第一の朗読/クロヴィスの物語:転
季節は少し進み、学院の講堂に生徒たちが一堂に集まりました。教授陣が並び、厳かな声が響きます。
「諸君。来月、この講堂で課題発表会を行う。題材は『都市設計』だ。発表希望者は声をかけるように」
クロヴィス様、あなたは小さく息を呑みました。侯爵家の家業に直結する分野です。あなたにとっては、周囲の誰よりも身近で、得意とする領域でした。
――いい結果を出せば、オルタンシアに、一目置かれるかもしれない。
心の奥で、ひそかに火がともります。
これまで何度も彼女に泣きつき、なまけグセを見抜かれ、苦笑されてきた。
けれど今度は違う。
これはご自分の土俵。
ご自身の本気を示す好機なのです。
放課後、クロヴィス様は勇気をふりしぼり、オルタンシア様に声をかけました。
「オルタンシア。今度の発表会、ぼく、がんばるから。だから、見ていてほしいんだ」
彼女は少し目を見開き、それから柔らかく笑いました。
珍しいものを見るような表情でした。
「まあ。クロヴィス様が『がんばる』なんて、初めて聞きましたわ」
声音に、からかいの色はありません。
驚きと、期待が入り混じっていました。
「見てもらいたいんだ。……ぼく、きっとやれると思う」
オルタンシア様は身をかがめて、上目遣いで彼をじっと見つめました。
まなざしは冷たくも厳しくもなく、むしろ温かさを含んでいました。
「楽しみです。授業でも、都市設計の話題になると、クロヴィス様はよく発言なさっていましたでしょう? 本当に楽しそうで……誰よりも生き生きしておられました。だから私、前から思っていたのです。もし本気で取り組まれたなら、きっと素晴らしいものを作れるのではって」
青みがかった黒髪が陽光を受け、おだやかに揺れました。
彼女はにっこりと、言い切りました。
「どうか、その才を惜しまないでくださいませ。がんばって。ご自分の力を信じて」
クロヴィス様の胸の奥で何かが弾けました。
いつものなまけグセも、見栄も、卑屈さも消え失せていく。
彼女のために全力を尽くしたい、見直されたいという衝動だけが残りました。
――やってみせる。必ず。
あなたは、そう心に刻んだのです。
❖――♔――❖
「がんばる」。
「やってみせる」。
お言葉に偽りはなかったのでしょう。実際、最初の数日は、机に向かいました。自らを変えようと、真摯に動いた瞬間も確かにありました。
しかし、資料づくりがうまくいかず、頭を冷やそうと、あなたは一度休むことを選びました。
「明日になれば進むだろう」と。
けれど翌朝、机に向かった手は、もうほとんど動きませんでした。
せめてと、書きためた草稿を読み返す。
するとどうでしょう。
気になる点が数々、あふれ出すのです。
「これではいけない。もっと良くできるはずだ」と思い詰め、紙を破り、書き直す。けれども、やり直せばやり直すほど、不満は増すばかり。何度目かの試行の果てには、もはやどこから手をつければよいのか分からなくなりました。
やがて、おっくうになりました。夜になるたび、散らかりきった机の上をながめ、目をそらし、床につく。気づけば発表会の前日。ぐしゃぐしゃに丸められた紙片がいくつも散らばり、床に転がっておりました。中途半端に折られ、捨てられ、握りつぶされた紙の山でございました。
クロヴィス様。あなたは、ついに何ひとつ、まともな論文を仕上げることができなかったのです。
あなたはこれまでの人生で、一度として「こらえる」「踏ん張る」という行為を学んでおりませんでしたから。
九歳のころ。絵筆を手に取り、思うように線が引けず、すぐに筆を折りました。
十三歳のころ。彫刻に挑み、腕がしびれてくると、あっさりと道具を置いてしまいました。
学院に入学してからも同じです。課題の山を前にすれば、不満を口にして後回しにする。追い詰められてようやく取り組むのは、常に誰かの監督が背後にあるときだけでした。
父君の目のもと、見張られながら取り組むことで、はじめてあなたは力を発揮できたのです。
「どうしてだ……」
一人きりで机に向かい、己の力を信じて、くじけずに、積み上げてゆく――その営みが、どうしても、あなたにはできませんでした。
転がった紙片をかき集め、抱きしめるようにして、わけもわからず泣きわめきました。
顔に押しつけていたのは、涙と鼻水で湿りきった、しわくちゃの紙束。
「どうしてできないんだ……」
むせび泣きは途切れることなく続きました。
最初は声を押し殺していたのに、やがて子どものように声を張り上げ、わんわんと泣き叫ぶ姿となったのです。
「どうして続かないんだよ……!」
まぶたの裏に浮かぶのは、講堂の光景。
ろくに言葉を出せず、沈黙する自分。
客席から忍び笑いが漏れる。
「またか」と肩をすくめる学友たちの顔。
――「いつものロートレック」。
何もできない、とりつくろうだけのボンボン。努力を最後まで続けられない、へらへらした跡取り息子。みんなにまた鼻で笑われる未来。
けれど、何よりも恐ろしかったのはオルタンシア様。
彼女は怒りもしないでしょう。
嘆きもしないでしょう。
穏やかな顔で、微笑みさえするかもしれない。
――「ああ、やっぱり、そうですよね」。
軽やかに受け流すその姿が、容易に想像できてしまったのです。
失望すらない。
ただ最初から分かっていたこととして、静かに受け止められてしまう未来。
私なら机の角に額を叩きつけ、叩き割ってしまいたくなるでしょうね。
けれど、あなたは、それすらもできない。頭を押し当てたまま悶えることしか、あなたには残されていなかったのです。
そして。
あなたは、ある決意を固めました。




