第二の朗読/ヴィルフリートの物語:序
怪人族。
筋肉の張った褐色の肌。ぎらついた眼。
大きな口からのぞく犬歯に、カギ爪の生えた太い指。
鬼を思わせるその顔つきは、王都の子どもたちを泣かせることもあるほど。
けれども陛下、あなた様もご存じのとおり、多くは忠義の士でございます。
先の内乱では、王都の防衛線に立ち、命をかけて戦った。
粗野に見えても、実直で、誠実な方々なのです。
その功績により、爵位を授かった家もわずかに存在いたします。
『特命捜査官ヴィルフリート・デュラランド』となる前――男爵家の令息として学び舎にいたヴィルフリート様も、そのひとりでした。
彼は外見のために避けられがちで、交友は広くありませんでした。
けれど、その剛力とまじめさで仲間を助け、学院の課題でも力を貸し、汗を惜しまぬ姿を見せていた。
ゆえにクロヴィス様。あなたは彼と親しくされていましたね。
頼りになる。困ったときに寄りかかれる。そう思っていたはずです。
ヴィルフリート様も、あなたを気に入っておられたようです。
泣きつかれるのも、助けて感謝されるのも、悪くはなかったのでしょう。
……オルタンシア様の件だって、もし彼に相談していれば……。
いえ、もしもの話はやめておきましょう。続きを始めますわ。
ヴィルフリート様には男友達こそいましたが、女生徒との交流はほとんどありませんでした。
ええ、意図的に避けておられたのです。
クロヴィス様。あなたも覚えていらっしゃるでしょう。
学院で開かれた交流会に、彼を誘ったことがありましたよね?
「どうしてだい、ヴィルフリート。一緒に来てくれよ。ぼく、一人じゃ無理だ。キョドキョドして凍りつく未来しか見えない」
「興味ねェよ。女遊びするために学校にいるンじゃねえんだぞ」
「社交の練習だよ。きみ、ぼくたち人間族の女子との付き合い方、学ぶべきなんじゃないのかい。失敗は学生のうちにしてナンボだぜ。なんせ――」
「言い方に気ィつけてくれや、クロヴィス」あなたの声を遮り、ヴィルフリート様は低く言い放たれました。「確かにおれたち怪人族は、まず男しか生まれねェ。だからおめえら人間族の女に嫁入りしてもらって種族をつなぐんだが……たいていは貧しい農村とか、食い詰めもんの市民とかだ。もちろん大切にするし、生活に不自由はさせねェ。だがな、貴族の看板をしょったおれが、『女漁り』だなんて軽率なマネはできねえのよ」
あなたは押し黙り、小さく「悪かったよ」と口にされました。
……まあ、ここに限っては、少しは同情して差し上げますわ。
❖――♔――❖
さて、このようにヴィルフリート様は、人との関わりには距離を置く方でした。
一方で、強い興味をお持ちだったのが、精霊や魔物、妖怪といった伝承です。文献を見つければすぐに手に取り、飽きもせず読みふける。学問というより、心惹かれるままに没頭しておられたのです。
もっとも、学生の身で本を集めるのは容易ではありません。
貴族学院の図書室にそろっていたのは、法律や数学、歴史、神学といった基礎学術書ばかり。そこで彼は本屋を探し歩いたり、知り合いを通じて青本を手に入れたりしていました。
けれど、同じ趣味を持つ友人はひとりもいませんでした。
そんなある日のことです。
「ヴィルフリート様。ご機嫌いかがですか?」
講堂脇の小部屋で本をめくっていたとき。
青みがかった黒髪を揺らし、オルタンシア様がひょっこり顔をのぞかせました。
「オルタンシア子爵令嬢。おれにアイサツなんざ要らねえ。ウワサになるぞ。さっさと戻んな」
「まあ、冷たいこと。このくらいで悪評が立つものではありませんでしょう?」
「立つんだよ。おれが誰かと立ち話してるだけで、尾ひれが十も二十もつく。お嬢サマには毒だ。どっか行け」
彼女は首をかしげ、笑みを崩しませんでした。
「ご趣味の本についてうかがいたいの。怪談を集めていると聞きましたの」
「……誰に聞いた。いや、いい。興味ねェ。じゃあな」
ヴィルフリート様は短く吐き捨て、本を抱えて立ち上がります。
椅子がぎしりと鳴り、周囲の空気ごと押しのけるようでした。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいな。私、その本を読んでみたいの。なかなか手に入らないでしょう? 代わりに私の本もお貸ししますから……」
必死に声をかけるオルタンシア様。
「要らねえ。寄ンじゃねえ。ほら、侍女が顔しかめてんぞ。令嬢が怪人族に声をかけたなんて知られたら、学院じゅうの笑いもんだ。アンタが恥をかくのは勝手だが、女どものクスクス笑いに巻き込まれるのはまっぴらだ」
彼は背を向けて大股でずかずかと歩き去ります。冷ややかな圧に、そばにいた侍女たちも身を固くされました。
「じゃあせめて読んでくださいな、この本。『人魚の姫の物語』。素敵ですのよ」
小さな革装丁の本を差し出すオルタンシア様。
「要らねえ」
彼は一言だけを残し、扉の向こうへ消えていかれました。
これが、お二人の最初の会話でございました。
❖――♔――❖
三日後のこと。
