バイタルチェック
プップーー! ブロロロロロ……
軽トラのクラクション音がどこからか聞こえてきた。
薄っぺらい壁一枚を隔てた向こう側……近くの小道を走り抜けているのだろうか?
閃光に眩まされないよう、硬く閉じていたシャッターのような瞼をゆっくり持ち上げる。
開かれた薄ぼんやりな視界は、まだ何かに遮られていて見えづらい……だが、目を凝らすとようやく焦点が合い、古ぼけた焦茶色の柱がすぐそこにあるのが分かった。
こげちゃ……やったーー!
白黒じゃない! ちゃんと色彩がある!
ようやく現実世界に戻ってきたんだーーっ!
うっしゃ!
生存の喜びを全身で表現したかったのだが……。
ずしっ……
………………
………………
ん? あれ? う、動けない⁉︎ なんで⁇
しかも……く、苦しい⁉︎
こ、呼吸がしづらい……頭も持ち上がらない……重い何かが上に乗っかっていて、ぎゅうぎゅうと俺を圧縮してくる感じだ。
歯を食いしばり、塩化ビニルの床に埋まるほど潰された頬を擦りながら、ギギギギッと渾身の力を込めて首を捻る。
………………
………………
お、重たいわけだわ。
俺の背中の上に、人間が覆い被さっているんだから……しかも一人じゃない!
ぷらんと垂れ下がってきた手が1、2、3……4人分見える⁉︎
うぐぐっ!
現実見たら、なんかさらに重く感じてきたぞ⁉︎
痩せた大人で50kg前後と仮定して、それが×4 だから……あ、駄目。計算したら気絶しそう。
身体が圧迫されているせいか、肺がうまく膨らませられない!
あれ? 前にもこんなんなかった? デジャヴ?
あぁ、とりあえず早く退いてくれーーっ!
僅かに動かせる右手で押したり、引いたりするも……や、やべぇ……びくともしない。
せっかく異世界から帰って来れたのに……俺は……ここで圧死? 窒息死?
………………
そ、そんなのいやだぁぁぁぁぁぁぁーーっ‼︎
ガチャ!
その時、ドアの開く音が聞こえた。
「セバメから連絡入ったが……おい、ハル! 帰ってんのかーー?」
「⁉︎」
こ、この声は……社長ーーっ‼︎ 助けてーーっ‼︎
バンバンバンバンバンバンバンバンッ!
リング上でギブアップを伝えるレスラー並みに床を死ぬ気で叩きまくる!
「おっ! なんだ、プロレスごっこか? ったく、お子様め。しょうがねぇやつだな」
くそっ! 遊んでるわけじゃねぇよーーっ‼︎
今すぐ助けろよ、こんちくしょーーがぁーーっ‼︎
「近藤さん、遠藤さん……」
「「はいはい!」」
「⁉︎」
ヒョイヒョイヒョイヒョイ!
ふっ……
社長に名前を呼ばれた方々が、俺の上から一人ずつを下ろしてくれたのだろう。
途端に身体が軽くなり、一気に酸素を取り込もうと俺の肺は急稼働し、喉も気管も仕事が追いつかない!
「ゲホゴホガハゴホゴホゴホゴホッ!」
むせこみながら、洗面所の床をのたうち回る!
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
荒い呼吸を十数回繰り返し、ようやく俺は上半身を起こした。
「なんだハル? おろしたての真っ白なモップみたいな頭して……あぁ、労災か。俺がオススメの美容室連れてってやるから安心しろ」
「し、社長……今、俺が目の前で死にかけてたの……気付きませんでした? だいたいさぁ……ん?」
文句の途中で、なんだか違和感を感じ、社長に向けて睨んだ瞳を反対側へと動かし、自分の右腕を見る。
……………
「うん、脈拍数落ち着いてきたね」
「……あ、あの……どちら様でしょうか?」
「近藤です」
「血圧測っていいですか?」
「あ、はい……あのぅ……貴女は?」
「遠藤と申します」
俺の手首で脈を診てくれたゴリ強マッチョな男性医師が近藤さん。
腕に血圧計を巻き付けているのが……女性に対して失礼かもしれないが……屈強な看護師、遠藤さん。
……救急隊ではなく、医師&看護師がなぜ事故物件で俺のバイタルチェック?
