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戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


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第15話:美濃空洞化の計 ~ヘッドハンティング~

 一五五六年(弘治二年)の秋、清須城。

 評定の間には、張り詰めた緊張感が漂っていた。尾張を掌握した織田家にとって、次なる経営課題は「美濃の完全統合」である。しかし、そこには斎藤義龍という現職の壁と、彼を支える「美濃三人衆」――安藤守就、氏家卜全、稲葉良通という強固な岩盤が立ちふさがっていた。


 筆頭家老・林佐渡守秀貞が、地図上の稲葉山城を指しながら生真面目な顔で切り出した。


「殿。美濃の国衆は、未だ義龍に従っております。特に安藤、氏家、稲葉の三人衆は領内に深く根を張り、容易には動きませぬ。ここはまず、彼らに丁寧な文を送り、旧主・道三様への忠義を説き、数年をかけて一人ずつ説得すべきかと。それが武士の作法にございます」


 続いて、柴田権六勝家が拳を握り、鼻息荒く声を上げる。


「林殿は甘い。戦こそが武士の対話! 三人衆が守る要害を一番槍で砕けば、他の奴らは数に恐れをなして靡きましょう。美濃の攻略、この権六に先鋒をお任せあれ!」


 旧来の「長期的な根回し」か、「武力による強行突破」か。これまでの戦国時代を支えてきた二つの正攻法に対し、私は現代の知識から「融和による段階的統合」を補足しようとした。だが、その必要はなかった。


 上座に座る信長様が、鼻で笑ったからだ。


「……無益な手間を。林、和睦を乞うて時間を浪費し、彼らの既得権益を維持させて何になる。権六、死兵となった国衆を力で砕いて、死体の山の上に国を築いて何の利がある」


 信長様は、冷徹な瞳で地図を見下ろした。


「城は石と木、国は土に過ぎぬ。私が欲しいのは、その城を支える『骨』だ。……美濃の屋台骨、三人衆を抜き取れ。支えを失えば、義龍という器は勝手に崩れる。混ざらぬ水は、捨てるに如かず。 私は美濃という土地を慣らすつもりはない。中身だけを織田へ移し、美濃を『空』にしろ」


 その一言で、私は背筋に電流が走るような衝撃を受けた。


(……そうか。殿が考えているのは、領土の占領じゃない。『人的資本の強奪』による組織の空洞化よ。土地という不動産ではなく、そこに根付く『人材』という流動資産だけを織田へ移転させ、ライバル企業を内部から自己崩壊させる……。なんて残酷で、合理的な戦略なの!)


 続けざま信長様は、傍らに控える林へ鋭く命じた。


「佐渡守。離れの道三をこれへ呼べ」


◆◆◆


 間もなく、悠々と姿を現した斎藤道三様が信長様の前に座した。 その背後には、いかにも身なりを整えたばかりの、落ち着きのない小男――、木下藤吉郎が一人控えている。


「……ほう、三人衆を抜き取ると。婿殿、相変わらず情味のない、だが実に見事な断じ方よ。左様、人は正義では動かぬ。恩賞への不満と、先行きへの不安……その隙を突けば城は内から開く」


 信長様は、道三様の称賛を無視し、冷たく言い放った。


「道三。貴様なら、美濃の三人衆を内側から腐らせる術を知っておるはずだ。奴らを私に差し出せ」


 道三様はニヤリと笑い、懐から数枚の紙片を取り出した。

 そこには、三人衆が義龍に対して抱いている「恩賞への不満」や、家中での「序列への怨嗟」、各家が抱える経済的な脆弱性が事細かに記されていた。


「信長殿。この手の汚れ仕事、林や柴田のような真っ当な武士には向かぬ。……わしに一人、ちょうど良い……そうじゃな、この『猿』がおる。こ奴なら、泥を這い、嘘を真実に見せかけ、三人衆の心を内から食い破るであろう」


