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第一の朗読/クロヴィスの物語:起

 その日。若かりし頃のあなた様――クロヴィス・ロートレック様は、困り果てておりました。


 時はおよそ五年前。

 場所は王都貴族街にそびえる、王立貴族学院。

 あなたはここの学生でした。

 本来ならば、この手の学院は男女別であるもの。けれどもここでは、未来の社交界の予行演習として、男女が同じ校舎で学ぶのが慣わしでした。


 さて、クロヴィス様。

 当時のあなたの手元にあったのは、一通の恋文。

 あこがれの令嬢へ贈ろうとしたものです。

 寝食を削って練りに練った末の結晶。

 けれども完成が近づくにつれ、こう思ったのですよね? ――あまりにも恥ずかしい、と。


 文面は、このようなものでございました。


 『わが心は、湖月のごとく。

  暁光の姫君の姿を映し、

  我が心、暁月の双眸に重縛されております。

  嗚呼もし勅許を賜われるのならば、

  愚昧たる(しもべ)(ボク)を、

  どうか恒久たる牢獄の深奥へと……』


 あなたは読み返すたび、身もだえ、こめかみを壁に押しつけて、ぐりぐりと毛虫のようにのたうったのでございます。


 あら。

 驚かれましたか?

 なぜ私が知っているのかと?


 ふふふ。これはほんの、ごあいさつ代わり。あなたのことは、すでに隅から隅まで調べ上げておりますの。


 もちろん、恋文の相手だって当ててみせますわ。


 あなたが懸想(けそう)していた令嬢の名は、オルタンシア・ド・ラヴォワ。

 地方の子爵家の生まれで、貴族学院の学友。青みがかった黒髪を腰まで流し、きりりと聡明なお顔立ちで、学内でもひときわ目を引く才女でした。


 昼下がりの休憩時間、挙動不審極まるあなたに、オルタンシア様は声をかけてくださいましたよね。


「どうなさいましたの、クロヴィス様?」


 侯爵令息と子爵令嬢。立場はあなたの方がはるかに上。オルタンシア様は礼節をわきまえた振る舞いで、優しく微笑まれました。なのに当のあなたときたら――


「え、な、な、何がどうってわけでも……」


 声をつっかえさせ、両手をばたばたさせ、手元の恋文を慌てて懐に押し込みました。


「そうだ……筆記帳、か、貸してくれよ。かか、課題が終わってなくってさ」


 などとしどろもどろなクロヴィス様に、オルタンシア様は小さく苦笑なさいました。


「またですか? 簡単な詩の解釈ですよ。クロヴィス様、やればできる子なのに」


 あなたは、もう、うろたえるばかり。


「いいの。オルタンシアの字、きれいで勉強になるんだから!」


 と、可愛らしい言い訳を返してみせたのです。

 きれい、という言葉に、とびきり力をこめて。



   ❖――♔――❖


 夕方になってもあなたは悶々としておられました。


――できそこないの恋文を捨てたい。


 けれど使用人に命じるなど、恥ずかしすぎる。

 今は夏、暖炉で焼き捨てることもできない。

 しかもごていねいに油で保護した高級紙。水に流すことも難しい。

 かといって草むらに捨てるなど論外。

 破り捨てても、拾い集められるかもしれない。

 万が一拾われて朗読でもされたら、自決ものですわ。


 ……ああ、どうすればよいのでしょうねえ。

 何か思いついても、「でももしかしたら」と考えれば、すぐに却下。

 ほんのわずかな発覚の可能性があるだけで、すべてが論外に思えてしまう。

 頭はぐるぐると回り続けておりました。


「おゥ、コラ、クロヴィス。人に石ころ運ばせといて、その態度はねェだろ」


 鋭い声にとがめられ、あなたはようやく我に返ります。

 寄宿舎裏の庭先。

 そこに置かれていたのは、身の丈ほどもある石材でした。


 運んできたのは大柄の男子生徒。

 あなたの友人、ヴィルフリート・デュラランド様です。

 彼は口から硬い牙をのぞかせた、ざんばらの灰色の髪に、筋骨隆々で褐色肌の怪人族(オルク)

