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モブにも悪役令嬢にもなれない私

作者: 国先 昂


「レイラ様今日は殿下とお約束ですか?」

 

 いつも昼食を共にする級友がにこやかに声をかけてくれる。

  

「ええ、昼食をともにしようと」

 

「うらやましですわ」

「本当に」

「レイラ様と殿下は政略結婚とはいえ、いつも仲が良さそうで……では、我々も昼食に行きますね。ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 私は級友を微笑んで見送る。


 級友の姿が見えなくなると、貼り付けていた笑みを消し、小さくため息を吐いた。そして待ち合わせ場所である中庭の噴水前のベンチに向かう。


 ベンチにはいつも出迎えてくれる殿下の姿は見当たらず、私はそのまま腰掛けた。手持ち無沙汰で何の気なしに噴水を覗くと、見慣れた自分の顔が写る。


 大きなこげ茶色の瞳に薄茶色の髪。髪の毛はふわふわでそのままくくるとまとまりなく見えなるため、いつもきっちり三つ編みにしている。


 家族にはリスのように可愛いと言われる姿だが、どこの誰が見ても平凡で、印象に残らない顔立ちである。


 両親と兄弟は金髪碧眼の典型的な貴族の顔立ちをしているのに、どうして私だけが……と小さな頃は私だけがもらわれた子なのかもと心配した時期もあったが、父から私の顔立ちにそっくりな曾祖母の姿絵を見せてもらい両親の子であるとなんとか信じることができたほどだ。


 父も母も社交界では華にたとえられるほど美しく、筆頭公爵家という立場もあっていつもたくさんの人に囲まれている。兄と姉もその遺伝子を受け継ぎ、華やかな話題に事欠かない。


 一方の私はというと、目立つ婚約者がいなくなれば幼い頃からの友人2人を除いてほとんど誰からも話しかけられることはない。


 といってそのことが不満なわけではない。


 正直もし私が外野の人間なら私に話かけることはしないからだ。外見も平凡、とりわけ勉強ができるわけではなく、外交に強いわけでもなく、学園での成績も中の上程度。関わることで得られる旨味がほとんどないのだ。


 それに、性格的にも社交界で華々しく社交に取り組むよりも、自室で大好きなロマンス小説を読みふけっていたいというのが本音である。


 そう、外見的にも内面的にも華やかな場は向いてないのである。


 それなのに……である。


 筆頭公爵家次女という肩書きが、ただのモブであることを許してくれない。


 おそらく肩書きさえなければ、モブであろう私だが、生まれたと同時に王家の次男と婚約が結ばれたのだ。身分の釣り合いと、当時から家族ぐるみで仲が良かっため、両家ともに反対する者はいなかったそうだ。


 その、婚約者が問題なのである。


 王家の次男という肩書きもさることながら、この男がそれはそれは華やかな外見をしているのである。太陽のように輝く金髪、紫紺の瞳は甘く、どこか色気を感じさせる顔立ち。身長は高く、騎士科に所属しているため細いながらもしっかりと筋肉がついており、姿を見るだけで顔を赤らめる女性が後を絶えない。おまけに勉強もできて学園では常に首席をキープしている。


 文武両道、完璧を絵に描いたような男なのだ。


 その、完璧な王子の婚約者が私。


 誰がどう見ても釣り合いが取れない。


 教室で話しかけてくれた仲の良い級友でさえ、政略結婚でとつけることからも分かるように、誰もが私が筆頭公爵家次女でなければその立場に留まることはできないと考えている。


 いっそのこと悪役令嬢となって、彼から婚約破棄をしてもらえたら……と考えたこともあるが、私のスペックが低すぎて、小説のように人を使うことができない。何より、婚約者のエドワルドが私以外の女性とは一定の距離を保つため、ヒロインが今のところ影も形もない。


 婚約解消を両親に望んでも相手に重大な過失が無ければダメだと却下されてしまう。


 ふ――

 

 淑女らしからぬ大きなため息をついてしまう。


「大きなため息だね。何か悩みごと?」

 いつの間にか、目の前にその婚約者が立っていた。

 

