バレンタイン
三題噺もどき―ろっぴゃくにじゅうろく。
秒針の進む音が部屋に響く。
今日の仕事はほとんど最終確認だけのもので、キーボードを叩くことはそんなにない。
おかげで、机の上に置かれているキャンディの消費量も少ない。
「……」
そして、割と早めに集中が切れる。
こういう作業は少々苦手だ……動かせるのなら手を動かしたいところだ。何かをしていないとそわそわしてしまう。
決して仕事人間というわけでもないはずなのだが。
「……」
そろそろどこかの木に梅が咲く頃だろうかとか、今日は何かの日だったようなとか、明日は久しぶりに公園にでも行ってみようかとか、いつになったら温かくなるんだろうかとか。
他愛もないことを考えながら着手している時点で、集中していないのは明らかだ。
「……」
スクロールをして、たまにキーボードを触って。
抜けがないか、ミスがないか、最終確認を終わらせて。
とりあえずは、特に問題はなかったので。
「……ふぅ」
溜息をつき、丸まっていた背中を、背もたれに預ける。
姿勢に気を付けたいところではあるが、どうにも、無意識のうちにこうなってしまっているから、どうしようもない。色々と考えると正した方がいいんだろうけど。
「ん―……」
ついでに、軽く腕を伸ばしながら、時計を見やる。
もうそろそろ休憩の時間にしてもいいかもしれない。
そのあとはまぁ、散歩に行くなり読書をするなりするとしよう。今日の仕事は終わってしまった。
「……」
そう頭の中で決定し、椅子に預けていた背中を起す。
そして、机の上に置かれていたマグカップを手に取り、中身がまだ少し入っていたことに気づく。
それを飲み干してから、リビングに行こうと、口に近づけたところで。
「ご主人」
「……」
いつまでたってもノックを覚えない。
光の漏れる廊下から姿を現したのは、見慣れた私の従者である。今日は、なんだか可愛らしいエプロンをつけている。浮かれ気味かこれは。
心なし、聞き慣れた私を呼ぶ声も上ずっているような気がした。何かが上手くいったのか?
「そろそろ休憩しませんか」
「……あぁ、そうする」
コップの中身を一気に飲み干し、椅子から立ち上がる。
私の返事を聞いた時点で、アイツはすでにこちらに背を向け、リビングに向かっている。
続いて廊下に出て、後ろを歩いていると、後ろ手に結ばれたリボンが尻尾のように揺れている。……このタイプをつけている時は、良いことがある時なんだろう。
「……」
リビングへの扉を開けた瞬間。
ふわ―と、甘ったるい香りが鼻腔を刺した。
そんな可愛らしいものでもないな……暴力的なまでのぶわ―という感じだ。この匂いだけで胸焼けを起してもおかしくない。
「……なにつくったんだ」
その答えは、アイツの声を聞くまでもなく机の上に置かれていた。
これまたいつの間に買ったのか、チョコレートの滝が流れているものが机の上に置かれていた。周りに置かれていた皿の上には、フルーツとスポンジが、串に刺されて置いてあった。
「チョコレートフォンデュです」
「あぁ、そのようだな」
あと、これもありますよ。
そう言ってキッチンから持ってきたのは、丸い形をしたケーキだった。フォンダンショコラだったか?よく見ればまだ、数種類程キッチンの上にスイーツが並んでいた。チョコレートケーキにブラウニー、タルトっぽいもの、チョコを冷やし固めたようなシンプルなモノ……。
どれも、茶色で甘ったるい匂いがしていた。これ全部チョコレート菓子か?
「バレンタインですからね」
「……あぁ、そうだな」
そういえばそうだった。今日は、バレンタインというやつだった。
人々が、友達や恋人にチョコレートをあげると言うやつだ。そこで告白というのをする人も居るらしい。ホントかどうかは知らない。……生憎、運命の相手というのが、一体全体どんなものなのか分かりはしないのだが、そういうモノに近づくための手段と言ったところか。
少なくとも、こんなに大量にチョコレート菓子を作っていいと言う日ではない。
「……コーヒーを淹れよう」
「お湯は沸かしてありますよ」
胸焼けがすることはないだろうが。
仕事を終わらせておいて正解だった。
……これは、豪華な休憩時間になりそうだ。
「しかしよくもまぁ、こんなに作ったな」
「興が乗ってしまって」
「……いくらかかった?」
「これも食べてみてください」
「話を聞け」
「これとかうまくいったんですよ」
お題:キャンディ・梅・運命