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戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


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第11話:最終監査

 萬松寺(ばんしょうじ)の静寂を切り裂いたあの惨劇から、数日が経過した。

 境内の白砂を汚した鮮血は洗い流され、平手政秀様の亡骸は、彼の功績に相応しい丁重さで葬られた。だが、織田家という組織に刻まれた「平手政秀を失った」という欠落(マイナス)は、どんな儀式を以てしても埋められるものではない。


 那古野城、奥の間。  

 そこには、かつてないほど濃密な「死」の気配が漂っていた。  


 部屋の中央には、織田弾正忠信長様。

 その対面に平伏しているのは、柴田権六(ごんろく)勝家様。そして、林佐渡守(さどのかみ)秀貞様。


 勝家様は稲生の敗北後、政秀様の説得により信長様に臣従したばかりであり、秀貞様は末森城にて信行様を当主に担ぎ上げようと画策していた反逆の首謀者である。


 二人の巨躯は、今は幽霊のように青ざめ、畳に擦り付けられた拳は小刻みに震えている。

 彼らが信じる「武士の道理」に照らせば、主家を混乱に陥れ、挙句の果てに最高幹部の命を奪うきっかけを作った自らの首は、百回撥ねられても足りない。


「……面を上げよ」


 信長様の声が、冷たく、低い響きで部屋に満ちる。

 その瞳には、政秀様の最期を看取った際の激情は一片も残っていない。そこにあるのは、自らの領土に生じた「莫大な損失」を、どう処理すべきか冷徹に計算する主君の目だ。


「は、ははっ」


「権六。貴様には、末森の目付けを任せてあったはずだ」


「……申し開きもございませぬ。信行様の内情、御しきれず、かかる暴挙を許しました。ひとえにそれがしの不徳……。この首を以て、平手殿への詫びと致したく」


 勝家が、自身の脇差に手をかけようとする。

 だが、信長様はその「感情的な責任の取り方」を、一片の価値もないものとして切り捨てた。


「貴様の首一つで、じいが戻るか」


 その一言に、勝家の手が止まる。


「じいの価値は、織田の家臣すべてを束ね、導く力にあった。対して権六、貴様の今の価値は、稲生で負け、末森での目付けもしくじった『傷物』に過ぎぬ。その程度の首を差し出して、じいの死と釣り合う(・・・・)と、本気で考えているのか」


 私は傍らで、信長様の言葉を聞きながら、勝家様の表情を観察する。

 信長様の論理は極めて正論に近く、冷酷だ。武士にとって最上級の謝罪である「死んで詫びる」という行為を、彼は「損失に対するさらなる損失の積み増し」としか見ていない。その絶望的なまでの合理性に、勝家は言葉を失っている。


「謝罪など、犬にでも食わせろ。私が求めているのは、今後の報いだ」


 信長様は、視線を隣の林秀貞へと移した。その瞳には、勝家に向けたものよりもさらに鋭い、刺すような軽蔑が宿っていた。


「佐渡守。貴様は、長年父上に仕え、この織田の仕組みを知り尽くしていたはずだ」


「はっ……。信行様の乱心、お止めできず、痛恨の極みにございます……」


「白々しい。貴様は止める気などなかった。……違うか?」


 信長様の静かな問いかけに、秀貞の肩が大きく跳ねた。


「佐渡守。貴様は父上の代から筆頭家老として、この織田家中を差配してきた。その貴様が、信行の器を見誤ったなどという言葉、誰が信じる。貴様は信行が『弱い』と知っていて、あえて担いだ。……そうだな?」


「そ、そのようなことは……! 私はただ、織田の安泰を願い……」


「安泰、だと?」


 信長様が、鼻で笑った。


「貴様が求めたのは織田の安泰ではない。貴様は、己の保身のために家中を割ったのだ。信行という『弱い器』を据えることで、自らの権勢を盤石にせんとした。その貴様の卑しき思惑が、家中を二分させ、結果としてじいを死なせたのだ。……貴様のその場当たりな小細工が、織田という家をどれほど脆弱にしたか、理解しているか?」