 汗をかいたせいか服のボタンをいくつか外しており、いつも以上に色気がだだ漏れである。


「……分かってるくせに」

 幼い頃からの長い付き合いである。頭のよいこの男はいつも私が考えることの二、三歩先を読んでくる。


「うーん、何だろう。今日の昼食のメニューは何かとかかな。遅れて悪かったね。実習が長引いたからそのまま来たんだ」

 実習後だから着崩した感じで服を着ているのか……。でもこの姿を見ると倒れる女子が続出しそうである。


「ボタンを止めて」

「あれ、俺の色気にあてられたかな?」

「馬鹿言ってないで早く」

「はい、はい」

 面倒そうに言いながらもしっかりボタンを止めると、いつもの隙のない王子様が出来上がる。


「行こうか」

 差し出された手に自分の手を添えると、そのまま昼食を食べる別室へとともに歩き出した。


 ……この手を払い除けられたらきっと楽になる。


 分かっていても、それができない。

 したくないと思う自分もいる。


 小さな頃から婚約者として一緒に育ち、互いのことは知らないことはほとんどないと言える関係。気を遣わずに過ごせるという点ではお互いに一緒にいて楽である。


 そして何より、私にだけ素直な地を見せる彼のことがずっと好きなのだ。


 たとえ釣り合わないと周りから言われても。


 ただ、どんなに努力しても隣に立つに足る力を身につけられない自分が歯がゆくて、情けなくて、時折全て投げ出したくなる。


 それに……。


 婚約者として、大切にしてもらっているのは分かる。でも、その気持ちが私と同じなのかどうかだけは全く分からないのだ。


 「好きだよ」と彼は気軽に言ってくる。


 だからこそ、その好きの重さが読みとれない。


 私と同じ恋人としての好きなのか、幼馴染として家族の一人のような好きなのか……。


「今日はやけに考え込んでるね。今夜の夜会のこと?」


 そうだ。それもあった。


 今夜の夜会は隣国から第一王女がやってくるらしい。かなりの美姫との噂である。隣国とは昔から両国の国境で小競り合いが絶えない。和平推進派と開戦派で我が国も意見が対立している。


 ちなみにエドワルドの兄、第一王子は和平推進派、エドワルドは開戦派の旗柱に目されることが増えてきた。仲の良い兄弟だが、国の行く末の考え方は相容れないらしい。しかも我が国は長子継承制ではなく王による指名制で次期王を決めるのだが、2人の王子がどちらも優秀すぎてまだどちらを王太子にするか定まっていない。本来なら2年前に順当に第一王子が立太子するはずだったのだが、政略結婚の侯爵令嬢と婚約を解消し、学園で恋に落ちた優秀な伯爵令嬢と結婚を叶えたことで立太子の話が一度立ち消えてしまった。侯爵令嬢にも別に好きな人がおり、円満な解消だったのだが、王命を蔑ろにしていると不満の声が上がったらしい。


 そろそろどちらが次期王になるか、決まるのではという噂も耳にすることが増えた。万が一エドワルドが王になれば私は王妃としてこの国を支えていかなければならない。果たして私にそれができるのか……。


 王は今のところ静観の立場をとっており、今後については不透明である。ちなみに我が家も静観の立場である。


「それもあるわね。エドワルド、今日はエスコートできるの?」

 隣国の王女のエスコートを頼まれているかもしれない。第一王子はすでに妃がいるため、未婚の王族はエドワルド一人である。

 

「もちろん。先日新調したお揃いの服を着ていこう」

 紫色とも藍色ともとれる濃い紫紺のドレス。ひと目見ればエドワルドの瞳の色に合わせているのが丸分かりのドレスである。エドワルドも同じ生地の服を注文していた。


「分かったわ」


 最近は隣国の件で夜会も何だかものものしい雰囲気になることが増えてきている。エドワルドの周りを開戦派が固め、王の天秤を開戦へと傾かせたいのが誰が見ても分かるほどだ。エドワルドは政治の話に私に入ってほしくないのか、そういう時はわざと私から離れて話をしている。

 

「何も起こらなければ良いけれど……」

「……何も起こらないよ」


 不安なことほどよく当たる。いつもと変わらない笑みを浮かべるエドワルドを見て、なぜか言いしれぬ不安な気持ちに襲われた。


 ◇ ◇ ◇



 今夜の夜会は上級貴族のほとんどが参加しているようだ。エドワルドにエスコートされて会場に足を踏み入れると、いつも以上に視線を感じる。

 

