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戦国バタフライ・エフェクト ~帰蝶(わたし)のマネジメントが強すぎて、ロジハラ魔王織田信長が「ホワイト天下人」になってしまった件~  作者: 六坂


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第9話:大殿の御聖断 ~創業者の遺言~

稲生(いのう)の戦いの決着から、わずか数刻。

 戦場の硝煙と泥を纏ったまま、信長様は馬を飛ばし、末森城へと乗り込んだ。

 通常であれば、戦勝の後は論功行賞や首実検を行うのが通例だ。だが、信長様にとってそれらは「終わった工程」に過ぎない。彼が見据えているのは、この勝利という「実績」を携えて、病床にある父・信秀(のぶひで)様に、織田の家督を継ぐ覚悟を、そしてその「理」の正しさを証明することだった。


 末森城の奥深く、死の影が漂う信秀様の寝所。

 そこには、戦場から命からがら逃げ帰った織田信行様が、すでに父の枕元に縋り付いていた。


「……父上! 兄上の暴挙、もはや看過できませぬ! あの方は農民を銭で買い叩き、武士の誇りを汚す奇妙な槍を持たせ……あれはもはや織田を継ぐ者ではございませぬ、ただの魔物です!」


 信行様の悲痛な叫び。それは「伝統」という名の既得権益を守ろうとした敗者の、なりふり構わぬ中傷だった。  そこへ、静かに、だが圧倒的な重量感を持って、信長様が足を踏み入れた。


「……騒々しいぞ、勘十郎」


 その一言で、室内の空気が凍りついた。  信長様は、泥に汚れた軍装のまま、父の枕元に平伏することなく立った。私は、その数歩後ろで平手政秀様と共に控える。  病床の信秀様が、重い瞼をゆっくりと開けた。かつて「尾張の虎」と恐れられた猛将の瞳には、死を間近にしてもなお、真実を見極めようとする鋭い光が残っている。


「……三郎(信長)か。……勝ったのか」


「勝った。七百の兵で、千七百を粉砕した。……道具と、規律の差だ」


 信長様は一切の飾りを排し、事実だけを告げた。

 信行様が再び声を荒らげる。


「父上、お聞きください! 兄上は家臣を道具と言い切り、我らが培った武士の絆を……!」


「黙れ、勘十郎」


 信秀様の枯れ木のような手が、信行様を制した。

 信秀様は、信長様の脇に立てかけられた一挺の長槍――稲生で自軍を蹂躙した、あの三間半の凶器を、じっと見つめていた。


「……三郎よ。その槍で、柴田を討ったのか」


「殺してはいない。……あの男は、織田の家にとって有用な資産だ。俺の理に組み込み、再活用する。政秀に、その手配をさせた」


 信長様の言葉に、信秀様は、ふ……と微かに口角を上げた。それは、絶望に近い驚愕と、それ以上の深い感銘が入り混じった笑みだった。


「……絆だの、誇りだのと言いながら、勘十郎(信行)。お前は勝家に負けを負わせ、無駄死にをさせようとした。……だが、三郎は、己の理屈で勝家を打ち砕き、なおかつ生かした。……どちらが、織田の家を思っているかは明白よ」


「父上!? そのような……!」


 信秀様は、震える手で傍らの枕元にある小さな箱を指し示した。

 中には、織田家嫡流の証である家宝の刀と、一族の意思を決定する印判が収められていた。


「……政秀。家中全ての重臣を、ここへ集めよ。わしが動けるうちに、全ての決着をつける」


(……歴史が、また一つ書き換わった)


 私は、胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 本来の歴史における織田信秀という男は、死に際にあっても二人の息子のどちらを後継とするか言い切らず、曖昧なまま世を去った。それが織田家を泥沼の家督争いへと叩き落とした、創業者の「最大の失策」だったはずなのだ。

 けれど今、存命中に信長が信行を下したことによって、この病床の老いた虎は、私の知る歴史にはなかった『明確な意思決定』を下そうとしている。

 

