幻像
「サヤ、ちょっと」
現場事務所の出入口で声をかけると、
パソコンを打っていたサヤが、こっちを向いた。
「奈緒、どうかした…?」
この前は気付かなかったけど、サヤが少しやつれた様に見える。
扉を出てきたサヤに〝少し付き合って〟と食堂まで誘導する。
行く末の秀人の姿を確認したサヤが止まって、奈緒を見た。
「一度ちゃんと話をしておいで。お互いに誤解してる所もあるかもしれないし…」
奈緒の言葉に、サヤがすがるように見る。
この時間はほとんどここは人が通らない。
周りを気にせず話せるだろう。
「何かあれば、私がここに居るから…」
「奈緒…私、秀人の心を動かせるかどうか…」
「怒ってやればいいんだよ。ちゃんと自分の気持を伝えておいで…」
サヤは胸の前で手を組んで、表彰式の時の様に落ち着きがない。
もう一度奈緒を見ると、
ゆっくりと、秀人に向かって歩いていく。
秀人もすでに気付いていた様で、椅子から立ち上がってサヤを待っていた。
「サヤさん…」
「隣、座ってもいい?」
サヤが、小さな声で話しかける。
秀人は話すタイミングを模索していて、沈黙する。
「具合はどう?」
「今は数値が落ち着いているから、あとは薬で調整していくようになるよ。
課長が気を使って、みんなには伏せてくれたんだ。
サヤさんの顔を見てしまうと、どうしていいか分からなくなるな…」
秀人は緊張すると指を触りながら話す。
「どうしても、梓の事を重ねてしまうんだ。
特に、梓の泣いてた姿をサヤさんに」
「でも、私と梓さんは違うよ」
「そうだよ、頭では分かってるんだよ。でも、悲しみにくれる姿が頭から離れなくて、もしサヤさんがそうなったらと思うと耐えられないんだ」
季節だけではない寒気がする。
「私がそれでもいいから秀人と居たいって言ったら…?」
秀人は一度目を合わせてから、考えるように肩を落とした。
「僕がツライかな…。サヤさんは本当は無理して僕と居るんじゃないかって疑心暗鬼になる」
会えない時間を過ごしても、何も変わっていない。
「…もう私が何を言っても、秀人の中では答えが1つしかないの?
私は、たとえ将来悲しむような事になっても、それまでに、それ以上の嬉しさや楽しさを過ごせたら、一緒に生きていけると思っていたし、秀人はそう言ってくれると信じていた」
秀人を見ると、サヤを見つめながら手を伸ばすも、途中でその手をやめた。
「…サヤさん、今の僕には、将来の約束もしてあげられない。
サヤさんに悲しみ以上の幸せをあげられる約束なんて、残念ながら出来ないんだ。
自分の心が満たされてないのに、人の心を満たせるなんて出来ないよ。
僕はみんなが言うような、〝いい人〟でもなんでもない」
「私は…これからあなたの幻像と戦わないといけないのよ。どこに居ても見守ってくれていたから」
サヤは泣かないように深呼吸する。
もう涙は見せたくない。
「梓さんには、本当に悲しみしか残らなかったと思うの?」
「2人は、幼い頃から一緒だったから、楽しい思い出も沢山出来たと思う。
でも僕達はまだ始まったばかりだから、引き返すのも今ならまだ間に合う…」
「秀人!それ本気で言ってるの?」
サヤの目からとうとう涙が伝う。
怒りで立ち上がり、一歩後ろに下がり秀人から離れる。
秀人も立ち上がり、サヤに向き合った。
「僕は今ならまだ〝間に合う〟よ、サヤさん…」
人の心の中は見えない。
だけど、秀人とは想う深さが同じだと思っていた。
「…今までの事を全て無かった事にするつもり?
もういい」
サヤは、静かに告げると、奈緒の待つ方へ早足で向かった。
独り残された秀人は、深く椅子に腰掛けた。
(これで良かったんだ…)
何度も一緒に乗り越えて欲しい、と言おうと思った。
何度もサヤに触れたいと思った。
本当は、〝間に合う〟はずがない。
もう〝手遅れ〝だ。
決心したはずなのに、まだ心は揺らぐ。
オレが、耐えればいい話なんだ。
サヤさんに与えた痛みに比べれば、なんてことない。
まだサヤの幻像が残っている。
せめて最後は泣いた顔じゃなくて、笑った顔が見たかった。
「くそっ!」
涙が抑えられない…