 林秀貞は、滝のような汗を流しながら平伏した。

 信長様の言葉は、秀貞がこれまで隠してきた「政治的な不手際」の核心を容赦なく射抜いている。

秀貞にとって、信行様を担ぐことは自らの地位を安定させるための策に過ぎなかった。

だが、その「安易な選択」が、組織の柱である政秀様を失うという、最悪の帰結を招いたのだ。


「佐渡。貴様は自分が『慎重』なのだと思い込んでいるようだが、それは違う。貴様はただ、変化を恐れて足を止めているだけの腑抜けだ。貴様が信行を煽り、無益な野心を植え付けた結果、あの男は壊れた。そして、壊れた信行の始末を、あろうことかじいに押し付けたのだ」


「お、お言葉ながら……殺害したのは信行様でございます! 私が手を下したわけでは……!」


「――その言い訳が、最もじいへの侮辱であると気づかぬか」


 信長様の声から、温度が消えた。


「貴様が『筆頭家老』という地位に見合う働きをしていれば、じいが本堂で身体を張る必要などなかった。貴様が保身のために組織を腐らせた結果生じた綻びを、じいが命という対価で縫い合わせたのだ。……佐渡守。平手政秀は、貴様の『無能』と『怠慢』の身代わりとして死んだ。……これ以上の大罪が、織田の家臣にあると思うか?」


 秀貞様は、もはや反論する力もなく、ただ激しく震えながら平伏した。

 信長様の断罪は、単なる怒りではない。秀貞という人間が、いかに組織にとって「害悪」であり、政秀の死に対して「直接的な加害者」であるか、その因果関係を冷徹な論理で確定させてしまったのだ。


「お命ばかりは……お命ばかりは、何卒……!」


「命、か。貴様の命を今ここで絶ったところで、織田にとっては何の益もない。むしろ、これまで貴様が握ってきた政務の糸を解く手間が増える分、わずかながら手間が増える。……これ以上、私に無駄な労力を使わせるな」


 信長様は、立ち上がることもなく、ただ冷たく秀貞を見下ろした。その表情には「情」の欠片もなく、まるで故障した古い機械をどう廃棄するか思案しているかのような、無機質な残酷さが漂っていた。


「(……信長様、これ以上追い詰めれば、彼は恐怖で再起不能になります)」


 私は一歩前に出た。ここからは、私の仕事だ。


「……佐渡様。殿が仰っているのは、あなたの『筆頭家老』としての職責が、完全に破綻しているということです」


 私は、信長様の圧倒的な威圧感を、具体的な「更生プログラム」へと変換し始める。


「ですが、殿は、あえてあなたに汚名返上の機会を与えられました。今後、あなたは家老の座を降り、一介の実務者として、織田の再建に尽くしていただきます。権限はすべて取り上げますが、あなたが長年培ってきた事務の知見は、まだ使い道があるとのご判断です」


 秀貞様が、驚いたように私を見た。

 かつての覇気は明らかに今はもうない。


「平手様は、あなたが己の過ちに気づき、再び織田のために働く日を夢見ておられました。あなたが今ここで無益に果てることこそ、平手様の死を汚すことになります。……殿は、あえてあなたに、死ぬよりも過酷な『贖罪の道』を用意されました。他人の三倍働き、手柄はすべて平手家と戦没者の遺族に捧げる。……いかがですか。ただの臆病者として終わるか、それとも泥水を啜ってでも成果を上げ、織田の躍進にその余生を使い潰すか。……今、ここで選んでください」


 秀貞は、嗚咽を漏らしながら、額を床に擦り付けた。


信長様は、立ち上がることもなく、ただ冷たく秀貞を見下ろした。  彼はすでに、秀貞を「人間」として見ていない。ただ、使い古された、だがまだ辛うじて動く「古い事務機器」として査定しているのだ。


「佐渡。貴様には、これより末森派の家臣団の全財産を精査し、織田の新しき法制に適合させる事務作業を命じる。一つの計り間違いも許さぬ。貴様の価値を、死ぬ気で示せ。……成果が上がらぬと判断した瞬間に、その首はじいの墓前に捧げる。……いいな?」