またしても講堂脇の小部屋で、ヴィルフリート様は本を開いておられました。
そこへ――おわかりになりますね、陛下。オルタンシア様がまた現れたのです。
「今度は、もっとお好きそうな本を持ってきましたわ」
差し出されたのは分厚い本。背表紙をちらりと見て、ヴィルフリート様は舌打ちされました。
「アンタ、人の話を聞いてなかったンで? または、おれの話なんざ覚える価値もねえってイヤミかい?」
「違います。これは対決なのです。あなたから面白そうな物語を手に入れるための。さあごらんなさい、この本。男を手玉に取り、幸せの絶頂にいた赤い妖精が、失敗とすれ違いをくりかえし、最後には失意の中で恋人のもとから去っていく物語です」
侍女が心配そうに見守るのを背に、彼女の声は熱を帯びていました。しかし巨躯のヴィルフリート様、むすっとしたまま動きません。
「参考までに聞くがよ。どこをどう見て、おれ好みだと思った?」
「だって、東方の怪談といえば悲劇でしょう? 侍女が教えてくれましたの。『きっとあの方は照れ屋なのですよ。あの顔で、異種族とのほろ苦い恋物語を読むのが好きなのですよ。泣きながら読むお姿を見られるのが恥ずかしいのですよ、あの顔で』って」
「あの顔あの顔ってウルセェな! 全然ちげェよ! なかなかいい性格してんじゃねえかアンタ! 読まねえよ、ガキくせえ!」
叱られたオルタンシア様は、ほんの少しだけ肩をすくめて、小さく「ごめんなさい……」と声を落とされました。
ヴィルフリート様は舌打ちをしながら本を抱え、立ち去ります。
「怒鳴ることはなかったな」――そんな気まずさをかき消すように、足音だけを大きく響かせながら。
❖――♔――❖
翌日のこと。
はい、陛下。
こりずに現れるのです、あの子爵令嬢が。
今度は本も持たず、堂々と。
「今日は取材に参りました」
涼しい顔で言い切ります。
巨漢の怪人族は鼻で笑いました。
「参りましたじゃねえよ。アンタ、本当にいい性格してンな」
「簡単にはあきらめない。地方領主として天災や不作に立ち向かう、ラヴォワ家の心得です」
そう言って、オルタンシア様はふっと目元を押さえられました。
目尻から、はらりと水滴がこぼれ落ちます。
「……本当にご迷惑ならば、あきらめますけれど……」
「あァ、いや、そこまでは言わねえが」
刹那、ぱっと顔を上げられました。
見せつけるような笑顔は、まるで太陽の光。
「お。言いましたね。おっしゃいましたね。聞きましたわね、侍女たち。確かに言質をいただきましたわ」
ウソ泣き。芝居でございました。
――しまった。やられた。
ヴィルフリート様は大いに後悔されたでしょうが、もう遅い。
ため息をつき、どかっと椅子に腰を下ろしました。
「もの好きめ……。話せばいいンだろ、話せばよォ」
かたわらに置かれた椅子に、オルタンシア様は腰掛けました。
「では、うかがいます。ヴィル。あなた、どんな物語がお好み?」
「おい、なんだその呼び方」
「どんな?」
にらみつけても、怯む様子はない。
彼は太い腕を組み、ぽつりと語りました。
「……単純な話さ。おれたち怪人族は、見てのとおり腕っぷしとクソ度胸だけが頼りのアホばかりだ。だから怪談が大好物なのサ。『おれァこんなもん全然怖くねェゾ』ってな」
「ほ、ほほう。そうなると、やはりお好みはとっても怖い物語で?」
「おゥ。お嬢さんが泣いて逃げ帰るような、底冷えする怪談こそ、おれの好みド真ん中よ」
ここで、ヴィルフリート様は一計を案じられました。
ちょっと怖がらせてやろう。
さすれば、もう二度と関わってこないだろうと。
「例えばよォ。人間の顔から目も口も鼻もデロデロに溶けた、生きた屍のバケモノにアンタが追い回されたとする」
「は、はい」
「街じゅうの人間がみんなバケモノだらけだ。おめェさん、どこに逃げ込むよ」
「もちろん、自分の家ですわね。頼りになる侍女も、父上も母上もおります」
ヴィルフリート様はニヤリと笑い、かがんで、両手で顔を隠しました。
「クク……そうだなァ。で、アンタは家に逃げ込み、一安心する。これでやっと安全だと。部屋にかけこみ、背を向けたまま暖炉を見ている父親に助けを求めるのさ。バケモノたちに襲われたと。父親はふりかえる……『そうかァ。そのバケモノはひょっとして……』」
ガバッと両手を開いて、
「……『こんな顔をしてなかったかいィイ!?』」
牙を全開にした恐ろしい形相を見せました。
「ひぃっ……!」
侍女たちが短い悲鳴を上げ、慌てて後ずさります。
彼女らの表情は、はっきりと語っておりました。なんて悪趣味なの。どうしてこんな男に興味など持たれるのですかお嬢様、と。
――しめしめ。効果てきめんだ。
ほくそ笑んだ矢先のことです。
「なんて……」
オルタンシア様の顔は、きらきらと輝いておりました。
「なんて、恐ろしくて素敵なお話なの! 私の目に狂いはなかったわ! ヴィル、もっと聞かせてくださいな!」
――やってしまった。
ヴィルフリート様は悟られました。
こいつ、思った以上に、とんでもなくいい性格をしていた、と。