 北部地方からはるばるやってきた男爵家の令息であり、その巨躯ゆえ学院内ではひときわ目立っておりました。

 家格こそ侯爵家よりもはるかに劣りますが、不思議とクロヴィス様とは馬が合ったそうですね。


「ごめんよ、ヴィルフリート。感謝してる。ぼく、こんなの運べないからさ」

「おめェの親父さんも無茶言うよな。課題なんだろ? この石をぶっ壊せってやつ」

「ああ。家業だからね。王都は石造りの建物が多い。うちの家は、この王都の街づくりに貢献して名をあげたんだ」


 そう言って、あなたは手元の首飾り――侯爵家から下げ渡された魔道具を掲げました。

 首飾りに埋め込まれた宝石が光を放つと同時に、彼は石材へ木片を投げ込みます。

 するとどうでしょう。

 宝石の輝きが失せると同時に、石材は内部からぴしりと音を立て、粉々に砕け散りました。


「すげェなァ。〈砕石の魔法〉。怪人族(オルク)の腕っぷしでもこうはいかねェ」

「教わった通りやるだけだよ。簡単だ。さすがに、このくらいはやらないとね。父上に叱られる」

「勉強も少しはマジメにやれよ。またオルタンシアに泣きついたンだろォ?」

「いやあ、だって、話すきっかけになるからさ」

「そんなだから軽く見られンじゃねェのか……?」

「いいんだよ。いいんだったら」


 学友の耳に痛いお言葉。クロヴィス様は小さく咳払いをして、むりやり話を打ち切りました。

 あなたはコツコツ努力するのが大の苦手でした。

 九歳の頃、絵がうまくなろうと毎日描き続けた結果、一年経っても、ろくに身につかなかったとか。

 サロンで、同じような年ごろの子どもたちが、あなたよりもよほど筋のいい絵を描かれていた。それを見て、心のどこかで悟られたのでしょう。


――向いていないことをいくらがんばっても無駄。的外れな努力を重ね、物覚えの悪さを見せつけられるだけ。


 時間を投資するほど、裏切られた痛みは大きくなる。

 課題は助けてもらえばいい。

 試験の点が悪くても、侯爵家の跡継ぎが落第するはずはない。

 サボり魔、なまけ者と陰口をささやかれても、耳をふさいでしまえば済むこと。

 大事なのは、いかに楽に乗り切るか。


「ヴィルフリート、聞いてくれよ、それよりぼくには重大な問題が……」


 そして、そのとき。

 あなたの脳裏に、ひとつのひらめきがよぎったのです。



   ❖――♔――❖



 クロヴィス様。あなたは、なまけグセをよく知るお父上により、定期的に呼びつけられておりましたね。

 ロートレック家の仕事を叩き込むためです。


 図面の作成。

 現場の視察。

 魔法の練習。


 放っておけば遊びほうける息子に、細々と命令をくだす。

 やらなければ罰を与える。

 まるで動物の調教。

 息子が自分から机に向かうなど、ハナからお考えではなかった。

 〈砕石の魔法〉の力を秘めた宝石も、教育の一環として授けられたものでした。


 あなたは思い出した。以前、実家で一枚の設計図を見せられたのでしょう? 学院から歩いて十分ほどの場所にある、大きな石橋の設計図です。

 お父上、ロートレック侯爵がかつて手がけた作品でございます。


「何か聞きたいことは?」


 侯爵がお尋ねになると、あなたはしばらく図面を眺め、やがて目を丸くなさいましたわね。


「石橋を支える橋脚は、外壁を築いてから、内部に石や砂を流し込みます。しかし、父上。詰め込みが甘ければ、一部に『空白』が生じることがあります。もしかしてこの部分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 この目端の良さについては、私も大したものと認めざるを得ません。そう、当時、あなたのお父上も驚かれていました。目を細め、低くうなりました。


「勉強は嫌いなくせに、そういう点はよく気づくな。私の若き日の失敗だ」


「父上でも、そんなことが。大丈夫なのですか?」


「はっきり言って、異常な大きさだ。だが当時、陛下は王都の大改造を急がれていて、完成を急ぐしかなかった。幸い水流の影響は受けにくい位置だ。強度には問題ないと判断した。……いまさら、どうにもならぬのだ」


 お父上はそう言われ、深く息をつかれました。

 人は若い時に過ちを犯すものだが、一度残した失敗は、あとから取り返すのが難しい。

 侯爵は図面を通して、その教訓を息子に伝えようとなさったのでしょう……。



   ❖――♔――❖



 けれども、あなたは、恋文の始末に困り果てる中、お気づきになったのです。


――確か、あの図面によれば。


 石橋の上、貴族街側の右の橋脚。中心から四歩ほどの位置。そこから『空白』までは、金属枠も釘も木材もなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ならば、〈砕石の魔法〉――


 これを使えば、なんとかなる、と。

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