「は、ははっ! 何なりと、何なりとお申し付けくださいませ……!」


 秀貞は、もはや恐怖すら超えた無機質な事務命令を、命綱のように握りしめた。

 彼らは「許された」のではない。信長様によって「死ぬよりも過酷な成果主義」の歯車へと組み込まれたのだ。



◆◆◆



那古野城の最奥。日の光も届かぬほど深い場所に設けられた座敷牢の空気は、冷たい湿り気とカビの臭いに満ちていた。  格子戸の向こうには、かつて家中がその端正な姿に織田の未来を嘱望した、名門の子としての面影は微塵もない。虚ろな目で壁を見つめる信行様の姿があった。


「……信行様。」


 私の静かな呼びかけに、彼はゆっくりと、首を軋ませるようにこちらを向いた。

 萬松寺で平手政秀様を刺した瞬間、彼の内側で何かが決定的に壊れてしまったのだろう。

 その瞳に宿っているのは、野心でも狂気でもなく、ただ深い、澱のような虚無だった。


「帰蝶か……。兄上が、腹を切れと言ったか」


 信行様は、掠れた声で、淡々と問いかけた。

 その言葉には、不思議なほどの実感が籠もっていた。彼は、政秀様を殺してしまったという取り返しのつかない罪、そして兄に完敗した自身の器を認め、もはや生き長らえる理由を見失っているようだった。


「……それこそが、この世で最も正しい収まりだ。父上にも、平手殿にも、もはや合わせる顔がない。これ以上、私が生きていても、織田の血を汚すだけだ。……すぐに、介錯の準備をさせてくれ。兄上に、せめて最期くらいは織田の武士らしく死んだと、伝えてくれればいい」


 信行様は、自らの命を潔く諦めるように、深く溜息を吐いた。武士として死ぬこと、それだけが、彼が残した最後の矜持だった。


 だが、私はその安易な自己完結を許さなかった。


「信行様。あなたには、これから『死人』になっていただきます」


 私の言葉に、信行様の眉が動いた。


「物理的な死ではありません。政治的、社会的な死です。あなたは、今日この日をもって織田信行という名を捨て、出家していただきます。そして、生涯をこの那古野の奥深く、殿の監視が届く寺で、政務にも兵法にも触れず、ただ平手様の菩提を弔うことだけに費やしていただきます」


 信行様は、信じられないものを見るような目で私を見つめた。


「……殺さない、というのか? この私を、生かして晒し者にすると?」


「殿は、あなたを『もはや織田の利益にも不利益にもならない存在』だと判断されました。あなたがこの条件を飲み、二度と俗世に口を出さないと誓うなら、その命だけは、平手様の供養料として生かしておく、と」


 信行様は、わななき、自嘲気味に笑い出した。その笑いは、やがて嗚咽へと変わった。


「そうか。私は、兄上にとって……もはや、殺す価値さえないのだな。武士として死ぬことさえ、もはや、許されぬのか……」


 彼は震える手で、剃髪のための剃刀を受け取った。

 死を覚悟したはずの瞳が、今、屈辱と敗北感によって歪んでいく。


 私は、格子越しにその光景を冷徹に見つめていた。


(……これは、不祥事の『封じ込め』としての正解。 でも本当にそれだけなの……?)


 平手様への弔いのため、という言葉は、確かに論理的に通っている。  けれど、それは同時に、血を分けた弟の命を救うための、彼なりの不器用な「言い訳」だったのではないだろうか。  

 言葉では「無価値だ」と切り捨てながら、その実、家族の首を撥ねることを土壇場で回避した。

 それは組織管理上の高度な判断なのか、それとも、剥き出しの合理性の奥にわずかに残った、彼なりの「優しさ」なのか。

 その答えは、私にも、そしておそらく信長様自身にも分かっていないのだろう。

 私は、震える手で髪を落とし始めた信行様から視線を外し、暗い廊下を歩き出した。信長様という人は、理解すればするほど、その孤独が深く、愛おしく感じられてしまう。


 これで、尾張国内の不採算部門――信行派の整理は、一応の決着を見た。  主犯は政治的に抹殺され、その残党は過酷なノルマを課された「再編部隊」へと再編された。組織としての織田家は、政秀様の死という代償を糧に、より機能的で冷徹なものへと変貌を遂げたのだ。


 だが、休んでいる暇はない。  那古野の城門には、美濃からの使者が到着していた。

 斎藤道三――マムシと呼ばれた父が、娘の、そして婿の「戦果」と「損失」をどう評価したか。  次なる経営戦略の幕が、上がろうとしていた。

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