っつうか、『M's引っ越し社』のお兄さん方といい、町中華の配達員さんといい……何で社長のお知り合いは逞しい方々が多いんだ?
「うん。肋骨以外、異常は無さそうだね」
「お大事にしてください」
「あ、ありがとうございます」
俺の身体は一部分を除いて比較的健康だったようだ……こんなボロボロなのになぁ。
嬉しいけど、なんか納得いかねぇってのは贅沢な話なんでしょうか?
悶々とする俺を放置して、お二人は向こうの居間で横たわる四人の方へと速やかに移動する。
その様子を眺めながら、社長が口を開いた。
「セバメからの報告で『空間の狭間に行方不明者三名の身体を発見した』とさ。こんなケースはまぁそこそこあったりなかったり……で、急遽、あのお二人に来てもらったのさ」
「救急車は呼んだんですか?」
「いや、世間的には特殊案件だ。数年間も行方不明だった人間の体調確認……普通の救急隊は対応に困るだろう? だから、こちらの事情を理解している医療機関へとこれから運ぶ。『神隠し』なんてのが大事になったら色々と面倒だろ?」
「へぇ……随分と理解のある病院なんですね。また社長オススメの病院……とかいうんでしょ?」
「いや、多額の寄付という名で買収した御用達病院だが?」
「この富裕層めーーっ!」
俺がツッコミを入れている後ろから、近藤さんが明るく声を掛けてきた。
「オーナー! こちらの方々も気を失っているだけなので、ストレッチャーは使わずに病院まで運びます」
「あぁ、頼んだ。終わり次第、連絡をくれ。俺も後で向かう。いつも通り、氏名、生年月日、健康状態の確認。入院の必要がなければ、本日の宿泊先はこちらで手配する」
「「承知致しました!」」
ヒョイヒョイ! ヒョイヒョイ!
行方不明だった三人と酔っ払い同級生くんの計四人は、近藤さん&遠藤さんの肩に担がれたり、小脇に抱えられたりして部屋から出ていった。
バタン……
………………
ふらぁっ……どさっ!
「おい、ハル。そんなところで寝るな」
「少しくらい休ませて下さいよぉーーっ! もう、身体も頭もへとへとなんですから〜〜!」
なんだか気が抜けたのか、さっきまで皆が横たわっていた居間にゴロンと寝転がり、俺はようやく泣き言を漏らした。
異世界訪問中ずぅーーっと気を張っていたのが、不覚にも社長のふてぶてしい顔とツッコミどころ満載な状況に安心するなんて……俺もいよいよどうかしてるぜ。
ゴロゴロしながら社長を見上げ……ふと気になったことを質問する。
「そういや俺、どのくらいの時間あっちに行ってたんですか?」
「あぁ……一時間経たないくらいか?」
「⁉︎」
社長が手首を捻り、ギラつく高級腕時計の文字盤を見ながら答える。
予想外な時間の短さに正直、驚いたが……それ以上に……社長が下を向いた瞬間、彼の首後ろにちらりと見えたモノに俺の視線が固定する。
………………
ち……小さな……手⁉︎
「しゃ、しゃ、しゃ……社長⁉︎ あの……そういえば……隣の101号室の件って……」
「ん? あぁ、こっちの契約はとっくに完了してるぞ?」
言いながら、首の後ろに引っかかっていた美少女フィギュアを無造作に掴む社長。
「……契約」
ちらりと社長の手に乗る魔法少女みたいな人形に目を遣る。
あれ? たしかセバメさんの身体は等身大スケールのフィギュアだったはず……そして、社長は……地縛霊がいるという部屋に向かったんじゃなかったっけ?
………………
この人形の中にも『誰か』が入っている……なんて、考えすぎ?
キョロ!
「⁉︎」
い、今……人形の目が……動いた?
………………
あ、うん。考えるのはやめよう。
俺は何も見ていない。見ていない。見ていない。見ていない。
社長とは反対向きの窓側へゴロンと身体を転がした。
「まぁ、そういうことだから、よろしくな!」
「……」
どういうことだかよくわかりませんが、よろしくしたくないでーーす‼︎
またしても俺は心の中で絶叫したのだった。




