第1話:マムシの娘、尾張に立つ
初めまして。六坂と申します。 本作が私にとって初めての執筆・投稿作品となります。
「もしも、織田信長の妻・帰蝶の中身が現代の敏腕マネージャーだったら?」
史実のバッドエンド(本能寺の変)を回避するため、IQ(知能指数)は高いけどEQ(対人感情)が死んでいる「ロジハラ魔王・信長」を、日本一愛される「ホワイトな天下人」へとプロデュースする。
そんな、戦国お仕事(?)ファンタジーです。 初めての挑戦で緊張していますが、楽しんでいただけるよう頑張ります!
ガタゴトと、尻に直接響く不快な振動で意識が覚醒した。 サスペンションもろくに効いていない、空調ゼロの高級車――いや、これは「籠」だ。
(最悪だわ。移動時間だけで腰が死ぬなんて、労働基準法違反もいいところよ)
私は気怠げに体を起こすと、そっと簾の隙間から外を覗き見た。 乾いた風と共に、土埃の舞う尾張の荒野が流れていく。
行列とは名ばかりの、貧相な一行だ。 籠を担ぐ人足を除けば、美濃から付き従うのは爺やと数名の侍女、そして最低限の警護のみ。総勢でも十人に満たない小所帯である。
舗装もされていないデコボコ道を、黙々と歩く私たち。 その視線の先には、これからの私の職場――那古野城が、黒い影となって浮かび上がっていた。
私は小さくため息をつき、揺れる視界の中で現状を再確認する。
私の名前は帰蝶。美濃の戦国大名・斎藤道三の娘。 そして現在、尾張の「大うつけ」こと織田信長の元へ、政略結婚という名目で出荷されている最中である。
……というのが、今の私の「表向き」のプロフィール。 その中身は、令和の日本で芸能事務所のチーフマネージャーをしていた、ただの社畜(兼・歴女)だ。
タレントの不祥事謝罪行脚の末に、過労で倒れたと思ったら……まさか戦国時代に転生するなんて。 しかも、よりによって「帰蝶」だなんて!
……待って。帰蝶? 「蝶」?
私は籠の中でハッとした。 『バタフライ・エフェクト』。 一匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で竜巻を起こすというカオス理論。
もし私が、この戦国時代で小さな「羽ばたき」を起こしたら? その風は、本能寺の変という「嵐」さえも吹き飛ばせるんじゃない?
「……ふふっ。上等じゃない」
やるからには、徹底的にやってやる。 前世では志半ばで倒れたけれど、この二度目の人生は無駄にしない。 史実という名の既定路線なんて、私が全部書き換えてやるわ。
「姫様、もうじき那古野城に到着いたします……」
籠の外から、爺やの震える声が聞こえた。 無理もない。これから会う婿殿は、奇行に次ぐ奇行で「尾張の恥」とまで呼ばれる問題児だ。常識が通じない暴れん坊として、悪い噂しか流れていない。
だが、籠の中で私はニヤリと口角を上げた。
懐には、父・道三から渡された護身用の短刀が一振り。 『信長がうつけなら、これで刺し殺せ』 そんな物騒な命令と共に渡された凶器を、私は指先で弄ぶ。
(刺し殺す? まさか。そんなもったいないこと、するわけないじゃない)
織田信長。 歴史オタクの私なら知っている。 彼はただの馬鹿ではない。当時の人間には理解不能なレベルでIQが高すぎる、一種の天才だ。 合理的で、冷徹で、未来を見通す目を持っている。
素材としては、間違いなく一億人に一人の逸材だ。
だが、史実が正しければ、彼には致命的な欠陥があるはずだ。 それは――「他人の感情(EQ)に対する理解不足」だ。
歴史上の彼は、正論で人を殴り、論理で心をへし折り、ついてこられない人間をゴミのように切り捨てる。 その結果が、1582年の本能寺の変だ。 あれは単なる謀反じゃない。積もり積もったパワハラとロジハラに対する、部下たちの決死の「労働争議」だ。
当然、妻である私も道連れで焼死エンド。冗談じゃない。
(私が来たからには、そんなバッドエンドは認めない)
燃えるのは本能寺じゃなくて、民衆のハートだけで十分よ。 信長様、覚悟しておいて。 もし貴方が史実通りの性格なら、私が日本一愛される「ホワイトな天下人」にプロデュースし直してみせるから。
「到着いたしました!」
籠が地面に置かれる。 周囲の空気は重い。出迎えの織田家の家臣たちも、「マムシの娘」の到着に戦々恐々としているのが肌でわかる。 だがそれ以上に、彼らの顔には「疲労」と「諦め」の色が濃い。
(……相当、職場の空気が死んでいるわね)
ブラック企業の臭いがプンプンする。 経営者が暴走し、社員(家臣)が疲弊しきっている証拠だ。
さあ、仕事の開始だ。 私は懐の短刀をギュッと握りしめると、覚悟を決めて立ち上がった。
まずは「祝言」の席での顔合わせ。 噂の魔王様が、どれほどの「うつけ」ぶりを見せてくれるのか。 私は「世間知らずで従順な姫君」という営業用の仮面を被り、籠の扉を開け放った。
(お手並み拝見といきましょうか、私の旦那様?)