 道三様はニヤリと笑い、背後の藤吉郎を指し示した。

 その瞬間、信長様の冷たい視線が藤吉郎を射抜く 。信長様は立ち上がり、藤吉郎の前まで歩み寄ると、その汚れた足先を無造作に踏みつけた。


「道三。貴様、私を侮っているのか。……このような、肥やしの臭いが染み付いた獣を私の前に差し出すとはな」


 信長様の声には、純粋な嫌悪と拒絶がこもっていた。藤吉郎が平伏して震える中、信長様は刀の鞘で彼の顎を強引に持ち上げた。


「猿め。貴様のような、どこの馬の骨とも知れぬ卑しき者が、美濃の重鎮たる三人衆と対等に語れると思うてか。貴様が門前に立てば、名乗る前に首が飛ぶのが関の山よ。……無能な駒は、戦場を汚す。消えろ」


 凄まじい威圧感。場にいた林や柴田さえも息を呑むほどの剥き出しの重圧だ。天下を掴まんとする男の純粋な悪意。しかし、藤吉郎は、顎を鞘で押さえつけられたまま、あどけなさえ感じる笑みを浮かべた。


「……へへっ、殿。仰る通り、わたくしめは肥やしの臭いのする猿にございます。なればこそ、三人衆の屋敷の垣根を潜り抜けても、誰も怪しみませぬ。……立派な武士様が門前に立てば警戒されますが、ただの汚い猿が裏口で『実利』を囁けば、奴らは面白がって耳を貸すもんにございます」


 藤吉郎は、信長様の殺気をも跳ね返すような「愛嬌」を武器に、言葉を続けた。


「三人衆は、義龍様に『武士の誇り』を強要されて疲れ果てております。そこにわたくしめのような卑しき者が、『誇りより金、名誉より生き残り』と泥臭く説けば、奴らの乾いた心に水のように染み込みましょう。……殿、わたくしは死ぬのが何より怖うございます。ゆえに、死なぬために必ず奴らを連れて参ります。首を洗って待っておりますゆえ、どうかこの猿をお試しくださいませ!」


 信長様は、しばらく無言で藤吉郎を見下ろしていたが、やがて鞘を引き、冷酷に、だが確かな期待を込めて告げた。

 この時、そっと嬉しそうに口元が歪んだことに、私以外の誰も気付かなかった。


(……信長様、わざと藤吉郎を追い詰めたのね。彼の『身分の低さ』という最大の弱点を逆手に取り、それを『武器』として使える覚悟があるかを見定めた。そして藤吉郎は、その威圧感を『愛嬌』で跳ね返して見せた……)


「……よかろう。道三、その猿を使え。……猿、期限は切らぬ。だが、私が美濃へ足を踏み入れる時、三人衆が私の足元に膝を突いていなければ、貴様の首を跳ねる。不備があれば、その場ですべてを清算する」


「ははっ! ありがたき幸せにございます!」


◆◆◆


 わしは今、三人衆の一人、稲葉良通様の屋敷の裏口に這いつくばっている。

 奇しくも数日前、殿様に評定の間で踏みつけにされた時と同じ惨めな姿だ。


 清須の殿様は、本当におっかねえお人だ。


 わしが何より震えたのは、道三様の前で踏みつけにされた時じゃねえ。

 殿様が「関所を廃した」と耳にした時だ。

 並の領主なら、関所は銭を分捕るための「宝の山」だ。だが殿様は、「銭を止めるのは無益、流してこそ利」と仰った。銭が流れる道を作り、その「流れ」そのものを支配すれば、黙っていても富は清須に集まる。

 わしは、道端の柿一つ盗むのにも、どこに番がいて、どこに逃げ道があるかを必死で考える。それができてねえ奴が死んでいくのをいくらでも見てきた。少しは賢いつもりだった。だが殿様は、柿を盗むんじゃねえ。柿が市場に並ぶ「仕組み」そのものを握り、敵が腹を空かせて自ら頭を下げてくるのを待っていなさる。