 さっそく何人かの有力貴族がこちらに挨拶に来る。エドワルドが機知に富んだ会話をすすめ、私も側で笑みを絶やさないように如才無く振る舞う。


 準備が整ったのだろう、ファンファーレが鳴り響き、主賓の王が王妃と共に現れる。


「皆のものよく来てくれた。今日は、隣国からシェリー第一王女も来てくださっている」

 王の発言の後、第一王子にエスコートされてシェリー第一王女が姿を現す。


 燃えるような紅い髪に、強い意志を感じさせる金色の瞳。プロポーションも抜群で、体の線が分かるドレスも彼女のスタイルの良さを引き立たせている。


 噂に違わぬ絶世の美女である。


「さて、ファーストダンスだが……我こそはシェリー姫と踊りたいという者はおらんか」

 

 会場がざわめく。珍しい。王が相手を指名しないなど。普段は無難に高位貴族かエドワルドを指名されるのにどうしたのだろう。おそらく独身男性は名乗り出たいだろうが、身分が低すぎると隣国への侮辱と取られかねない。エドワルドがお相手するのが一番角が立たないのだが、当のエドワルドは私の腰に回した手を緩めない。


「誰もおらんのか……ふむ、姫の美貌に皆気をくれしておるな」

「よろしいでしょうか」

 第一王子が口を挟む。


「シェリー姫には我が国の独身男性で一番身分の高い者がふさわしいかと」

 皆の視線がエドワルドに集まる。エドワルドは笑顔を崩さないが、腰に回した手にキュッと力を入れた。


「いえ、私には婚約者がいますので……それなら……」

「私はエドワルド様と踊りたいですわ」

 シェリー姫も追従する。どうやら姫もエドワルドと踊りたいらしい。


「エドワルド様、私なら大丈夫ですから。いってらして」

「レイラ、だが……」

 珍しくエドワルド様が行き渋る。

「ミリーナ様とジェシー様の側にいますからご心配なさらず」

 おそらく心配しているのは別のことだろうがここは無難におさめる方が良いだろう。エドワルドもそのことは分かっているのか、私の腰からてを外すと、私の手に口づけを落としその場を離れる。 

 

「レイラのことをよろしくね」

「もちろんです」

「承りました」

 

 近くにいた、ミリーナ様とジェシー様に声をかけるとシェリー姫の元へと向かう。

 

「お手を……」

 そのままシェリー姫の手をとり、会場の中央へと進む。楽団の曲に合わせて2人が最初のステップを踏み出す。

 

 まるで1枚の絵画のように絵になる2人である。ダンスも優雅で、金色と紅色が混ざりあって一つに溶け合っているかのようだ。


「お似合いの二人ね」

 どこからともなく囁かれる声が耳に入る。


 本当にお似合いの二人である。

 私とエドワルドが踊ってもこの空気はつくれない。


 曲が終わり、二人がピタリと止まると会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こる。


 熱気も冷めやらぬまま、二曲目が演奏される。二人を見て触発された人たちが次々と中央へと足を運びそのままダンスを踊る。


 肝心の二人は二曲目は踊らないらしく、エドワルドが姫を第一王子のところに送り届けるとこちらに帰ってきた。


「……疲れた」

 表情と言葉が一致していない。笑顔を保ちながら分からないように本音を呟く。私も小声で話しかける。

「お疲れ様。一曲で良かったの?」

「良いに決まってるだろ。兄さんの策略に付き合う義理はないよ」

 和平派の第一王子としては隣国の王女とエドワルドの婚約は願ってやまないものだろう。それが分かるからエドワルドも珍しく兄に対して苛立ちを隠さない。


 姫から離れたエドワルドを見て、また周りに人が集まってくる。2人が踊る姿を見て不安になったのか、今度は開戦派の人たちがほとんどである。


「レイラ、お友達の所へ行っておいで」

 私は素直に頷くと、ミリーナ様とジェシー様の側へと足を進めた。


「大変ですわね」

「エドワルド様はレイラ様一筋ですわよ」

 二人とも事情を分かって気遣ってくれる。

「ありがとう」

 でも、本当に私で良いのだろうか。

 

 シェリー姫の方を見ると、姫は私を見ていたのか金色の瞳と視線が絡み合う。


 強い瞳。まっすぐそらさずに私を見つめている。


 先にそらしたのは私の方だった。 


「2人ともまだ踊ってないじゃない。せっかくだから行ってきて。私はテラスで少し休んでいるわ」

「……でも」

「大丈夫。ケインズ様に一言告げて行くから」

 

 ケインズ様はエドワルドの側近を務めている方である。隣国出身とは言っても、シェリー姫とは別の隣国、我が国とは友好関係を結んでいる国の貴族の方で、留学していた彼の優秀さに目をつけたエドワルドが、そのまま側近に抜擢したのだ。


