思い出
昨日の姿を思い出すのは、今日何度目だろう。
特によく笑い合った場面を思い出しながら、何度も頭の中で画像を呼び起こす。
何を話していたか、どんな仕草をしていたか、まるで1つの映像のように再現したいから。
サヤさん、と呼ぶ声が聞こえる。
昨日だけで、何回呼ばれたんだろう。
全てが特別な時間で、二度と出会える事がない。
あの空間、匂い、音、にも戻れない。
あまりにもろくて、本当に現実だったのか、とも思う。
一瞬、一瞬を大切に過ごせたのか、と自分に問いている。
それ位、秀人と過ごした時間を大切に思うサヤが居た。
会えない時間が想いを加速させ、自分が冷静でいられるのか考えただけでも、怖かった。
そして、大切にしたいこんな想いもまた過去になり、いつか忘れてしまうのかもしれない、と寂しく思う。
今までもそうだったように。
秀人は今日、久しぶりに実家に帰ると言っていた。
同じ月を見ていたらいいな、と思う。
今日の月もキレイだけど、昨日とは比べ物にならない。
いつも通りに業務をこなしていると、秀人と過ごした時間が本当に過去になったんだな、と思う。
月曜日の忙しさで、思い出の余韻に浸っている暇はなく、ただ現実が押し寄せる。
倉庫に戻り、検品作業をしていると、誰かが近付いてくる気配がした。
それは、期待した人ではなく、予想外の人だった。
「向井さん、土曜に男と歩いてたよね」
ドキッとして、何も言えずにいると、伊藤主任は続けた。
「イメージと違って意外と積極的なんだね」
何が言いたいんだろう。
それに相手に気付いているのだろうか。
「わざわざ大通りをさけて、すぐ暗い横道に入って行って何してたの?」
わざとイヤらしい言い方をしてくる。
サヤは意味ありげに微笑む。
「ちなみに伊藤主任は何してたと思います?」
「さぁ、分からないけど、いい事ならオレもお願いしたいなぁ」
また一歩近付いてくる。
「いいですけど、私の彼より従順なんですか?」
サヤはまた微笑む
「私、ドSなんです。彼の顔は見ました?」
「いや、暗かったからハッキリとは…」
「実は彼のお散歩中だったんです。首輪してあったでしょ。」
「首輪?」
「えぇ、ペットですから。伊藤主任もそっち系なら良かったです。5番目のペットになりますが、今度一緒にお散歩しましょう」
伊藤主任が2歩下がった。
「イヤ、ボクはそっち系じゃないんで」
また一歩下がる。
「そうなんですか。伊藤主任に〝ご主人様〟って呼ばれたかったなぁ。…でも私の個人的な趣味なんで、内緒にしといて下さいね」
サヤは満面の笑顔を向ける。
伊藤主任はブツブツ、頭がおかしいと言いながら帰って行った。
大事な人以外なら別に何を思われたって構わない。
「…ちょっと、勝手に盗み聞きしないでよね」
影に隠れてしゃがみ込んでいた秀人は、堪えきれなかったようで大声で笑う。
「サヤさんがドS?オレに首輪?」
「何よ」
「はぁ〜、出張前にサヤさんの顔見に来てホント良かったわ」
秀人は、サヤに近づくと称賛したように肩をポンポンと叩く。
「よくスラスラと思いついたね」
「勝手なイメージで、私の事を支配しようとしてるから嫌だったの」
「そうだね…でも大丈夫?何を言いふらされるか分からないよ」
「あんな人に何言われても気にしないから」
秀人の顔を見ると、つい微笑んでしまう。
「これなら、出張中も安心だな」
秀人も笑ってる。
「この前行った所から、仕事の依頼がきたんだ」
「おっ、やったね」
「結構な案件になりそうだからさ、戻ってきて落ち着いたら、ご飯行こ。女将さんが、またサヤさん連れてこいってうるさくって。あの人、実はウチの母親と同郷なんだ」
秀人と近い距離で話をしても、緊張感より安心感の方が勝ってきた気がする。
「うん。そういえば、お土産美味しかったよ」
「おっ、また買ってこようか?」
ううん、とサヤは首を振る。
「それより、無事に帰ってきて。お散歩してあげなきゃいけないから」
「それじゃ首輪かって来ないとね」
顔を見合わせて、また笑う。
楽しい時間が過去や思い出になっても、また作り出せばいいんだと、サヤは思った。
それは決して寂しい事じゃないんだと。