準備
娘のサヤと秀人くんから話を聞いた時には、(とうとうこの日が来たか)と思った。
実は、夫から〝秀人くんから相談があった〟と先に聞かされていた。
サヤが休日出勤の時に、2人きりでゴルフの練習に行った際、話があったという。今思えば、夫に先に話をしたくて2人で練習に行ったのだと思う。
〝サヤにはまだ話をしていないが、結婚準備の為に一緒に暮らしたい。ケジメをつけて、と言われれば先に籍を入れてもいい〟と秀人くんは言ったという。
夫は、3人でゴルフに行くから私よりも2人の様子が分かっている。
〝秀人くんと居ると、サヤが本当にいい顔で笑うんだ。秀人くんもサヤを大切にしているのが分かる。可愛がって育てた娘を取られる様な気分になるのは悔しいが、秀人くん以外にはサヤを任せられない気になっているのは確かだ〟と夫は言った。
〝一緒に住む話には賛成するの?〟私の質問に夫は、〝一度2人に任せてみないか?〟と言う。
〝どんなに好き合っていても、現実は厳しい所もある。上手くいけば結婚も考えればいいし、上手くいかなければまた温かくサヤを迎えよう〟
秀人くんは、私から見ても好青年だ。
挨拶もしっかりしているし、細かい所までよく気がつく。
夫やサヤでさえ気付かなかった、玄関先の花瓶でさえ、秀人くんは気付いた。
〝今日生けてある花は新しい花瓶とよく合ってますね〟
お正月の最後の休みの日に、帰ってきたサヤの顔が違った。
〝お母さん、明日からもう少し料理教えて〟
〝何かあったの?〟分かっているが聞いてみる。
〝また話すね〟
サヤから幸せそうなオーラが滲み出ている。
母親としては、娘の幸せを一番に祈ってあげなくてはいけない。寂しいと思う自分の気持ちを抑えてでも…。
「一度、2人でやってみたらいい」夫が隣で伝える。
「近くに住むと言ってくれてるし、ゴルフでも会える。秀人くんの出張の時には、サヤはこっちに戻ってくればいいし、ご飯も今まで通り食べに来なさい。急に居なくなると、お母さんが寂しがるから」
「はい」
2人が顔を見合わせている。
2人の幸せそうな姿をみると(これで良かったんだ)と思うしかない。
家から歩いて15分程の所でちょうどいい物件が見つかったと、サヤから聞いた。
秀人くんが先に引っ越しをし、サヤが少しずつそこへ荷物を運び込むという。
一緒に夕食の準備をしながら、サヤに聞いてみる。
「サヤは環境が変わることに迷いはなかった?」
人参をスライサーで細かくしながら、サヤは答える。
「一瞬だけね、この家が居心地良かっただけに、これからどうなるんだろうって不安がよぎったけど、秀人の顔見たら、大丈夫かなって。
前に秀人の上司が言ったんだって。〝今、何がしたいのか?〟って。
それを聞いてから、何か決断しなきゃいけない時は自分に問いかけるの。
〝今、何がしたい?〟〝今、何をしなきゃいけない?〟って」
「で、サヤの答えは秀人くんを選んだんだ」
「そう…今は秀人と一緒に居て、秀人と一緒に笑い合いたい」
「秀人くんで良かったの?」
細切りにした人参とキャベツを合わせる。
「秀人じゃなきゃダメだよ。私をこんなに大事にしてくれる人は他には居ないよ」
即答する娘の言葉に安心する。
「そうだね、秀人くんならサヤを一番に考えてくれるね」
ご飯が炊けた音が鳴る。
「ご飯よそって、お父さん呼んできて」
サラダを盛り付けながら、サヤに声をかけた。
うららかな春の日差しの中、玄関先で2人を見送る。
今日からサヤと秀人くんが一緒に暮らす。
秀人くんが大きいバックを持ち、サヤは紙袋を持っている。
「忘れ物はない?」
「あってもすぐに戻ってこれるよ」
「それもそうだね」
「秀人くん、サヤを頼むよ」夫が言う。
「はい」と返事をし、サヤと顔を見合わせる。
「じゃ…」とサヤが夫と私を交互に見た。
そして1つ落ち着くように息を吐くと、胸に手を当てて私達を見ながら言った。
「今まで大事に育ててくれて、ありがとう」
言いながら、涙をこぼすサヤを思わず抱きしめる。
「…幸せになりなさい」
サヤの頭を撫でながら、溢れてくる涙にそれだけ言うのが精一杯だ。
「お母さん、ありがとう…」
娘の成長を笑って送り出してあげたかった。
サヤの涙を拭い、「行きなさい」と声をかけた。
夫がそっと私の肩を抱く。
秀人くんが、深々と頭を下げてから、サヤの涙を拭った。
これからは、私の代わりも秀人くんが担ってくれるのだろう。
静かに閉まる玄関に、また涙がこぼれてくる。
「お母さん、感動してる所悪いんだけど早速明日ご飯誘ってあるから」
「えっ?」
「真由帰ってくるし、家族が増えたみたいで楽しいなぁ」
夫は能天気過ぎる。
でも、これに何度も今まで救われてきた。
「早く言ってよ。すぐに食材買ってこなきゃ。明日は何がいいかしら?」
「サヤの好きな炊き込みご飯と、真由の好きな茶碗蒸しがいいんじゃない?」
「それがいいわね」
パタパタと出かける準備をする。
今日のうちに出来る下準備をしておこうと思う。