「姫様、お足元にご注意を……」
差し出された手を借りて、私は尾張の土を踏んだ。 案内された城内は、予想通り淀んでいた。すれ違う家臣たちは皆、死んだ魚のような目をしているし、廊下の隅には掃除が行き届いていない埃が見える。 組織の乱れは環境に現れる。まさにブラック企業の典型例だ。
私は控え室で呼吸を整え、白無垢の襟を正す。 長い廊下を渡り、重厚な襖の前で足を止めた。
いざ、戦場へ。
那古野城の大広間。 そこは、皮肉なほどに豪華絢爛だった。
金箔を貼った屏風に、朱塗りの膳。 皿の上には、手つかずの鯛や伊勢海老といった山海の珍味が冷え切り、積み上げられた酒樽が威圧感を放っている。 広間の左右には、織田家の重臣たち――およそ三十名ほどがずらりと並び、私たちを値踏みするように見つめている。
多勢に無勢。完全な敵地だ。
だが――祝言の席は、凍りついたような沈黙に支配されていた。
上座に座る織田信長は、着崩した格好で、まるで汚物を見るような目で、その豪華な会場と並み居る家臣たちを見下ろしている。
(……なるほど。噂以上ね)
対する私は、純白の白無垢の袖をきゅっと握りしめ、怯えたように小さくなってみせる。 扇子で顔を隠し、視線を伏せる。周囲からは、荒くれ者の夫に恐怖する「可憐な深窓の令嬢」に見えているはずだ。
だが、その内心では冷静に私も彼と家臣達を値踏みしていた。
その時、一人の老臣が進み出た。 信長の守役――幼少より彼を教育し、育て上げてきた筆頭家老、平手政秀だ。その顔には、主君への恐怖よりも、育ての親としての悲痛な色が滲んでいる。
「……若君。いえ、殿」
平手は声を震わせながら、床に頭を擦り付けんばかりに平伏した。
「どうか、お召し替えを。今日は斎藤家との大事な縁組……。そのようなお姿では、美濃の方々に示しがつきませぬ。亡き先代様に代わり、幼き頃より殿の教育を任されてきたこの平手、情けなくて涙も出ませぬ……!」
それは、家臣としての諌言というより、身内としての悲痛な叫びだった。 周囲の家臣たちも、「爺様の言う通りだ」と無言で頷いている。情に訴える、最も日本的な説得。
だが。
「……平手」
信長の声は、氷のように冷たかった。 そこに、幼い頃の自分を慈しんでくれた「爺」への温情など欠片もない。ただの「一人の無能な部下」に向けられた、無機質な響き。
その他人行儀な呼び名に、平手の背中がビクリと跳ねた。
「質問に答えろ。なぜ、正装が必要なのだ?」
「は……? そ、それは……織田家の当主としての『威厳』を示すためでございます。形を整え、礼を尽くさねば、相手に侮られまする」
「威厳。礼節。侮られる。……なるほど」
信長は鼻を鳴らし、手にした盃を弄びながら、冷淡に言葉を紡ぐ。
「つまり貴様は、『織田家の値打ち』は、着る布切れや、形式的な所作によって変動すると申すのだな?」
「い、いえ、そのようなつもりでは……! しかし、人は見た目で判断いたします! 殿がそのような格好では、斎藤道三殿は『織田は礼儀も知らぬ野蛮人』と見下し、攻め入る隙を与えることになりかねませぬ!」
平手も必死だ。守役として叩き込んだ「武家の常識」を盾に、懸命に食い下がる。 しかし、信長は眉一つ動かさなかった。 ただ、計算式の誤りを見つけたかのような、温度のない瞳で平手を見下ろしただけだ。
「それが『思考停止』だと言うのだ」
鋭い眼光が、平手の言葉を切り裂いた。
「よいか平手。逆だ。斎藤道三はマムシと呼ばれる古狸だぞ? 私が教本通りの礼節を見せれば、奴はどう思う?」
「それは……織田が礼節を弁えた、道理の通じる相手であると……」
「違うな。奴は『織田の小僧は、予測可能な凡俗だ』と判断し、安心して寝首をかきに来るだろう」
「っ……!?」
「相手の予測を裏切り、理解不能な振る舞いで困惑させるからこそ、マムシは警戒して手を出せぬのだ。貴様がやろうとしていることは、礼儀という名目で、敵に攻略の糸口を与えること……」
信長は身体を前に乗り出し、凍りつく平手に決定的な一言を突き刺した。
「敵に我が城の絵図面を広げて見せるも同義だぞ?」
平手の顔から血の気が引いていく。 「礼儀」の話をしていたはずが、いつの間にか「重大な利敵行為」の話にすり替えられている。しかも、信長の理屈の方が、乱世においては圧倒的に正しい。
「それに、この儀式に費やした金銀と時だ」
信長は、手つかずで冷え切った豪華な料理の山と、煌びやかな金屏風を顎でしゃくってみせた。
「酒、肴、煌びやかな衣装……。これだけの国力を投じて得られる実利が、『自己満足の体面』だけ。……あまりに割に合わぬ商いとは思わんか?」
