むかしむかし……
引き続き、ハルおつかい中。
「昔々あるところに、一組の平凡な夫婦がおりました。身内もおらず、後ろ盾の無い二人でしたが、夫は会社を起こし、二人三脚で必死に会社を盛り立て……二人は戦友のように暮らしていました。それから十数年が経ち、ようやく仕事が軌道に乗った頃……とうに諦めていた子宝にも恵まれました」
ちゃぶ台前で正座したタカノが、伏目がちに語り続ける。
「四十路を超えてから産まれた息子が、それはもう目に入れても痛く無いほど、可愛いくて可愛くて可愛くて……二人はその子供を随分と甘やかして育ててしまった。……育て方が悪かったのです」
心に後悔が滲んだのだろう、膝の上で握った両手にぐっと力が入った。
「ある日……大学を勝手に中退してきた息子と父親は大喧嘩になりました。会社を継がせたいと願っていた父親は裏切られた気持ちになり、当然ながら激怒し……父親から勘当を言い渡された息子は、荷物をまとめて家を出て行ってしまいました」
もうだいぶ過去のことなのに、彼女の中ではつい昨日のことのように鮮明に記憶しているのだろう。
両目に薄っすらと涙が浮かぶ。
「もっと話をして欲しかった……自分の至らなさを悔いながら、悲しみに暮れる母親でしたが……夫の手前、息子を探しに行くことも出来ず、ただ彼の幸せを遠くから願う日々でした……」
「……」
社長は口を挟むことなく、静かに昔話に耳を傾けていた。
だが、タカノの雰囲気がふっと変わったのに気づき、顔を上げた。
視線の先では、涙を溜めた瞳で中空を見つめる彼女……その顔はひどく青ざめていた。
「あ……あの子がどこで何をして、誰とどんな暮らしをていたかも……全く知らなかったの。じ……事件で連絡を受けるまでは……数年ぶりに知ったのは、警察からの電話だったわ。『お宅の息子さんがご自分の奥さんを殺しました』って……」
カタカタと震える身体を自分で抱き締めながら、それでもタカノは言葉を続ける。
いや、ずっと一人で抱え込んでいたモノを、本当は誰かに言ってしまいたかったのだろう。
……一度、口火を切ったら止めることは難しい。
「知らないうちに息子は結婚していたの。若い夫婦の間には赤ちゃんも産まれていて……もしくは授かり婚だったのかも……警察の調べでは、育児ノイローゼ気味だった奥さんが夫の浮気を疑い、『死んでやる!』と言って目の前で自分の首に包丁を突きつけた。それを阻止しようと揉み合ってるうちに、誤って彼女に刺さってしまった……救急車を呼んだけど間に合わず、車内でお亡くなりになったそうよ」
涙の堤防はついに決壊し、ボロボロと下に水滴が零れ落ちた。
何度も手の甲で拭うが追いつかず、諦めたその手は、また膝の上に戻った。
「……息子はどうした?」
先を促すように社長が尋ねるが、タカノは力無く首を横に振った。
「気が触れたんでしょうね……刑務所の中で自殺しているのが見つかったわ。たった一文だけ……『メグミごめん』って……遺書らしいモノはそれくらい……ごめんって……命を奪っておいて……ごめんじゃ済まないわよ!」
彼女の顔は、涙と悲しみと怒りと情け無さと……全てが入り混じり、ぐちゃぐちゃになっていた。
「結局、私達は一度も面会が叶わなかった。対面は死んで遺体となってから……本当、親失格ね」
上を向いて、ははっと自分を嘲るように笑う。
自分を責めるのが習慣として身体に染み付いてしまっているようだ。
「……赤ん坊は?」
「うちが引き取ることになったわ、加害者の親なのに……まぁ、彼女の方も家庭事情が複雑だったそうでね。そして事件直後、すぐに私は離婚し、凪杉姓に戻した。赤ん坊を……ハルを守るために……」
そう言って、押入れの祭壇を愛おしそうな瞳で見遣る。
「人の噂ってのは本当にすごいのね。当事者になって知ったわ。殺人犯の息子、その親の会社……すぐに特定されて、会社は傾き、あっという間にあの人もあの世へ逝ったわ。残ったのは、私とハル。でも、実の両親が加害者と被害者だなんて……あの子には言えなかった……絶対に知られちゃいけないって……」
「だから『育児放棄』だとハルに嘘をついた……か」
社長の言葉にタカノはこくりと頷いた。
「この秘密は死んでも隠し通す……そして、私は……はい。昔話はおしまいおしまい」
「もう死んでんだけどな」
そう言って、社長が溜息を吐き出した。
「理由も状況もどうであれ、我が子を人殺しに育ててしまった……私は、私が許せないし、許されていいはずがない。ただ、孫の……ハルの成長だけが心残りで……ご飯をちゃんと食べているか、風邪ひいていないか……その未練で鏡の裏に魂が留まってしまった。成仏なんて身に余るわ、烏滸がましい。最期は……塵一つなく消えて逝きたい」
「……」
彼女の覚悟を聞き終えた社長は、胡座をしている己の膝をパシッと叩いた。
「じゃあ、タカノ。昔話のお礼に……今度は俺の方も少し話をしようか」
「え?」
予想外の言葉に驚き、タカノはパッと社長の顔を見返す。
「19年前……東京都足立区のとあるアパートの一室で刃傷事件が発生。女性一人が刺され救急搬送されたが、懸命の処置も虚しく、彼女は亡くなった……救急車の中だった。自分が死んだことに気付かない魂は、彷徨いながらも、いつも暮らしていたあの部屋へと戻って来た。だが、室内で派手に暴れたのだろう……鏡は割れ、既に処分されてしまっていた。鏡を失ったその部屋に、死んだ魂だけが留まり……それは部屋に棲みついた」
「あ……遍さん? い、一体何の話を?」
困惑するタカノに社長は話を続ける。
「地縛霊となり、一室を不法占拠していた輩への対応として、不動産管理会社が交渉に当たり、契約を交わした。それが……この、魔法少女ラヴカちゃん(仮)だ」
「(仮)?」
ちゃぶ台上の魔法少女人形は、ギギギッと身体を軋ませながら、なんとか体勢を変えようと奮闘していた。
……だが、何がしたいのか、現段階ではよく分からない中途半端なポージング。
そんな彼女に対して、社長がそっと手を差し向ける。
「あぁ、中のヒトは本当の名前があるんでね。これも何かの縁だ、タカノに紹介するよ。こちらは徒平恵実さん。……お互いに初めまして……かな?」
「つ、徒平⁉︎」
ガタンッ!
その名字を聞いた瞬間、タカノがちゃぶ台に手を付いて、身を乗り出すように腰を浮かした。
「あぁ、徒平……タカノも離婚前は名乗っていたんだろ? そう多くない名字だしな。コイツはあんたの息子の嫁さん……ハルの母親だ」
「⁉︎」
ようやく正座の形を取れたフィギュアな彼女は、ちゃぶ台の上で姑に深々と頭を下げたのだった。




