ハンマー
残業確定に気づきガックリ肩を落とす俺に、社長が不思議そうな声を漏らした。
「いや? 秒でギブアップしそうな怪我人に、大事な洗面台の取り扱い作業はこれっぽっちも期待してねえぞ?」
「へ?」
仕事参加前に戦力外通告⁉︎
社長にも人の心があったんだな……でも、これはこれで侮られているようで、うーん……何だかモヤるのは俺の我儘か?
「じゃ、じゃあ、さっき言ってた『研修的な』って何すか?」
「ハルに不動産屋の営業について軽く話はしたと思うが、仕事はそれだけじゃない。利益を上げる為には、人脈の形成と集客力、競合他社との差別化、投資に見合うリターンがあるかetc……学ぶこと、考えることは山程ある」
「……はい」
………………
どうしよう。
軽い質問が呼び水になり、セミナーみたいな社長の堅苦しい講演が始まってしまった。
不本意とはいえ契約社員の書類にサインしちまった以上、聞かないわけにはいかない……よな。
渋々嫌々ながら聞き入る俺に、いつもの調子からはあり得ないくらい真面目に社長が話し続ける。
「いかに、取り扱い物件の価値を……魅力を高めるか。その為にやれることは色々とあるが……」
「付加価値を付ける……とか?」
事故物件ってだけで負荷価値は最初から付与されてるんじゃない?
左肩の上にいつの間にか腰掛けた人形な彼女も、社長の小難しい話は聞き流しているのか、プラプラと子供みたいに足を揺らしている。
……あれ?
さっきのマッチョお兄さんズに見られていたよな?
誤解されてたら……なんか嫌だな。
俺の心なんて知らない社長は、歩き進みながら話を続ける。
「付加価値……まぁ、それも大事だな。そして事業というものは、利益が出るように経営していかなければならない。シンプルに考えるなら収入を上げ、支出を減らす……家計管理のやりくりと一緒だな。不要なものは切り捨てることも必要となる」
言いながら倉庫の最奥に到着するやいなや、彼は積み上がったグルグル巻きの『四角』の一つを手に取った。
「……」
「社長?」
ビリビリッ!
覆っている黒いビニールを乱暴に破りながら、社長がスーツをバサっと翻す。
流れるようにその背中からハンマーを取り出すと、いきなりそれを鏡面に振り下ろした!
ぶんっ!
「⁉︎」
ガキィィィィィィィィンッ!
硬物同士の衝撃音⁉︎
一般的に鏡面の材質は衝撃に脆いガラス板のはず……なのに……ハンマーを弾いた⁉︎
表面には何事もなかったかのよう、傷一つない。
「えっ⁉︎」
「異世界側にエネルギーがたっぷり残っていると、現実側から鏡を割ることはできない」
「⁇⁇」
社長のご乱心に、頭がまるで追いつかない。
そんな俺を置いてけぼりにして、また社長は平然と話を続ける。
「異世界エネルギーは循環するが、補充されなければ時の流れと共にそれは緩やかに消耗し、やがてゼロになる。……あぁ、そういえば、ハルが昔住んでいた団地だが……今はもうないぞ?」
「うぇい⁉︎」
いきなり話ががらりと転換して、変な驚声を上げてしまった。
「老朽化による建て替え……都市再生プロジェクトであそこは大規模な駅前再開発が行われたからな。何年か前に順次執行され、もう全棟解体済みだ。もう新しい公団住宅が整備されたようだが……以前とはまるっきりの別物だな。駅の名称も変わっている」
背中から取り出したタブレットを操作し、社長が画面を俺にくるりと向けてきた。
液晶をジロジロと覗き込んだが……それはもう俺の知るモノではない。
近代的なビル群のような集合住宅に、あの懐かしい古ぼけた団地の面影はどこにも見当たらなかった。
「そうか……ばあちゃんが亡くなって、あそこを出てから、もう何年か経つからなぁ……」
ふっと、頭に幼い頃の思い出が過ぎった。
心のどこかに隙間のような風通しいい部分を感じ、無意識で胸を摩る。
これは……寂しい……ってことなのかな?
「さっきの魔改造アパートも場所的に建て替えは難しい。建てた当時と建築の法律が変わり、新しい建物を建てられない地形だ。周囲をまとめて買い上げない限り、再建築は不可能。更地にして駐車場が妥当だな」
ふうっと溜息を吐きながら、社長はハンマーを背中に仕舞った。
………………
うん。
……見慣れてきててツッコむのをすっかり忘れていたが……本当、貴方様の背中はどうなってんの?
すると、気が逸れてしまった俺の頬を、肩に乗るフィギュア人形ちゃんの手がぷにぷにと突き刺す。
「ん? あぁ……」
ぼんやりしてる時に先生に指され、後ろの席の子がそっとフォローしてくれるような感じか?
……そんな甘酸っぱい経験、学生時代にしたことねぇなぁ!
それを合図に、また意識を社長に向ける。
「あ……えっと……それと、目の前の割れない鏡と……どう繋がるんです?」
「あぁ? ハル……お前、ちゃんと話聞いてたか? 立って寝ていたのか? 大型回遊魚か?」
「……人間を19年ばかりやってますけど、何か?」
俺の返答を気にも止めず、社長はタブレットをさっと操作し、またこちらに向けてきた。
……古い家を解体してる……映像?
「これが何か?」
「戸建てやら集合住宅やらを解体すれば、そこで使っていたモノは取り外す。洗面台も当然不要となる。だが見ただろ? 壊せやしねぇし、他社の手になんて負えやしない。だからうちに相談が来て回収するんだが……使い古された洗面台なんて、価格1円でも売れやしねぇ。鏡だけを取り外して希望に沿って再利用するんだ」
そう言って彼は、積み上がった鏡をコンコンッと叩いた。
ひぃっ! 恐ろしき所業じゃ!
「……ん? 『希望に沿う』って……誰の?」
「誰って……鏡の住人に決まってるだろ? 他に誰がいるんだよ。……あぁ、そういえば川志田さんのは珍しいケースだったな、お買取。そういう方法もあるか……なるほど」
社長が悪どい顔でニヤリと笑い、ブツブツと何か呟いているよ……悪徳商法反対!
「だが、洗面台へ鏡を取り付けるのに間に合わず、エネルギーが消滅しちまうモノもある。ただの鏡へと戻ったそれらは適切に処分する」
「鏡の……リストラ?」
「いや在庫整理だ。こちらも管理するのは仕事……慈善事業じゃない。成仏か再構築かの選択契約時にそれらの説明はしてある。訪問者からの何かしらエネルギー補充ができなければ崩壊し、消滅する……まぁ、それを望む者達も一定数いるがな……」
「え?」
先程ご自分で破った黒ビニールを、取り出した黒テープで自らまた覆い直した。
身体のどこから取り出したかは……言うまでもない。
「でも、なんでそんな話を俺に?」
「あ? 何寝ぼけたこと言ってんだ? 『研修的な』って言っといただろ? だったら、現物見ながら説明した方が手っ取り早いじゃねぇか」
「……たしかに社長、仰っておりましたね」
………………
だったら『今から色々説明するぞ』って、最初に一言を俺にくれてもいいんじゃないですかね、社長さんよ。
いつもいつも本当に貴方様はご説明が足りてませーーん‼︎




