18 土の女神
まったくもう、やっと所期の目的であるリザニール散布ができるぜ。やれやれ。
「さっさと済ませちまおうぜ。俺が撒くからお前ら水かけろよ」」
「電子レンジったら……もちっと魔導士らしくやってよ。なんか有り難みないじゃない」
「めんどくせーよ、効果は一緒じゃん。
えーーー、全能なる太陽の神よ、
麗しき母なる大地の女神よ、
この地を汚す魔物どもを祓いたまえ!」
リザニールを周囲に盛大に撒く。匂いは特にないのでコーヒーのときよりはずっと楽だ。
俺の後からタカヒロと須美が水を撒いて歩く。リザニールは水を含んで効果を発揮するらしいのだ。
雨の前にやればよかったなあ。
できるだけ広範囲に撒き散らし、ついでに岩の裏や建物際など、ナメクジが隠れて居そうな場所にも撒いておいた。
「これで大丈夫だろ。
ナメクジが居なくなったら、もう俺呼ばれないんだな!」
清々しくリザニールの袋を放った。
「うん、まあ……約束だからね」
タカヒロは不承不承だ。
須美は「あたしはずーっと来るわよ、せっかくエイセニアと仲良くなったんだもの」とエイセニアと繋いでいた手を振ってみせる。
「あらあ、魔導士様はもう来られないの?」
エイセニアが首を傾げて俺を見つめ、気安く腕を絡めてきた。
しっとりと柔らかい、女の子な感触。
ふわふわした茶色の髪が揺れて俺の肩に触れる。
うーーーんと、いや、やっぱまだ心配だからたまには来ちゃおうかなっと……。
翌日、結果を楽しみにいそいそと異界に行った俺は、村のひとびとがざわついている事に気がついた。
いや、むしろこんなにひとがいることに今まで気が付いていなかったんだ。
タカヒロは井戸のあたりで須美と俺が近づいていくのを待っていた。
「うまくいったんだろ?タカヒロ。なんか、ずいぶんひとがいるな」
「うん……、あのね、エイセニアが病気なんだって」
「えっ!」
「他にも何人か……こんなこと初めてだ」
須美は真っ青になって村の東の端にあるエイセニアの家の方へ走り出した。
俺とタカヒロも慌てて後を追う。
「エイセニアは? どんな具合ですか?」
応対に出てきた女のひとは青ざめてふらふらしている。
身内なんだろうか、エイセニアに似た面差しだが、肌にはつやがなく頬がこけて目元にずいぶんしわが見える。
案内された部屋で、エイセニアは真っ白な顔でベッドに埋もれるように横たわっている。
時々顔を歪めて身を捩っているが、そうするだけでも体力を奪うようだ。
彼女は俺の姿がわかると、からからに乾いた唇から絞り出すように語りかけて来た。
「卵が……あるから、大丈夫……。
私は滅える……けれど、次の……土を浄化する……女神が、ちゃんと産まれて……来るわ。
……それまで……ここを……守ってね……」
エイセニアの顔がすっと色を失い、大きな瞳はもう開かれることはなかった。
さっきの女のひとも倒れている。
部屋の内外に、同じように浅黒い肌、茶色の髪のひとが次々に倒れていくのが見えた。
「エイセニア? エイセニア?
目を開けて!
ねえっ、エイセニア!」
須美が掠れた声でエイセニアの名を呼び続けている。
その声が徐々に金属的な叫びになったとき、シノウィルソニー長老が事も無げに言う声が聞こえた。
「土の女神は死にましたか。女神のしもべも供をするのですな。
卵があると言っておったので、すぐに次の女神が現れるから大事ない。
皆の者、かれらの遺体を土に埋めなさい」
俺は思わず顔を上げた。
そんなものなのか?
次の女神がいれば、あんたたちはそれでいいのか?
エイセニア自身は、明るい声やおっとりと優しい仕草はどうでもいいことなのか?
「嘆くことはない。
私どもは、次の世代に生命を引き継ぐことができればよいのじゃ。
眠ったまま冬を越えられるものもわずかにおるが、大抵のものは秋には後継を残して、滅える」
長老が淡々と話す声が、天井に、窓に、ドアに、俺の頭に、つめたく反響する。
このじいさま、何でそんな平然と喋ってんだ……?
須美がぽろぽろ涙をこぼしながらエイセニアの亡骸にすがっている。
「私どもは植物ですでな」
俺たち3人を取り巻いて見つめる、感情のない何百個もの眼。
「エイセニアやアリディフォリアも虫ですでな。
ほとんどの者は、わずかな時間をここで生きるのみ。しかし、子孫が我らの意志を継いでゆく、この先もずっとな。
貴公らとは違い、これが当たり前の生き方なのじゃ。
嘆くには及ばぬよ」
そうなのか……そうなのかも知れないけど、でも……。
「あの魔法の薬は、我らが土の女神たちの命をも奪うほどの威力であった。
お陰様でたくさんの魔物が退治された。礼を申しますぞ」
「そんな……長老、エイセニアが……エイセニアたちが死んだのは、あの薬のせいだって言うんですか」
「土の女神たちは命を落としました。しかし、魔物たちには全く良く効きましたぞ」
シノウィルソニー長老は俺と目を合わせずに、ゆっくりとエイセニアの部屋の方に手を延べた。
「多少の犠牲は大儀のためにはいたしかたないこと。強大な魔物を打ち破るために、彼らは身を捧げたのじゃ。間もなく土の女神の子らが産まれ来る。その中から新たな女神が選ばれ、また土を守り続けるのじゃ。
何も案ずることはない」
長老は穏やかに、しかしぴしりと言った。
こんなことになるとは夢にも思わなかったなどと、言い訳するのは卑怯だと感じてしまうほどに。
長老たちは俺たちを責めることはせず、今までどおりナメクジ退治をするようにと言った。




