誘導尋問
最近――ここ半年ほど、気になっている女性がいる。月に1度か2度くらいは2人で食事に行く程度の仲だが、話すことと言えば他愛ない雑談が2割と、残る8割はお互いの専攻している学問分野の話ばかり。互いに専攻が異なり、それでいて相手の専攻も興味がある分野なのは僥倖だったかもしれない。
もう何度も行っているのに食事に誘うのも勇気が要り、チャットを開いてから2日や3日くらいは放置することもザラにある。そんなヘタレだが、先日カラオケの話になった際に、彼女を誘ってしまった。しまった、というのは、ほとんど何も考えず、口を滑らせたような具合であるからだ。実際のところ彼女は快諾してくれたし、別に致命的に距離感を間違えたようなものではないはずだと思っていた。
ところが3日前、彼女から友達も連れて行って良いかという連絡が届いた。渋るという選択肢がほぼあり得ないため、了承の返事自体はすぐに送った。しかし、大きな過ちを犯してしまったかもしれないという疑念が心中を渦巻き、離れない。
「えーいま彼氏いないし面白そうだから付き合ってあげようか(笑)」
それで、これは一体どういう状況なのだろう。彼女が連れてきた友達の1人――如何にも活発そうな女性だが――に、このような問いを投げられている。
「いやー、あはは……。時期的に忙しいから……。」
正直、彼女と比較するまでもなく、あまり好みのタイプではない。それは顔というよりも、性格が合わないであろうこと、そして失礼ながら知性的な雰囲気が感じられな……
「じゃあ、」
彼女は友達を2人連れてきたので、僕と彼女が同じ側に座り、向かい側に彼女の友達2人が座っている。今は向かい側に座っているその友達を見ていたので、急に隣から飛んできた強張った声に少し驚いた。というか状況からして、気になっている女性の目の前で、別の女性に謎の恋愛ネタを振られているというのは、どう考えてもよろしくないように思える。
「じゃあ私が『付き合ってあげる』って言ったらどう?」
コトリと音を立ててコップを置きながら、彼女がそう問いかけてきた。問いかけへの答を考えるよりも前に、ほうじ茶は先程来たばかりのはずなのに、コップを置く音は随分軽いなぁ、という感想を抱いた。というよりも、答を考えることを脳が拒否したので、その感想が浮き立って感じられたのだろう。
「……それさぁ、もし『お願いします』って言ったら色々角が立つじゃん。」
頭が真っ白な状態で5秒くらいフリーズし、結局出てきた言葉がこれだった。明らかに誤択を踏んだ気はするが、それを評価できるほど頭が回らない。
「えー、お願いしますって言いたいの?」
「いや、まぁ、その……。」
彼女の友達①に、そう畳みかけられ、口ごもる。すると、彼女の友達②がさらに踏み込んでくる。
「時期的に忙しいからってすぐ言わない時点でさ?」
「えー時期的に忙しいってのは嘘だったの?」
そうして出てきた彼女の友達①の問いに、ようやく人語で応答することができた。
「いやいや、嘘ではないです。本当に。」
誘導尋問に引っ掛かったことの気が付いたのは、次の問いが2人から矢継ぎ早に出てきた瞬間であった。まさに、後の祭りというやつだ。
「じゃあさ、時期的に忙しいのを考慮しても、なお付き合いたいってことじゃん?」
「結構好きだね!どこが好きなの?」
口にすべき言葉が見つからない。一瞬の沈黙が、雑談に興じて数分ほど誰も歌っていないカラオケボックスに満ちた。そして、無限にも思えるその沈黙を破ったのは、隣から再び聞こえてきた声だった。ついでに、指先で腕をツンツンとつつかれる。
「ね、私の質問に答えてよ。私が『付き合ってあげる』って言ったらどうなの?」
「ちゃんと答えなよ。男らしくないのは嫌いだってよ~。」
彼女の友達①にそう宣告を受けてしまえば、もう逃れる術がない。パンク寸前の頭では何も妙案が思い浮かばず、数秒の浅思黙考の末、諦めた。乾いた喉を潤すため、飲み放題で頼んだ薄い緑茶を、ぐい、と飲み干す。
「……。そ、その場合は、ぜひお願いしますと、答えると思います。」
錆びついた機械を動かすようなギギギギ…という音がしそうな具合に、ゆっくりと首を回し、彼女の反応を見る。姦しい彼女の友達コンビは、炭酸飲料を飲みながら観劇でもしているような具合に見える。
「なるほどね?」
彼女は机の方に視線をやっていて、見えたのは少し悪戯っぽい笑みを浮かべた横顔だった。心なしか少し赤いような気がしたけれど、カラオケボックスの照明では判然としない。ただ1つ明らかなのは、拳1つ分くらい、彼女がにじり寄ってきたということだ。