 ……まるで、神様が天から算盤を弾いて、人の動きを操っているようだ。そんなお方に「美濃を空にしろ」と命じられたんだ。こんな楽しくて、こんな誇らしいことはねえ。


 現に、殿様が関所を廃したことで、尾張の荷はどどっと流れ、清須には銭が唸るほど集まっている。逆に、古い決まりに縛られて関所を固めている美濃の義龍様の元には、荷も銭も寄り付かなくなっちまった。……殿様は、一太刀も浴びせず、一太刀も浴びないまま、美濃という国の「血」を止めちまったんだ。


 清須を発つ前、帰蝶様がわしに一枚の図を見せてくださった。そこには、今の織田が広げている商いの道が、数年後にどれほどの銭を産み、逆に美濃の家々がどれほど困窮するかが、気の遠くなるような細かさで書き記されていた。今の殿様が仕掛けている「仕掛け」が、この先どう転ぶかという冷てえ理屈だ。神様のお告げってわけじゃあねえだろうが、絶対にその通りになるんだろう。


 わしは今、三人衆の一人、稲葉良通様の屋敷の裏口に這いつくばっている。

 けれど不思議なもんで少しも惨めな気持ちにゃあ、なっていねえんだ。


「稲葉様。わたくしのような猿の言葉、どうか一つだけお聞きくだせえ」


 良通様は、わしの首を今にも撥ねそうな顔で睨みつけてくる。だが、わしは動かねえ。清須の殿様からすれば、稲葉家はもう、義龍様という終わった船と一緒に沈むのを待つだけの「傷物」なんだ。


「義龍様は『伝統と誇り』を重んじ、関所を固めて、古い身内の国衆ばかりを厚遇なさる。だが、そのせいで稲葉様の領地で採れた米は、尾張の自由な商いに入れず、隣国で二束三文で叩き売られていなさる。……殿様は仰いましたぞ。『理に適わぬ誇りは、家を滅ぼす毒である』と」


 良通様が、ぐっと言葉を呑み込んだ。わしは畳みかける。


「義龍様の古いやり方にしがみついていれば、三年のうちに、稲葉様の蔵は空になり、家臣も領民も路頭に迷う。……それは、清須の殿様の算盤では、もう答えが出ていることにございます。わしのような猿にまで見通されている結末を、稲葉様ほどの知恵者が、選んでよいはずがございません!」


 わしは額を床に擦りつけ、叫んだ。


 この男の「欲」と「不安」。


 その隙間に、信長様の「経済の暴力()」を流し込む。

 良通様の拳が、わなわなと震えている。……勝った。この男、もう義龍様の乗員じゃねえ。織田という、どこまでも膨れ上がる巨大な「怪物」の一員になることを、頭ではもう選んでるんだろう。


◆◆◆


 清須城、本丸。

 いわば移転した新本社で藤吉郎からの報告を整理し、信長様の机に置いた。


 成果は、劇的だった。


 大規模な合戦の火蓋を切るまでもなく、美濃の屋台骨であった三人衆が、水面下で次々と織田家への「移籍」を内諾した。美濃という「国」は、義龍様という頭脳を残したまま、その手足となる人材、物資、情報のすべてが織田という巨大な磁石に引き寄せられ、空洞化していく。


 信長様はその報告書を見ることさえせず、ただ夜の美濃の方角を見つめていた。


「……当然だ。利を見分けられぬ者は、淘汰されるのみ」


 その言葉は冷酷だが、信長様が天下を飲み込み始めた証でもあった。


 しかし、喜びも束の間。

 東の空からは、圧倒的な物量――今川義元という名の巨大な脅威が、刻一刻と近づいていた。四万五千の軍勢。今の織田の「理」さえも、力任せに踏み潰そうとする圧倒的な暴力。


 信長様は、静かに刀の柄に手をかけ、何かを呟く。

 桶狭間という名の、生き残りをかけた決戦が始まろうとしていた。

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