まだ
よく晴れて気持ちがいい。
社員旅行でなければ、近くの公園まで歩いて散歩に出掛けたい気分だ。
暑さも和らいで、風が少しヒンヤリする位の朝。
サヤは、奈緒達と待ち合わせた集合場所へ急ぐ。
同期のグループラインで、同じバスに乗る打ち合わせは出来ていた。
5人全員で集まるのは前回の同期会以来、半年ぶりだ。
ゆっくり話す時間もなかったと、再会を喜びながら積もる話に花を咲かせる。
「全員そろったし、そろそろバス乗ろう」
奈緒の合図で空いてそうなバスを選び、サヤは窓際に座った。
バス3台でフルーツ狩りに行く予定になっている。
「シャインマスカットも食べ放題だって」
隣の奈緒のパンフレットを覗き込む。
「シャインマスカット大好き!」
「よしよし、後で沢山食べさせてあげるからね」
奈緒が、サヤの頭を撫でながら言った。
日差しが気になって、カーテンを閉めようかと手にかけた時、隣のバスが目に入った。
秀人がちょうどバス越しの同じ位置に座っていて、こちらに気付くと手を振った。
サヤもピースサインで返す。
サヤが誰とコンタクトを取ってるのか気になったらしい。
奈緒がサヤを避けながら、覗き込むと
「シュウトじゃん」
といいながら、手を振った。
「奈緒は秀人知ってるの?」
「そりゃ知ってるよ。経理課と営業課は、隣同士の島で働いてるからねぇ」
点呼が終わったバスがゆっくりと動き出す。
サヤの後ろに座っていた、同期の営業課、川島悟が話に入ってきた。
「秀人はみんなに優しいからさ、モテるんだよ。
女の子がみんなオレに秀人の情報を聞いてくるけどさ、1人ぐらいオレに回せっての」
バスの狭い座席では、悟の大きな体も窮屈そうだ。
体型も手伝って、みんなから愛されている。
「でも、彼女のウワサは聞かないよねぇ?」
奈緒が、悟に聞く。
「彼女は居ないって聞いたけど…」
「へぇ〜」
奈緒とサヤが同時に声を上げる。
「でもさ、モテすぎも大変だよね」
奈緒が続けた。
「この前女子トイレで、秀人の事で女子社員2人が小競り合いしてたわ」
「えっ?」
「私の方が先に好きになっただの、ちょっかい出さないで、とかなんとか」
サヤは思わず吹き出す。
「小学生じゃないんだから」
「でも、本人達はいたって真剣だからさぁ。今日のバスも秀人の周りに座ろうと必死だったんじゃない?」
サヤと悟は唸るように声をあげる。
「やっぱ人間ほどほどがいいよな。サヤは俺みたいな彼氏にしとけよ」
悟が顔を作って、自分を指差すので、
「何言ってんだか」
と言い放ち体を正面に戻した。
奈緒はそんなサヤに、意味ありげに笑ってからかった。
休憩時間のサービスエリア探索が、旅の楽しみの1つであるサヤは熱心にお土産を見ていた。
自分だけの為には大きい箱を目の前に迷っていると、隣にそっと並ぶ人の気配がした。
「買うの?」
秀人がニコニコしながら立っている。
「このお菓子好きなんだけど、さすがに多いから買うか迷ってるの」
秀人が1つ箱を持ち上げる
「これ、美味しいよね」
「そうなの、中のチョコレートが絶妙で」
サヤの顔が崩れる。
「でもこれだけあると、食べ過ぎだからさ」
クルクルと表情が変わるサヤを見ながら、秀人は言った。
「じゃ、僕と半分こしない?」
「いいの?」
サヤの顔がパッと変わる。
秀人は笑い、早速会計に向かうので追いかける。
「お金は払うから」
秀人は、手で制して逆方向を指した。
「それよりサヤさん、あそこの自販機でコーヒー買っといてくれない?無糖ね」
「分かった」
財布を開けてたサヤは、方向を変えて自販機に向かう。
お土産代とは、全然釣り合わないなと思いつつ。
コーヒーを買い終えた時、ちょうど会計を終えた秀人が来た。
お互いに持っていたものを交換する。
「半分また渡すね、差額も払うから」
サヤが言うと、秀人は笑って首を振る。
「僕には500円分の価値があるコーヒーだからお金は大丈夫」
秀人の優しさに戸惑った時、奈緒がトイレから戻ってきた。
「秀人、あっちのバス酔っぱらいばっかりだって?」
混んでたトイレで情報を得たらしい。
秀人は声を潜めた。
「もう地獄です。大声でわめくし、酒臭いし…セクハラまがいの事もするから、シラフの俺たちが女の子との間入って止めて…みたいな。そっちのバスは大丈夫ですよね?」
秀人は心配そうにサヤと奈緒を交互に見る。
「こっちは、飲んでても大人しい人ばっかりで全然大丈夫だよ、ね、サヤ」
「うん。大声出す人も居ないしね」
秀人は、安心したように言う。
「良かった、当たりだよ。とりあえず、南課長と伊藤主任は酔うと要注意だから、お酒の場では絶対2人に近づかないで下さい」
サヤには南課長は思い浮かぶものの、伊藤主任はピンとこなかった。
遠くから
「シュウト〜」
と呼ぶ女の子の声が聞こえる。
集合時間が近付いているらしい。
「とりあえず、ボディガードしてきます」
2人に挨拶して、小走りで去っていく秀人を追いかけながらサヤ達もバスへ急いだ。
美味しいブドウを沢山食べた後は、お腹も落ち着いているから軽いものだけにしようとバイキング方式の昼食の列に並ぶ。
