第一の朗読/クロヴィスの物語:承
翌朝のことです。
あなたは、まだ夜の冷気が残る寄宿舎をこっそり抜け出しました。
向かう先は、例の石橋。
手には、侯爵家から預けられた家宝の宝石がありました。
〈砕石の魔法〉。
名のとおり石を砕く力……と思われがちですが、本当の性質は少し違います。
これは石を『物体をすり抜けられる状態』に変える魔法なのです。
石全体にかけることも、部分的に、ある範囲だけを指定することもできます。
たとえば、『すり抜け状態』にした石に木材などを押し込み、そのまま魔法を解いて『すり抜け状態』を解除したとしましょう。
すると、木材の体積ぶんだけ、もとに戻った石は、内側から押し広げられる。
結果、どんなに頑丈な石でも、あっけなく割れて砕けるのです。
これこそが〈砕石〉の仕組み。山から石を切り出すにしても、石を使いやすく加工するにしても、どれほど効率化を進められることでしょう。
ロートレック侯爵家はこの力を使って王都の建設に貢献し、今の地位を築き上げたのでございます。
しかし、クロヴィス様。あなたはこの魔法の使い方について、ひとつの妙案をひらめいてしまいました。
――もし、あの橋の上から『空白』へと至る直線を指定して、〈砕石の魔法〉で『すり抜け状態』にしてしまえば?
石が砕けてしまうのは、内部に物体を入れたまま『すり抜け状態』を解除するからです。
そうではなく、物体を石の向こうにすり抜けさせ『空白』に落とし込むぶんには、魔法を解いても石橋に影響はありません。
『空白』は、頑丈な石橋の脚の中。
運河の中、水の底の石の中。
――ここに落としてしまえば最後、誰にも見つかることはないはず。
あなたは、そっと上着に手を入れました。
取り出したのは――ええ、もちろん例の恋文。
布で包み、重り代わりの木片まで結わえて。
ずいぶん入念にご準備なさったものです。
慎重に狙いを定め、宝石をかざし。
透けた石橋の床に、手を伸ばし。
そして、手を離しました。
音もなく、手紙は石の中へと吸い込まれていきました。
数秒後、かん、と底の方から硬い音が返ってきます。
魔法が解けたとき、そこにあるのは何食わぬ顔の橋脚だけ。
悠然と水面に立ち続ける、王都の石橋がございました。
――うまくいった。
お見事。
こうしてあなたは、手に入れてしまったのです。誰にも知られず、誰にも気づかれず、決して他人の目にふれることはない、自分だけの秘密の『ゴミ捨て場』を。
しかしですねえ……クロヴィス様。
ご自覚はおありでしたか?
もし魔法が少しでも狂っていたら。
もし『空白』が思い通りに存在していなかったら。
橋脚が砕け、王都の流通を支える石橋が崩れ落ちる――そんな大惨事になりかねなかったのですよ。
ですがそのお顔。なるほど。
何も考えておられなかったのですね。
そうでしょうとも。
これこそがあなたの本質。
思いつきに身を任せ、結果など省みない。
その想像力のなさ、頭の軽さ。
まことに、今夜の主役にふさわしい。
❖――♔――❖
話を戻しましょう。恋文を始末して以来、あなたはオルタンシア様に関わるたび、あの『橋の下の空白』へと投げ込む品を増やしていきました。
いいえ、正しく言えばこうですわ。
安心して処分できる場所を手に入れてしまったせいで、かえって以前より大胆になり、恥を恐れぬ行いを重ねるようになったのです。
たとえば――「クロヴィス様、課題は終えられました?」と、オルタンシア様が困ったように微笑んだとき。
あなたはつたないながらも会話文を紙片に書き残し、「やはりこれはまずい」と思い直して、橋の下へ。
あるいは――「オルタンシア、聞いた? トレヴィールのやつが伯爵家の子と……」と何気なく話しかけたその後。
床に落ちていた髪の毛を拾い、花と一緒に押し固めて標本に。
羞恥に耐えられず、これも橋の下へ。
極めつけは――乗馬中のオルタンシア様をたまたま見かけたとき。
手綱を握り、腰や太ももでたどたどしく体制を保つ姿に、いったい何を感じたのでしょうねえ。
貴重な紙を何枚も費やし、我を忘れて何日も模写を重ねたのです。
けれど結局、まとめて橋の下へ投げ込むしかなかったご様子。
あらあら。
否定なさらなくてもよろしいのに。
「見ていたのか」と?
「どうやって知った」と?
ふふ、ふ、ふふふ。
どうでしょうねえ。
もっとも、あなたがどれほど思いつめようとも、実際には深い会話のひとつもございませんでした。
まあ、だからこそ諦めきれなかったのでしょうけれど。
何もできぬくせに。
お可愛らしいこと、哀れなことです。
……なんですか?
どうなさいました、クロヴィス様。
うらめしげな顔をなさって。
いけませんわ。
私、ますます楽しくなってしまいます。
そもそもね。ふつう、実家から魔道具を預けられた令息方は、それを私利私欲で振り回すような真似はなさいませんのよ。
むしろ逆。
身分が高いほど、つつしみというものをわきまえているのです。
ほら――こんな日もあったでしょう?
よく交流していた公爵・侯爵派閥のご子息たちと、寄宿舎の集会で議論を交わしたときのこと。
「本来、この国の魔道具はすべて女王陛下のものだ。我らには貸し与えていただいているにすぎない」
「にもかかわらず、軽々しく使う者がいると聞く。まったく、なげかわしい」
「俺たちが見張って、風紀を守ってやらねえと。な、ロートレック」
彼らは眉をひそめ、昔話をひとつ持ち出しました。
「《写し取りの鏡》で令嬢の着替えを写そうとしたバカがいたそうだ」
「アホだろ、そいつ。バレないわけねーじゃん。侍女が何のためにいると思ってんの?」
「男女共学の意味も分からぬのだろうよ。理性を保てぬ者に、家の未来など託せぬわ」
令息たちは口々にこう言い合ったのです。
「顔の良さにほだされるバカ」
「恋だ愛だと並べ立て、責任を放り出すアホウ」
「立場を忘れ、軽はずみな行動に走るクズ」
「――そうした愚か者を見極め、振り落とすためにこそ、この学院はある――」
いかがですか、陛下!
若者たちも愚か者ばかりではございません。
高貴な家のご子息方は、節度を語り、礼節をわきまえ、貴族の自負を保っている。
長い目で見れば、それが自分たちの利益になると、ちゃんと分かっておられるのです。
でも。この輪の中に、こっそり『ゴミ捨て場』を持ち、欲望のために魔法を使う方が混ざっていたのです。
クロヴィス様。
あなたのことですわよ。