◆◆◆


 数刻後。  末森城の広間には、織田家の重臣たちが揃っていた。

 敗北した柴田勝家、困惑する林秀貞、そしてその他の領主たち。彼らの中心で、病床の信秀様は政秀様に支えられながら、最後の力を振り絞って座っていた。


「……皆、聞け。織田の家督、並びにこの尾張の未来。……すべてを、三郎信長に委ねる。……これは、わしの最後の下知である」


 広間が、静まり返る。  信行様は膝を突き、うなだれるしかなかった。創業会長による、現社長への「全権委譲」の正式な宣言。それは、末森陣営が掲げていた反論の余地を、父自身が根底から断った瞬間だった。


 信秀様は信長様を招き寄せ、その耳元で、誰にも聞こえぬほどの掠れた声で囁いた。


「……三郎。お前の理は、あまりに正しく、そして冷たい。……天下を目指せ。誰も理解せぬ道を行くなら、魔王になる覚悟を持て」


 信長様は、黙って父の言葉を受け止めた。その瞳には、主君としての重圧と、それを飲み込むほどの強固な意志が宿っていた。


「……わかった、親父殿」


 それが、親子の交わした最後の言葉となった。  一五五三年、八月下旬。織田信秀、死去。


◆◆◆


 那古野へと戻る帰路。  月明かりに照らされた信長様の横顔は、もはや「うつけ」と呼ばれた青年のものではなかった。  父の死という個人的な悲しみを飲み込み、組織を背負う統治者の顔へと、完全に変貌を遂げていた。


(……まずは第一関門突破、ね。信長様は正真正銘の『後継者』として、家中を統べるための切符を手に入れた。ここからが、本当の正念場だわ)


 私は、馬の揺れに身を任せながら、引き締まる思いで夜道を見つめた。  史実では、誰も味方がいない孤独の中で父を失い、だからこそ信長様は荒れ、うつけを演じ続けなければならなかった。けれど、今の彼には確かな実績があり、父からの公式な承認がある。


(歴史は、少しずつ良い方向に書き換わっている。葬儀を滞りなく終えれば、織田家はより強固な一枚岩になれるはず。……気を抜かずに、最後までプロデュースしきらなきゃ)


 私は、脳内のスケジュールを更新した。  これからの葬儀は、織田家の結束を内外に示すための、威厳ある儀式にする。信長様を「若き名君」として盤石な立ち位置へ導くこと。それが、この加速した歴史の中で私が果たすべき当面のミッションだ。


◆◆◆


織田勘十郎信行。

織田の伝統と格式を体現し、家中から『正統なる後継者』と嘱望されながらも、兄の規格外の進化に追い詰められた悲劇の英才――。


「……槍が長ければ勝てる? 絆よりも銭で時間を買え? そんなものが、戦国を生き抜く武士の言葉かッ!」


 末森城の自室。私は暗闇の中で、独り叫んだ。  稲生原で見た光景が、網膜に焼き付いて離れない。  私が慈しみ、鍛え上げた精鋭たちが、あの無機質な「長い棒」の前に、虫のように突き殺されていった。最後には一騎当千の猛者たちが、馬上の兄上が放った「火を噴く筒」の一撃で、魂を抜かれたように凍りついた。


 あれは戦ではない。  あれは――屠殺(とさつ)だ。  誇りも、名誉も、家臣が積み上げた長年の研鑽も、すべてを「数」と「理」で切り刻む、冷徹な『算盤(そろばん)の盤面』だ。

 「戦」は手柄を競い合う「武士の晴れ舞台」のはずだった。

 しかし、信長の長槍隊や鉄砲による戦い方は、敵を効率的に処理するだけの「冷たい計算式」のように信行の目には映った。


「柴田までもが……権六(勝家)までもが、兄に膝を屈した……」


彼は裏切ったのではない。兄上の示した「圧倒的な勝利の理」の前に、自らの武勇がもはや通用しない現実を叩きつけられ、その新しき理の中でしか武士として生きる道を見出せなくなったのだ。


 そして、父上だ。  父上は死の間際、私ではなく兄を選んだ。

 私の掲げる「徳」を古きものと切り捨て、兄上の「合理」こそが天下を掴むと、公衆の前で言い切ったのだ。


「……私は、何だったのだ」


 織田信秀存命中の稲生(いのう)の戦い。

 歴史の改変は新たな狂気を呼んでいた。

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