO)が誕生した瞬間だった。


(……ああ。まずいわ。殿だけでも十分なのに、これ以上ないほど強力な『ロジハラ要員』が増えてしまった……)


 信長様は、その様子を実に愉快そうに見つめていたが、マネージャーとして、現場のメンタルケアが今後の最優先課題になることを、私は確信した。

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― 新着の感想 ―
義龍と義興が混在してますが、史実どおりなのか、前倒ししていて義龍に対してにバタフライしたのかが分かりにくい状態です。
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