保険
明日からまた週末まで出張に行くらしい。
秀人の勤務が元通りになった。
復帰してから2日間は、無理をしている感じだった。
たまに手が止まって考えこんでいる時もあれば、逆に話しかけても反応しない位に集中している時もあった。
課長もその様子を見て、遠方への出張は、しばらく他の人に担当させていた。
休みが明けて少し経って、今はだんだん落ち着いて、以前の秀人に戻りつつあると思う。
「麻生、これで書類終わりだから」
パソコンに出張中に必要になる書類を取り込んでおく。
秀人のパソコンが何かの拍子で使えなくなった場合の保険だ。
「全部PDF取って共有フォルダに入れたから大丈夫」
「ありがとう」
美玖を見て、お礼を言う。
でも目線はすぐにパソコンへ移る。
期待してはいけないと分かっているが、少しの時間だけでも見て欲しいと思ってしまう。
「秀人、明日からの出張って…」
「うん?」
秀人が続きの言葉を待つ為に、手を止めてこっちを見た。
美玖の視線を受けて、数秒目が合うも、すぐにそらせて「どうした?」と作業を再開させた。
いくらこちらが視線を送っても、秀人は見つめ返してはくれない。
「何でもないよ」
「そっか」
確かめてみても、虚しさが残るだけだ。
「秀人の仕事は終わった?他になければ、今日は終わったから帰るよ」
帰り支度を始める。
「麻生、少し話がある。駐車場まで一緒に行っていい?」
秀人が立ち上がる。
美玖には、悪い予感しかしない。
駐車場まで行く間、いつもよりゆっくり歩く。
秀人も歩幅を合わせてくれている。
「麻生にはちゃんと報告しておくべきだと思って…」
一瞬が長くなる。
体が硬直するようだ。
「…もう少ししたら、サヤさんと付き合う事になってる」
なんとなく分かっていたが、胃の辺りに大きな鉛が落ちてきたようだ。
周りの音が何も聞こえなくなる。
まだ工場の機械は動いている時間なのに。
実は秀人と向井さんが付き合ってるんじゃないか、というウワサは耳にしていた。
2人が一緒にいるところを見た、という人が何人かいたからだ。
ある人は忘年会で一緒にいた、と言っていたし、ある人は、ついそこで一緒に歩いているのを見た、と言った。
今考えると、みんな美玖の反応を楽しんでいたとしか思えない。
「秀人から告白したの?」
「オレから話したよ。
本当はもう少し先延ばしすべきだとは分かっていたんだけど。
謝るのは違うと思うから言わないけど、お前とは今まで通り同期のままでいたいんだ」
つまりそれ以上にはなれないということか。
駐車場出入り口に着く。
雨が降り出している。
「オレの置き傘持って行っていいから」
美玖に傘を差し出す。
もう、車まで送ってくれることもないんだね。
「今から雨足が強くなるのに?」
「オレは何とかなるから。濡れて風邪ひくなよ」
秀人は、かけ足で戻って行った。
(私は何かあった時の保険にもなれないのかな…)
さっきまで作業していた書類の事を思う。
ただ、秀人のツメは甘すぎる。
まだ嫌いになりきれていない。
何かチャンスがあるんじゃないか、と思ってしまう。
諦めようと思っていたけど、そう簡単に諦めきれない。