すると、「サヤさん」と背中を軽く叩かれた。
こっち、と手招きする秀人について一旦列を離れ、隅に移動する。
「どうしたの?」
秀人は、サヤに合わせて身をかがませながら、耳打ちする。
距離が近すぎて意識してしまうが、秀人は全く気にしてないようだ。
「あっち見て。サヤさんと同じ事務所に居る、近藤さんと話してる人、赤のポロシャツの人見える?」
見たことある人だ。
「よく、現場事務所来てるよ。近藤さんと仲いいみたいで話してるけど」
「あの人が伊藤主任だけど、知ってた?」
「そうなの?近藤さんとは下の名前で呼び合ってたから知らなかった」
不意にその伊藤主任が、こっちを向きそうになり、秀人が急いでサヤの前に立ちはだかりサヤを隠すようにした。
「近くの席だけには座らないように。奈緒さん達と一緒に居てよ」
「そのつもりだけど…そんなに酔っぱらってるの?」
いやいや、と秀人は誤魔化しながら
「並ぼうか」
とサヤを誘導した。
この間だけでも、伊藤主任がどうこうより、秀人目当てと見られる女の子達が視界に入って仕方なかった。
「秀人、先に行って。ちょっとトイレ行ってくるよ」
独りになってみると、急に考えが巡った。
自分の身に何かが起きているような、不安と胸騒ぎと高揚感で落ち着きがなくなる。
少し落ち着こうと、トイレの鏡の前に立って深呼吸する。
鏡越しに自分を見て、頰を両手で軽く叩く。
大丈夫、まだ何も起きていない。
私は私で何も変わっていない。
サヤはいつもの自分を取り戻そうと、もう一度深呼吸してトイレを出た。
「サヤ、大丈夫か?」
曲がり角を曲がると悟が居た。
どうやら心配して見に来てくれたらしい。
「腹でも壊したかと思って…お前、めっちゃ、ブドウ食ってたもんな」
「悟ほどじゃないでしょ!」
「オレ、あれでも遠慮したんだけど」
「あれで?」
悟はサヤと談笑しながら、昼食を選ぶ間も一緒についてまわってくれた。
もちろん、自分のおかわり分も追加しながら。
席に着くと、バスの中であんなに話をしたのに、まだ話題が途切れず、5人はケラケラと笑い合った。
経理課の奈緒と資材課のサヤ、営業課の悟に製造課の山下涼子と小林信吾の5人で入社して、部署は違えど会えば楽しい時間を過ごせる仲間になった。
仕事はともかく、この5人に出会えて本当に良かったと、サヤは心から思うのだった。
帰路につくバスの中は、疲れからかウトウトする人が増え静かだった。
空はオレンジ色に染まりだし、サヤは静かにカーテンを開けて外の景色を見た。
貴重な1日が終わろうとしている。
隣の奈緒からは、静かな寝息が聞こえ、後ろの悟からは歯ぎしりが聞こえて対象的な2人に自然に笑いがこみ上げる。
移りゆく景色をボーっと見ながら、さっき聞いた話を思い出す。
周りがだんだん寝始めて、静かになった頃を見計らって奈緒が話した事だ。
秀人の方では、伊藤主任が酔って暴言をはいたり、女子社員に近付いて行ったりするのを秀人達にことごとくブロックされていた。
やっと大人しく自分の席に座ったかと思いきや、あの子の足がいいだの、どの子のお尻を見ちゃうだの、エロオヤジの会話が始まったらしい。
本人は隣の近藤さんにだけ話してるつもりでも、酔って大声になってるから、まわりに話がつつぬけで、失笑されていた。
「気を悪くしたら申し訳ないんだけどさ」
奈緒が前置きした。
「伊藤主任が、サヤがお気に入り、とか言い出したんだって。あの子なら、オレの言う事を聞きそうだし、大人しそうだし、とかなんとか…
オマケに男慣れしてなさそうだから、オレが調教してやるとか言い出したんだって」
「はぁ…」
急にサヤの名前が出て、驚くと同時に脱力感が襲う。
「同じ経理課の子が、奈緒と同期の子だよね、ってサヤが来る前の昼食の時に教えてくれたの…女を何だと思ってるんだろうね」
そう言って、奈緒は拳を握った。
近くで聞いてたら、殴ってくれてたかもしれない。
「悟の所に秀人からラインが入ったんだって。サヤがトイレに独りで行ったから、様子を見て欲しいって」
「秀人が?」
それで悟が、待っていてくれたのか。
「悟もその話を一緒に聞いてたからさ、合点がいったのかずっとサヤについててくれたんだよね」
そうだったんだ…。
「変なヤツに好かれちゃったね。でもさ、そういうヤツに限ってシラフの時には何にも出来ないヤツだよ、きっと。それに何かあれば同期で守るから大丈夫。サヤは安心して」
「うん。分かった」
「それに…秀人も居るしね。アイツは本当に気がまわってみんなに優しいから、勘違いしちゃう子も多いだろうね」
本当にそうだと思う。
「営業の事務やってる、秀人と同期の可愛い子、知ってる?」
サヤはなんだか血の気が引いてくような気がした。
「秀人と今度デートするんだって言いふらしてるみたい。ライバルが多いから他を寄せ付けないようにしてるんだね」
秋は日が暮れるのが早すぎる。
すでに暗くなった景色に、点々とつく家の灯りが過ぎていくのを見ながら、サヤは思った。
まだ、ちゃんと好きじゃなくて良かった…