10 バラとか、バラとか、バラとか、うまい菓子とか
「三角~」
9月に入ったといっても昼間はまだまだ暑い。
教室で弁当食うのもたりぃなーと思っていたら、タカヒロが声をかけてきた。
「外で弁当食わない?
チョコムース食わしてやるよ」
甘味につられたわけではない、決して。
タカヒロはどこへ行くかきっぱり決めてあったらしく、玄関を出てさっさと学校の裏庭に回った。
この先には古い古い墓地があり、夜になるといろいろ見えちゃうという噂もあったが、昼間はただの荒れ庭だ。
「ここが僕の園芸同好会の花壇。
そしてこのバラがレディ・アーミュティースだよ。今は葉っぱばかりだけど」
やせて枯れかけたエンピツくらいの木が1本……
異界の姫さんもよぼよぼだったけど、この木も負けてない。
わずかに残っている葉も虫に食われた痕だらけだ。
バラの周りは草取りをしたらしくきれいになっているが、スギナとエノコログサがそこかしこに蔓延っている。
「つまり、あのお姫さんのバラが人界ではこの木ってことか?」
「そう、どんなバラなのか見てみたくって探していたんだ。
結局、三角先生に頼んで取り寄せてもらったんだけどね」
みすみせんせい?
「三角のお母さん、有名な園芸家の三角先生でしょ。本もたくさん出されてる」
へ?
「異界の姫君が、この世界ではどんなバラなのか知りたくてさ。色々調べるのに、三角先生の本ずいぶん読んだよ。苫小牧にある園芸会社の実験農場に勤めておられるだろう?
ファンレター出したら先生の園芸教室にも招待してくれて」
……お人違いとかじゃなく?
「意外と近くに住んでるってわかって驚いた。お話ししてみたら息子が僕と同級生だって言うしさ」
ビンゴー……っていうか、うちの母親って園芸店勤めのおばさんじゃなかったの?
「有名な園芸会社に籍を置く、超有名なガーデニングのスペシャリスト」
俺の知らない母親の姿を知っているタカヒロ。
一部の園芸好きな世間様からは尊敬されている(らしい)母親。
見たくないものを鼻先に突き付けられて、眼を背けているような居心地の悪さだ。
タカヒロのせいじゃないことはわかっているんだけどさ。
当のタカヒロは、眉根の寄った俺の顔には全く頓着しない。
「だからさ、冬越しして花を見られるまで一緒に頑張ろう。
これ、園芸同好会の入会届け」
だからさって、どこに掛かってるんだ?
俺は園芸同好会までやるなんて言ってないぞ??
「そうだっけ?
でも僕が呼べば……」
はいはい、わかったよ。
異界に呼ぶも置いてきぼりもタカヒロ次第って言いたいんだろ。
何でこんなヤツに弱みを握られてるんだろう、俺。
「レディ・アーミュティースは、元々は中近東の乾燥した砂漠地帯に咲いているロサ・ペルシカという原種バラを祖先に持つ、とても貴重なバラなんだ。
かなり品種改良されたとはいえ、病気に弱く高温多湿に弱い姫君に、日本の気候は過酷らしいね」
「高温多湿ったって、北海道はそんなに暑くないだろ?梅雨もないし」
「まあ、本州で栽培するよりは北海道のほうがまだマシらしいけど。それでも、やっぱりロサ・ペルシカが生えている中近東の気候と比べるとね。
それに、ここ数年、東京より暑いときもあるくらいでしょ。雨も多くなったし、病気を防ぐのがすごく大変らしいよ。
病気に強くて嫌になるほど花を着けるハイブリッド・ティーも多いし、放っておいてもぐんぐん大きくなって多少虫に喰われても平気な一季咲きのつるバラのこととか考えると、やっぱりレディ・アーミュティースの手の掛かりっぷりは別格だと思うなあ」
「さっきからそのハイブリッド何とかって何」
「バラの種類。原種のバラを色々掛け合わせたり突然変異を選抜したりして品種改良が進んでるんだけど、その系統も種類がすごく多くて僕も覚えきれないや。
モダンローズで代表的なのは、大輪四季咲きのハイブリッド・ティー、少し花は小さいけどブーケみたいに一枝にたくさん花をつけるフロリバンダ、矮性のミニアチュア、つる性のクライミング、木バラとつるバラの間くらいのシュラブなんかだね。
シュラブといえばオールドローズっぽい花の咲くイングリッシュなんかもあるけど、原種もきれいなのが多いし。日本にも幾つか原種のバラがあるんだよ。
北海道の花、ハマナスも原種バラのひとつだ。すごく香りが良いんだけど、たった1日で散ってしまうんだ……ほら、この木がハマナス。一季咲きだからもう花は終わったけど、実が赤くなってきてるからきれいでしょ?」
これまでタカヒロがこんなに長々喋るの聞いたことあっただろうか……恐るべし、バラ。バラのためならクラスメートも売りかねないぞ、こいつ。
俺はむっすりしたまま一段小高くなっている場所のベンチに座り、弁当を取り出した。
ベンチの上にはパーゴラがあるのでちょっとした東屋のようだが、絡んでいる木にはほとんど葉がない。枯れているのかも知れない。
日差しを遮る役には立たないな。
足元には雑草が生き生きと茂り、踏むと細かい虫がぶわっと散る。
尻尾の赤くなったトンボが上下にゆらゆらしながら目の前を飛んでいった。
ベンチに座ると、ちょうど花壇全体を見下ろせるようになっている。
昔は手入れとかされてたのかなあ、ここ。
ボロボロだからよく見なきゃわからないけど、レンガで放射状にいくつかに仕切られていて、その中央に例の姫君の花壇が丸く作られている。
子供が描く太陽みたいなデザインだ。
放射状の部分には花はなくて、背の高い雑草が揺れている。タカヒロ一人では大分手が廻らないようだ。
「これ、昨日作ったチョコムース。
生クリーム多めにしたからおいしいよ」
タカヒロが小さなクーラーバッグを開ける。
クーラーバッグ持参で登校する高校生男子……。
しかも何だかスプレーみたいなものを取り出して、ガラスの器に入ったチョコムースにシュワッとかけ、おまけにちっちゃい緑の葉を載せて俺に寄越した。
イマドキ、生クリームってスプレー缶に入ってるものなわけ!?
細い銀のスプーンがちりんと涼しい音を立てる。
「なんだそれ…お前自分で菓子とか作るの」
「結構得意だよ。三角は作んないの?」
「やんないだろ、普通。
……うまいな、これ」
つるっと口に入ったムースはあまり甘くないけど濃厚なチョコレートの味で、微かにスパイスの香りがした。
緑の葉はミントだったらしい。
思わずほめてしまうくらい、本当にうまい。
「そうでしょ、甘いものって正義だよね!!」
タカヒロがニヤリとした。
悪魔のドヤ顔……。
どさくさまぎれに書かされた園芸同好会の入会届けを持って、タカヒロは行ってしまった。
職員室に直行して顧問の先生に新規入会者申告する気だな、あいつ。
同好会って、活動費出るんだったか?
肥料とか道具とか、もうちょっと手を入れるつもりだったら花の苗とかの金はどうするんだろ。
水やりや草取りはタカヒロ一人でやってたんだよな、きっと。
交代制でやるにしても結構面積があるから、あと2~3人メンバーが欲しいところだ。
いや待て、真面目に活動する気か俺。