「し、しかし……! 武家には武家の矜持がございます! 心は形に宿ると教えたはず……!」
「矜持?」
信長は蔑むように鼻で笑い、平手を、そして列席する家臣全員を見回した。
「実利なき見栄に銭と人を浪費する組織は腐る。私は、無意味な虚飾よりも、確かな『富』や『武』という実利で人を動かす」
信長は立ち上がり、平手を見下ろした。
「貴様らは、『器』を飾ることに必死で、『中身』を磨くことを放棄している。守役として長年そばにいながら、私の本質を何一つ理解しようとしなかった。……それを無能と言わずして何と言う?」
「あ……あぁ……」
平手がガクリと崩れ落ちる。 反論できない。 長年の教育も、情も、常識も。すべてを「非合理」と断じられ、守役としての人生そのものを全否定されたのだ。
暴力は振るわれていない。怒鳴られてもいない。 ただ、「お前の思考は浅くて無駄だ」という事実を、鋭利なメスで切り刻むように突きつけられただけ。
(……えげつないわね)
私は扇子の裏で、目を見開いた。
(感情を一切排して、理詰めだけで相手の精神を解体した。まるで――実験台の蛙を生きたまま解剖するように)
血も涙もない。 そこにあるのは、完璧な論理による「切除手術」だ。
会場は静まり返っている。 誰も口を開けない。下手に口を挟めば、自分もあの「論理のメス」で解剖されると直感しているからだ。 平手政秀の目からは光が消え、絶望だけが残っている。
信長は、手元に置かれたなみなみと注がれた盃を、冷めた目で見下ろした。 そして、口をつけることすらせず、卓に叩き置く。
「下げろ。茶を持ってこい」
「は……? で、ですが、祝いの酒を飲まねば……」
給仕の者が恐る恐る声をかけるが、信長は汚らわしいものを見るように盃を睨みつけた。
「酔いとは、一時的な『思考の死』だ」
信長は吐き捨てるように言った。 その視線が、平手を、そして思考停止して震えるだけの家臣たちを冷ややかに射抜く。
「周囲が思考を止めた凡俗ばかりならば、主である私だけは、常に最適な答えを導き続けねばならん。……違うか?」
「っ……」
「故に、私は一秒たりとも理性を手放さん。脳を鈍らせる毒など、今の私には不要だ」
彼は酒を拒絶し、あえてシラフでいることを選んだのだ。
(……ああ、そうか)
私はその姿を見て、歴史オタクとしての知識が覆る音を聞いた。
史実において、信長は「下戸」だったと言われている。体質的に一滴も飲めなかったというのが定説だ。 けれど、目の前の彼は違う。
(彼は飲めないんじゃない。鋼の意志で『飲まない』ことを選んでいるだけ)
頼れる部下がいないから。 たった一人で、この家の命運を背負って思考し続けるために。 自らに禁欲を課し、快楽を切り捨てているのだ。
その姿が、ふと、ひどく痛々しく見えた。 誰も自分の思考についてこれない。理解してくれる者がいない。 だから、たった一人で全ての重圧を背負い込み、心休まる暇もなく、神経を張り詰めさせている。
それは傲慢さの裏返しにある、悲しいほどの「孤独」だ。
(なんて、不器用な……)
論理武装の鎧で身を固めた、傷だらけのワンマン社長。 その歪な精神構造が、私にはいじらしくも、放っておけないものに映った。
なるほど……IQが高すぎて、凡人の感情論がノイズにしか聞こえないのね。 だから平気で人の心を折るし、結果として自分自身の首も絞めている。
典型的な、能力は高いが上司にしたくない男ナンバーワン。 だが、その思考回路は驚くほど現代的で――そして、どこか危ういほどに純粋だ。
(翻訳さえ整えれば、最強のシステムになるわ。……面白くなってきたじゃない)
私は完璧な「深窓の令嬢」の演技を崩さぬまま、心の中で不敵に笑った。 この「孤独なロジハラ魔王」をどう攻略するか。私の腕の見せ所だ。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
初めての投稿で、心臓が口から飛び出るほど緊張しながら公開ボタンを押しました。ここまで読んでくれたあなたに少しでも何かを感じていただけたなら幸せです。
さて、次回。 この「孤独な論理魔王」と、二人きりの夜が始まります。 もちろん、ただの甘い初夜で終わるはずがありません。
▼次回予告 『第2話:初夜の契約更改 ~まずはその格好をなんとかしなさい~』
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