 外見は私と同じくあまり華やかな方ではないが、常に柔らかな微笑を浮かべられ、誰に対しても別け隔てなく丁寧に対応していただける姿に好感を抱く方も多い。それに言語に関しては右に出る者がいないと言われるほどどの国の言葉も流暢に喋られ、外交の面でも活躍が期待されている人物である。


「ケインズ様」 

「レイラ様、どうされましたか」

「少し人混みに酔ったようです。そこのテラスで少し夜風に当たっても良いでしょうか」

 テラスにはちょうど誰もいない。


「分かりました。私が入り口で待機しておりますので、何かあれば遠慮なく声をかけてください」


 そうして、のんびり夜風に当たっていると、後から声をかけられた。ケインズ様の制止を振り切れる方はそんなにはいらっしゃらない。だからきっと……。振り向くと目の前にシェリー姫がいらっしゃった。 


「あなたがエドワルド様の婚約者?」

「はい、カイエル公爵家次女、レイラと申します」

 私はゆっくりとカテーシーをし、そのまま頭を下げる。

 

「頭を上げてちょうだい。……思ってた方とは違うわね。あなた何ができるの?」

「……特には……」

 勉強も社交もとりわけこれという物を私はもっていない。

 

「あなたそれでもエドワルド様の婚約者?自分のことが恥ずかしくないの?」

「申し訳ございません」

「謝ってほしいわけじゃないわ。これじゃあ私が悪役令嬢みたいじゃない。……私はこの国と戦争をしたくないの。そのためにはエドワルド様との結婚が必要不可欠よ。だから申し訳ないけどあなたには婚約者を降りてもらうつもりなの」

 私の目をまっすぐに見つめ、王女は宣言する。


「今日はそれを伝えたくて。それでは失礼するわ」

 かなり苛烈な性格をしているが、正々堂々と私に言いにくるところは好感が持てる。自分の欲しい物のためにまっすぐに突き進むその在り方は、うらやましくもある。  


 戦争反対のためか……。

 エドワルドは開戦派だけど、彼女ならそれすら覆しそうである。


 潮時なのかもしれない。


 何も持たない私がエドワルドの側にいるのは限界が来ている。


「レイラ、何を話してたの?」

 エドワルドがクラスを二つ持って、やって来た。


「……いろいろ」

 グラスを一つ受け取り、一気に飲み干す。

 ……美味しい。大好きなリンゴのジュース。私の好きな物を絶妙なタイミングで持って来てくれる。


 居心地が良くて離れがたくなってしまう。

 隣でグラスを傾ける秀麗な横顔を見ると、やっぱり好きだなと思う。


「こっちに来て良かったの?」

「ああ、一通り話は終わったからね」

「そう。……ねえ。私とも踊ってくれる?」

「もちろん」

 私はエドワルドが差し出す手に自分の手をそっと乗せると会場に戻るためテラスに背を向けた。


 ……あと何回一緒に踊れるのだろう。


「レイラ!!」

 そんなことを考えていると、不意にエドワルドに突き飛ばされる。


 何が起こったのか分からないまま、体を起こすと、目の前に頭から血を流すエドワルドの姿が目に飛び込んできた。


 近くには矢が落ちており、どうやらその矢が頭をかすめてエドワルドは倒れたらしい。


「……エドワルド、ねぇエディ!!」

 エドワルドに駆け寄るが意識が無い。


「誰か、誰か来てちょうだい」


 私の叫び声にケインズ様が反応し、そこからは皆に知れ渡り会場は一気に緊迫したものへと様変わりした。


「エドワルド、エディ、目を開けて。お願いだから」

 私は恥も外聞もなくエドワルドにすがるが、エドワルドの反応が無い。


「レイラ様、エドワルド様をお医者様に見せますので離れてください」

「いや、嫌よ私も、私も一緒に……」

 混乱していた私は誰の言葉も耳に入らなかった。ただエドワルドと離れたく無かった。


 パン


 私の頬を叩いたのは、シェリー姫だった。


「しっかりなさい!このままここにいたら、助かる命も助けられなくてよ。婚約者のあなたがそれでどうするの。早くお医者様のところに!!」


 そう言ってエドワルドを担架に乗せて運ぶ指示を出す。


 私は頬を押さえながらとめどなく溢れる涙を抑えることができなかった。


 完敗である。

 でも、今はそんなことはどうでも良い。


 神様、どうかエドワルドをお助けください。


 私のちっぽけな恋心など、どうなっても構いません。だから、彼を……。


 そのまま私も緊張の糸が切れたのか意識が遠のく。倒れる私を誰かが優しく抱きとめてくれたのだけは分かった。


 ◇ ◇ ◇



 目を覚ますと自室のベッドの上だった。周りには家族が全員集まっている。


「エドワルド様は?」

「ご無事だ。命に別条もない。ただ……記憶を失われているらしい」

「記憶を?」

 どういうことだろう。

 

