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第二の朗読/ヴィルフリートの物語:破

 それからというもの――。

 ヴィルフリート様とオルタンシア様は、しばしば顔を合わせるようになりました。

 といっても、いつも同じ流れでございます。


 ヴィルフリート様は「もう来るな」と言わんばかりに、えげつない怪談を語られる。

 ところが、聞いたオルタンシア様は、小犬のように嬉しそうに食いつくのです。

 追い払おうとすればするほど、むしろ近づいてくる。奇妙な関係のなかで、少しずつ遠慮が消えていきました。


 やがてヴィルフリート様も観念し、オルタンシア様から本を借りるようになりました。


 『首無し騎士の物語』。

 『人食い魔犬の物語』。

 『呪われた町の物語』。


 いずれも、彼でさえ背筋がぞくりとするほどの怪談でした。


「どうなってンだよ。お嬢さんが読むような本じゃねェだろう」


 驚く大男に、青い髪の彼女はあっさり返します。


「そうかしら。いやなことがあったときに読むと、スッキリする気持ちになるの。昨日なんてよく知らない男子が馴れ馴れしくやってきて、肩をさわったり頭をなでたりしてきてね。公爵家の方だったから、平手打ちするわけにもいかないの。ニヤついた顔を思い出すたび、もやもやするものだから、こういうお話の登場人物にしてさしあげるの」


「……そ、そォか。苦労してるんだなァ……」


 三ヶ月が過ぎる頃には、オルタンシア様はほぼ毎日、気安い態度で彼に声をかけるようになりました。

 からからと笑い、気まぐれな猫のように、ひょいと目の前に現れる。

 会うたびにヴィルフリート様は「人目につかないか」と気をもまれましたが、どうやら侍女たちが巧みに立ち回っていたようです。


「私、それが職務ですから。デュラランド様。節度ある対応に心から感謝いたします」


 とりわけ、先輩格の侍女のひとりは淡々とした口ぶりで、手慣れた様子でございました。オルタンシア様よりほんの少し年上。ラヴォワ家のお城に仕える家の出で、小さな頃からの幼なじみ。仕えるだけでなく共に育ち、この学院へも付き添ってきたのです。二人はとても親しく、ときには本物の姉妹のように語り合う姿を、ヴィルフリート様も目にされたとか。


「あの方が男性に話しかけるなど、まずありません。あなた様は実直で信頼できるお方。さすがお嬢様は見る目がある」


「要するに害のない男ってわけかい。警戒する側は大変だなァ」


「オルタンシア様はとても見目麗しい。だから、よりつく殿方は多いのです」


「よりつくって……ここは貴族学院だろ。節度くらいみんな心得てンじゃねえのか?」


「口だけですよ。いえ、もちろん、本物の貴族の方々だっておられるでしょう。しかし一部の方々は『卒業までの恋人にすればいい』『手を握るくらいならいいだろう』『抱き寄せるくらいなら構うまい』といった調子で……。中には、恋文を一方的に押しつけてくる者すらいるのです。高貴な身でありながら、なんとも情けない」


 ヴィルフリート様の頭の片隅に、ずしりとした痛みが走りました。

 それは、オルタンシア様に深入りしたくない理由でもありました。


 よく声をかけ合ってきた友人。

 クロヴィス・ロートレック。

 あなたがオルタンシア様に懸想(けそう)しているのは、あまりにも明らかでしたから。


 もっとも、ヴィルフリート様はクロヴィス様を嫌っていたわけではございません。

 劣等生で友達が少なく、そのくせ他人を頼りがちなところも、愛嬌のうちだと見ておられたのです。

 第一、ヴィルフリート様とて自分が完璧などとは思っていない。

 誰しも欠点はあるもの。いつか長所が花開くこともある――そう考えておられました。


 だから、ある日のこと。


「オルタンシア。誰かと恋人になりたいとか、考えねェの?」


 何気ない調子。けれど内心では、クロヴィス様と彼女の距離を縮めるきっかけになれば、と願っていたのです。


「あら珍しい。直球に聞いてきますわね」


 オルタンシア様は窓の外へ視線を向け、ためらいながら言葉を選ばれました。


「興味がなくはないんです。色々渡されそうになるの。恋文とか、きれいな贈りものとか。でも、いけないことよ。だから侍女にうまく断ってもらっているの」


 ヴィルフリート様は強くこめかみを押さえました。軽いめまいさえ覚えたのです。


――形に残る贈りものなんて、後先を考えねェのか、バカどもが。


 怪人族(オルク)という出自もあり、「この学院で本気で異性にのめりこむ者などいない」――そんな建前を、どこかで当然のことと信じていたからです。失望はしましたが、一方で露骨にけなす気分にもなりませんでした。愚か者たちの中には、友人も含まれているのですから。


