タイミング
その日は、朝から順調だった。
荷物の検品は予定より早く終わり、午前中から納品書のデータ入力に取りかかれた。
お昼に食堂へ行くと、久しぶりに涼子に会えて今度の女子会の店を決めることが出来た。
午後からデータ入力後、溜まっていた急ぎではない仕事に手をかけると、一気にやり上げた。
作ってある[保留の書類入]に紙ベースのメモが1枚もなくなったなんて信じられない。
それ位順調で、達成感に満ちあふれていた。
秀人の迎えにタイミングが応援してくれている。
もう少し時間があるから、と材料倉庫へ移動して倉庫の中を見回る。
秀人と見た、試作材料の余りの棚に移動して、ホコリを払い材料の様子を見る。
あの時の事を思い出して、自然と笑みがこぼれる。
思ったより種類が増えているので、材料表示して誰が見ても分かるようにしよう、とメモを取り出した。
その時、「向井さん居ますかー?」と倉庫入口から男性の声が聞こえた。
反射的に「はいっ!」と返事をし、見える位置の通路まで出る。
坂本課長が、手に紙を持って近付いてきた。
材料の在庫を確認しに来たんだな、と瞬間思った。
でも、課長自らが来るなんて珍しいな、とも。
「向井さん…」
予想外のただならぬ緊張感を感じて身構える。
何かあったんだ…。
「大丈夫、落ち着いて」
坂本課長が手で制す。
「秀人が今…病院にいる」
「えっ?」
課長の次の言葉を待つ為に、顔を見る。
思ってもみなかった事に、頭が真っ白になる。
「命に別状はないから安心して。
僕もさっき行ってきたけど、今は落ち着いている」
「何かあったんですか?」聞く声が震える。
「帰りの駅の構内で倒れた。詳しい検査はこれからになると思うけど…」
課長がメモを渡す。
「ここから30分位の病院だから帰りに寄ってやって欲しい。僕が行った時にはもう意識は戻っていたから。
向井さんの顔を見れば少しは元気が出るかも」
「…分かりました」
意識が戻っている、の言葉に多少なりは安心する。
昨日の電話の時は元気そうだったのに。
「くれぐれも安全運転で」
坂本課長は、大丈夫だからと言うように、深く頷いた。
ちょうど終令が鳴る。
試作材料のカバーを再び元通りにして、小走りで現場事務所に戻る。
秀人のことだから、きっと大丈夫だ。
このところの出来事で少し疲れがたまっただけなんだ。
今は私が落ち着かないと、秀人を余計に不安にさせる。
「何をやってるの」と笑ってあげよう。
そして、そっと手を握ってあげよう。
病院独特の雰囲気は、サヤにより一層のしかかる。
坂本課長から渡されたメモを片手に、病棟を確認してエレベーターに乗る。
病室前の名前プレートで、現実が突き付けられる。
それまでは、何かの間違いであって欲しいと願っていたことも。
個室の扉を開くと、静かに病室に入る。
恐る恐る薄いカーテンを開くと、秀人は寝ていた。
顔がいつもより白く血色が悪い。
点滴の管が痛々しく感じる。
「シュウト…」
小さな声で呼んでみるが反応はない。
近くにあった消毒液で手を濡らす。
アルコールが吹き飛び、手が冷たくなる。
手をこすり合わせて温めながら、気持も落ち着かせ、それからそっと顔に触れてみる。
愛しい人が、なぜこんな姿になっているのか。
頬を撫で、代われるものなら代わってあげたいと思う。
近くの椅子に座り、秀人の大きな手を両手で包む。
いつもなら、同じかそれ以上で握り返してくれるのに、と寂しさを感じる。
ただ、手のぬくもりだけは変わらなくて少し安心する。
「早く元気になって…」
秀人の手の甲に祈るように捧げる。
「私には秀人が必要だよ」
いつまでも反応のない手に、分かっているのに、手が離せない。
〝ツラそうに見えた時にはただだまって手を握ってくれればいい…〟
秀人の言葉が思い出される。
いくらでも握るから、はやく元気になって欲しい。
しばらく放心状態のまま、ただ手をにぎり静かに祈っていた。
病室に人が入ってくる音がして、急いで椅子から立ち上がる。
一目みて、秀人のお母さんだと分かった。
涙を拭い、頭を下げる。
「秀人さんと同じ会社の向井サヤです」
サヤが居るとは思ってなかったのか、驚く様子を見せたが、「秀人の母です」と頭を下げた。
「驚かせちゃったわね」
サヤより小柄なお母さんがますます体を小さくした。
「路子ちゃんところのインスタで拝見してます。
秀人と仲良くして頂いてるみたいでありがとう」
「いえ…」
優しい表情は、秀人とよく似ている。
「サヤさん、良かったら玄関のロビーで話さない?」
振り向くと秀人はまだ静かに眠っている。
サヤは荷物を持って、秀人のお母さんの後を追った。




