異世界でお茶会を……
トントントントンッ……
リズム良く、まな板と包丁が音を奏でる。
狭い台所でばあちゃんが手際良く、野菜の下ごしらえをしていた。
………………
あぁ……これは、チビだった頃の俺の記憶だ。
記憶の中のばあちゃんは常に時間に追われていた。
いくつかの仕事を掛け持ち、週七で日勤をこなして帰宅すると、すぐに俺の世話を済ませ、また夜勤へと出かけて行く生活……いつ眠っているのだろうかと心配になるほど、ばあちゃんはいつもいつも働いていた。
俺は俺で、ばあちゃんの負担にならないよう小さいなりに気を遣っていた。
自分が考えつく最上級の『いい子』を精一杯演じて……そう、例えば、寝る前に水を飲みすぎない……とか。
一度だけ……夜中にトイレに行きたくなって、目覚めたことがあった。
「ばあちゃん?」
布団から身体を起こすが、真っ暗闇の中で一人きり……部屋はこんなに広かったか? どこか違う異世界に迷い込んだんじゃないか? この世界に俺以外、誰もいなくなったんじゃないか?
次々と湧き上がる不安に襲われ、俺は声を上げて泣いてしまった。
そこに丁度よく帰ってきたばあちゃんに、情けなくも泣きついたっけ。
「よしよし……ごめんね、ハル。一人にして……本当にごめんね……」
困らせたくないのに……手が掛かってどうしようもない駄目な子だと思われたくないのに……もう……誰かに捨てられるのは御免だった。
その日を境に、ばあちゃんの前で涙を見せるのは止めた。
今思えば、二人きりの家族なのに、俺達はゆっくりと向き合って会話する時間はほとんど取れていなかった。
だから、作業中の背中を見つけるたびに、邪魔しないように配慮しながら声を掛けていた。
「ねぇ、ばあちゃん。おれは『いらないこ』なの?」
「え?」
ゴロゴロ……ゴトン……
下から見上げながら放った俺の言葉で、ばあちゃんはピタリと手を止めた。
調理中だった大根は、シンクに流れるようにゴロゴロと転がり、思いの外大きな音を立てた。
「だっておれのせいで、ばあちゃんひせいきこようになったんだろ?」
「ん? 非正規雇用……その言葉、よく知ってるわねぇ。ハルは物知りだぁ」
「ごめんね。おれ……すぐおおきくなって、おかねいっぱいかせぐから……」
「……」
コトンッ……
すると、ばあちゃんは手を止めて、そっとしゃがみ、俺に目線を合わせてくれた。
「ねぇ、ハル……お前はもっと自分の為に生きなさいね」
「じぶんの……ため?」
「そう、自分の為に……生きるの」
………………
………………
◇
「……さま? お客様?」
はっと我に帰ると、目の前にはキラキラと宝石のようなケーキが並ぶショーケース。
その向こう側にいる店員さんが、品物の確認の為にケーキボックスを傾け、こちらに中身を見せてくれていた。
「ご注文の品はこちらでよろしいでしょうか?」
「よ、よろしいです!」
慌てて、国語の解答ではバツをくらいそうな返答をし、社長から渡されていた一万円札を銀のトレーの上にそっと置いた。
◇◇◇◇
びかーーっ! しゅぅぅぅぅぅっ……
「ただいまーー! チーズケーキ買ってきたよーー! 領収書とおつりと……あと、こっちは珈琲……」
左腕にはケーキボックスの入ったビニール袋を引っ掛け、両手で支えているお盆の上にはテイクアウト用の紙カップ四つ……バランスを取りながら、ちゃぶ台へと運ぶ。
それにしても、異世界にて帰宅の挨拶をするというのは、よくよく考えたらおかしな話だ。
だが、十数年暮らした馴染みのあるソックリ空間のせいか、気づいた時にはもう自然と口から吐いて出ていた。
「おう。他の洗面台と間違えなかったか、えらいな」
………………
い、言われてみれば……たしかに間違えていたら相当ヤバかったな。
倉庫内には、神経衰弱並みに惑わせてくる洗面台だらけ……うわぁ……隣の異世界にひょっこりしなくて良かったぁぁぁっ!
「カメラマンが追跡しなくても出来たな、はじめてのおつかい」
「いやいやいや……もう既に、社長からのミッションいくつかクリアしてきてますけど?」
「おかえりなさい、ハル。あらあら、珈琲の良い香り……」
そう言って、にこりと笑ったばあちゃんの目尻……皺がぐっと深くなった。
「そうだ! 聞いてよ、ばあちゃん! この事務所んとこ、凄いんだよ! コーヒーマシンがあってさぁ……」
倉庫内の事務所の一角には、お客様用のドリンクコーナーが設置してあった。
マッチョお兄様方に一声掛け、そこからありがたく頂いてきた……もちろん、ミルクと砂糖も忘れずに。
コトンッ……
「ん? あれ? えっ⁉︎ えぇーーっ⁇」
「うるせぇな、ハル」
「い、いや……だって……え?」
驚きで思わず、大きな声が出た。
だって、ちゃぶ台の上……下ろしたお盆の横に……ばあちゃんの署名が済んだ書類が置いてある⁉︎
「こ、これは……」
「無事に『契約完了』ってことだ」
ぺらりと紙を摘み上げながら、社長がニヤリと笑った。
「え? え? え? ばあちゃん……俺がいない間に……一体どういう心境の変化?」
「ふふふっ……まぁ、そういうことよ」
「⁇⁇」
そういうことって……どういうこと⁉︎
社長とばあちゃんを交互に見比べて……もう一つ、気になることを発見!
「ばあちゃん……膝の上の、その……ラヴカちゃん(仮)の、それって……?」
「ん?」
ばあちゃんの皺々な手の中には、さっきと違った衣装に着せ替えられた魔法少女フィギュアな彼女がちょこんと座っていた。
どこから用意したの……なぁんて質問は野暮だな。
だってここは、ばあちゃんの意のままな亜空間。
あぁ……でも良かった。
彼女いつの間にか俺の肩からいなくなってて、どこ行ったか心配だったから……『逃走』……一瞬、その二文字が頭をよぎったもん。
いやぁ、流石に青ざめたね。
……本当に逃走中してたら、俺のおつかいにハンター業務が追加されるとこだったよ。
「この子はねぇ……メグちゃんよ!」
「え? あ、うん。随分と華やかだね……ばあちゃんの着せ替え人形?」
「タカノは嫁をめいっぱい可愛がって、着飾らせたいんだろう」
「嫁? あぁ、最愛のフィギュアをそう呼ぶこともあるか……まぁ、ばあちゃんが嬉しそうだし、そのメグちゃんさんも……乗り気みたいだから、まぁいっか! っつうか……腹減ったよ!」
ばあちゃんの手の中でお行儀良く座っているってことは……この状況、彼女もまんざらじゃないってことなんだろう。
それよりも……色々と一つずつ尋問級に聞いてみたい気持ちもあるが、空腹には勝てない。
「じゃあ、皆で頂くとしましょうか」
そう言って、ばあちゃんがケーキボックスの蓋を嬉しそうに開けた。