「もうじき仮面舞踏会だろ。あそこならどうなんだ? 身分なんて関係ねェ」


 大人の舞踏会をまねて、学院でも催される仮面舞踏会。顔も身分も隠して、日常の厳しい礼儀から解放され、自由に語らえるひとときです。

 けれど、オルタンシア様は静かに首を振られました。


「ダメですよ。本気になってしまってはいけないわ。彼らはこの学院で、いっときの熱で入れあげているだけ。いずれ泡みたいに消えてしまう感情よ」


 彼女の声は冷静でした。


「私はラヴォワの名を背負っています。恋愛結婚なんてありえません。貴族の務めは、家のために然るべき方と結ばれることです」


 一応言っておきますけど――と、オルタンシア様は少し微笑みを添えて。


「不満があるわけじゃないのです。故郷はとてもいいところなの。みんないつもはのんびりしているけれど、収穫の時期になれば小麦がたくさん実り、貴族も平民もなくみんなで大忙し。私は身の丈にあったお方と結ばれて、故郷と同じような家に仕え、そうした人生を送りたいの。だから……ちょっと、ヴィル? その、頭を下げるのはやめて。圧がすごくて……困ってしまいますわ」


 以来、ヴィルフリート様が色恋の話を持ち出すことは、二度とありませんでした。


 どうされましたか、陛下?

「ヴィルフリートは、オルタンシアをどう想っていたのか」――ですか。


 さて、どうでしょう。

 わかりかねますね。聞いておりませんので。


 ふふふ。

 今、すごい顔をされましたね、クロヴィス様。

 当然でしょう? この物語は、ご本人の証言をもとにしております。

 彼だけではありません。オルタンシア様の侍女たちにも取材をしています。探し出すのは骨が折れましたけれど。


 ああ、そうですね。

 逆に、オルタンシア様がヴィルフリート様をどうご覧になっていたかは、お伝えできます。

 幼なじみの侍女へ語っておられました。


「ずっと仲良くしてほしい。卒業してからも、手紙や本のやりとりができたら嬉しいな」


 ……と。


 その後も、ヴィルフリート様とオルタンシア様のやり取りは続いていきました。変なウワサが立たないよう、お互いに気を配っていましたから、生徒たちにも先生方にも知られることはなかったのです。



   ❖――♔――❖



 しかし、ある日。


 オルタンシア様は、こつぜんと姿を消してしまいました。


 朝の礼拝準備の最中、階段を登っていく彼女から、侍女はほんの少しだけ目を離してしまった。その一瞬を最後に、どこにも姿が見えなくなったのです。


 事件の朝、ヴィルフリート様は、オルタンシア様から借りた本をめくっておられた。『人魚の姫の物語』。少し彼の趣味とは異なるものの、やけに印象に残る物語だったそうです。その本はもう二度と返せなくなりました。


 すぐそばにいながら主人をさらわれた侍女の一人は、見るに耐えないありさまだったそうです。寝ても覚めても、どこにいるかもわからぬ主人に謝り続けるしかない。様子を見に行ったヴィルフリート様は、小刀で両目をつぶそうとしていた侍女を止めることになりました。


「どうして、あのお方が。ねえ。なんで。なんでよ。お願い。時間を戻して。あの子を返して。代わりに私がなんでもする。だから、返してよお……」


 悔しい。許せない。

 自分が許せない。

 大切な主君だった。

 かけがえのない幼なじみだった。


 生きているのか死んでいるのか、生きているならどんな目に合わされているのか。あらゆる想像が彼女にとっては拷問に等しかった。誰かがやったのは間違いないのに、まともに調べることすらかなわない。

 ただただ地面にぐしゃぐしゃの顔面をこすりつけながら、侍女は馬車に乗せられて地方へ送り返されました。


――どこに行ったんだ。


 ヴィルフリート様は、ゆらゆらと学院をさまよわれました。

 礼拝堂の空いた部屋。

 廊下の角。

 講堂の裏にある小さな庭。

 ちょうど人目をかわせるような場所に、オルタンシア様はよく現れて――「ねえ、こんな本を見つけましたの!」と笑ってくださったそうです。


 彼は何週間も、面影を追い続けました。目につくすべての物陰を、何度も見て回りました。

 あっさりと出てきてくれるかもしれない。

 けれども静けさが広がるばかり。

 心当たりのある場所が一つひとつ消えていく。


 冬が来て、春が訪れたある日。とうとう彼の目から涙があふれて止まらなくなりました。

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