「射られた矢の傷はかすめた程度で大したことが無かったらしい。矢に塗られた毒への耐性もあったから、後遺症の心配もない。だが……倒れた時に柱で頭をぶつけられたらしく記憶の一部が抜けているそうだ。いろいろ確認した結果、お前のことと、学園に入られてからの記憶が失われていることが分かった」

「……そうですか」

 衝撃的な事実なはずなのに、私自身戸惑うほどあっさりとその事実を受け入れることができた。


 エドワルド様の命が助かった。


 神が私の願いを聞き入れてくれた。そう感じたからだ。 


「……それに伴い、お前との婚約の話を白紙にしたいと王家から申し入れがあった。我が家の返答待ちだ。レイラはどうしたい?」


 本来ならすぐに返答すべき話を私が起きるまで待っていてくれたのだろう。家族も私のエドワルドに対する恋心を分かってくれているからだ。でも……今の私が、エドワルドの隣に立つに足る資質はない。きっとそれは誰の目にも明らかだ。


「……受け入れてください。今回の件で私自身、思うところがあります。きっとこうなる運命だったのです」

 短くはない期間、夢を見せてもらった。私の中の記憶のエドワルドは失われない。だから……。


「……分かった。少し休むといい」

 皆が私を気遣ってくれているのが分かる。皆何も言わずに私の手を握ると部屋を後にした。

 

 優しい家族にも恵まれている。だから……


 不思議と涙は出なかった。昨日流し尽くしたのかも知れない。


 ただ、何もする気にならずぼーっと外の景色を眺めていると、ためらいがちなノックの音が響いた。


「……はい」

 父が部屋に入ってくる。

「レイラに会いたいというお方が来られているのだが、会えるか?今は中庭のテラスでお待ちいただいている」

「どちら様でしょうか?」

「ケインズ卿だ」

 なぜ、ケインズ様が……?

 少し戸惑いながらお断りする理由も無かったので、私は承諾の返事を告げた。


 ケインズ様は中庭に一人座っていた。

「お待たせしました」

「いえ、こちらこそ急にすみません」

「……お互い大変でしたわね」

 ケインズ様の前に座り、紅茶のカップに口をつける。最近はやりの蜂蜜が入れられており、優しい味がする。


「それで、今日は?」

 

 ケインズ様も何だかそわそわと落ち着きが無い様子なので私から話をふってみる。

 

「あの……僕と一緒に隣国へ行きませんか?」

 唐突に告げられる。

 

「急なのは分かっています。……実は私の父が倒れ母国に戻ることになったんです。伯爵として父の跡を引き継ぐのですが……良ければレイラ様に僕の隣に立っていただけないかと思いまして……実はずっとお慕い申しておりました」

 真っ赤に顔をあからめ、最後は聞き取れない小声になる。


「ずっとお側で見ていたので殿下のことを愛していらっしゃるのは分かっております。だから、2番目で構わないんです。レイラ様の2番目に僕はなれないでしょうか?」

 誠実な人柄が発せられる言葉からも伝わってくる。だからこそ私も誠実に答えるべきである。


「……正直今はまだ、次の婚約のことは考えられないのです」

「分かっています。お気持ちだけ伝えたかったんです。それに僕は意外と諦めが悪いので、母国に戻ってからも手紙を出してもよろしいでしょうか?」

「……それくらいなら」

「ありがとうございます」

 ケインズ様は満面の笑みを浮かべられる。何だかこちらも少し恥ずかしくなってしまい、下を向いた。


「……こちらは、少し騒がしくなるでしょう。必要であれば迎えに参りますので、いつでもおっしゃってください」

 そう私に告げるとケインズ様はその場を後にした。


 ◇ ◇ ◇


 

 今日は私の結婚式である。晴天に恵まれ、母国からはミリーナ様とジェシー様が来てくださった。


「……早いもので、もう1年が経つのね」

 

 そう。あのエドワルドの事件からちょうど1年の時が経っていた。


 毎週届くケインズ様からの手紙が楽しみになってきた頃、エドワルド様とシェリー様の婚約が発表された。社交界では私は腫れ物扱いをされており、その婚約が後押しとなりますます居心地が悪くなった。あまりの扱いの悪さに憤り、私は勢いに任せて隣国のケインズ様のところにやって来てしまった。


 カバン一つを抱え、玄関に立つ私を見たケインズ様はさぞかし驚かれただろう。


 突然来た私をケインズ様もお義母様も優しく迎え入れてくださり、そのまま私とケインズ様の婚約が結ばれ今日という日を迎えたのだ。


「ねぇ、レイラ。幸せ?」

「ええ、幸せよ」

 小さな頃に思い描いていた幸せの形とは違ってしまったけれど、今の私の幸せも悪くない。


「良かった」

「エドワルド様とシェリー様も幸せそうでしょ?」

「ええ。……時折憂いに満ちた表情をされる殿下は気になるけれど」

「王太子に指名されたから、やはりその重責もあるんじゃない」

 そう、隣国の姫を妻に迎えたエドワルドは王太子に指名された。かつては開戦派として知られていたが、妻の勧めもあり和平派へと舵を切っている。このまま母国に平和な時代が来て欲しいと切に願う。


トン トン トン


「もうすぐ式が始まるよ、準備はできているかい?」

 

 ケインズ様が控室に顔を出す。白のタキシードを着たケインズ様はいつもの2割増で格好良く見える。


「レイラ……綺麗だよ」

 ミリーナ様とジェシー様と入れ替わるようにケインズ様が控室へ入ってきた。


 私も真っ白なウェディングドレスを身にまとい、ピンクのブーケを手に持っていた。鏡に写る姿は、いつもよりケインズ様と同じく2割増で可愛く見える。頬を赤らめて私を見つめるケインズ様が、ふと急に真剣な表情をされた。


「……話があるんだ」

「改まって何?」

「……これを」

 そう言って私の手に何かを渡す。

「……指輪?」

 紅い石がついた指輪を手のひらの上にのせられる。

 

 リングの交換はこの後のはずだけど……。


「願いを何でも一つだけ叶えてくれる指輪らしい……エドワルド様に渡されていたんだ。もし自分に何かあれば、これを君に渡して欲しいと」


「エドワルドが……?どうして今?」

 式の直前に何を言っているのだろう。

 

「……君のその姿を見れて僕は十分幸せだった。自分のことばかりで君の気持ちを蔑ろにしていることにやっと気づいたんだ。式を挙げてしまうときっともう2度と渡せないと思って……本当はもっと早く渡さなければいけなかったのに……すまない」


 そう言って指輪をのせた手のひらごと両手で包まれる。


「この指輪に願って、エドワルド様が射られる前に戻るんだ。あの時なら、エドワルド様との未来をやり直せる」

 私の目を見て真剣に話すケインズ様の言葉にためらいはない。正直眉唾ものの指輪の話だがケインズ様は信じているようだ。今なら確かにやり直せる。だったら私は……。


「馬鹿ね」

 思いっきりケインズ様の頬を引っ張る

「私はあなたと結婚すると決めたの。その気持ちに嘘はないわ。あなたは私がエドワルドの元に行っても良いの?」 

「……嫌だけど。フェアじゃないと思って」

 頬をさすりながらケインズ様が呟く。

「私を幸せにしてくれないの?」

「いや、もちろん幸せにするよ!」

「それなら良いわ。行きましょう」

 そう言ってケインズ様の手を引く。エドワルドには手を引かれてばかりだったけれど、ケインズ様の手は私が引けるのである。


 きっと今過去に戻れたとしても「今」を知ってしまった私にはエドワルドの婚約者は務まらない。


 それに願いを叶える指輪など聞いたことがない。だからきっといろいろ先が読めるエドワルドのケインズ様に対する最後の餞だ。


 私の幸せは今、確かにここにある。


 ケインズ様は私の手をギュッと握ると小さな声で呟いた。


「すみません、エドワルド様」


 式場は私たちを祝うたくさんの人で埋め尽くされていた。


「レイラ、愛してるよ」

 ケインズ様が大声て叫ぶ。


 出席者からわっと歓声があがる。

 私も大声で叫ばれて恥ずかしくてケインズ様を睨むが、全く気にしない様子でケインズ様はにこにこ頬笑んでいる。


「一生幸せにするからね」

「私もあなたを幸せにしてみせるわ」


 そして口づけをかわす。


 モブにも悪役令嬢にもなれなかった私だけど、幸せな新婦にはなることができたようだ。

 


 

 

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