檻
腰を落とし、重心を下げた姿勢を取りながら、前方にスッと武器を構える。
ははっ……ビビんなよ、俺。
見透かされたら一瞬で魂ごと喰われるぞ。
あんなのは首の一個多い小熊みたいなもんだ……いやいや熊は超危険生物だな、もう少し良い例えはないもんか?
冷や汗の伝う俺の喉元を、今すぐ噛みちぎりたそうに鋭利な殺意を向けてくるオルトロス。
瞬きは許されない……視線をけして敵から外すことなく対峙する。
この武器の長い柄で、ヤツの鼻先から俺の身体までの距離を少しでも稼ぎたい。
死にたくなければ、飛び掛かれる隙を絶対に与えるな。
………………
「行くぞぉぉぉぉぉぉーーーーっ‼︎」
腹の底からこれでもかと言わんばかりに声を張り上げ……俺はくるりと方向転換。
ダダダダダダダダダダダダーーッ‼︎
………………
「「グァァーーッ⁇⁇」」
オルトロスの疑問符まみれな咆哮が上がるよりも先に、俺は奴に背を向けて一気に竹林の中へと猛ダッシュ!
「ちょ、ちょっと坊や! そんなとこに逃げ込んだら駄目ーー!」
ガサガサガサガサッ!
乱立する竹を避けつつモノクロな笹の舞う中を走る俺の耳に、焦る白虎さんの叫びが届く。
それでも俺は足を止めない!
「「グァァァァァッ‼︎」」
バッ‼︎
俺を捕らえようと、地面を蹴った獣の足音が背後で上がる。
ザッ‼︎
間合いなんて最初から存在しなかったかのように、フライングした俺との距離は一瞬で詰められ、背中に獣の荒い吐息がかかる!
ぞわっ!
本能で全身の肌が粟立った。
恐怖はある種の未来予知だ……最悪を予見する。
「「グァァァァァッ‼︎」」
首を捻り背後を振り返ると、墨汁の涎を撒き散らす獣の唇が俺の左肘裏寸前にまで迫っていた。
「⁉︎」
「「グァァァァァッ‼︎」」
ガバッと大きく開かれた二つの口!
俺に噛みつこうと片頭の剥き出しの牙が肩にかかる!
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
がこんっ!
「「⁉︎」」
その時……俺の肉が喰いちぎられるより先に、獣の侵攻はピタリとストップした。
猪突猛進型な黒犬の獣……何が起きたか分からず、身を捩りながら激しく暴れる。
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
「「ウガァァァァァァァッ!」」
「俺のことしか目に入ってなかったんだな。何? そんなに好きなのぉ? 肉食系男子は苦手なのよ、ごめんなさいね?」
「「ガァァァァァァッ‼︎」」
ガンガンガンッ‼︎
言葉は彼に届いてないはずなんだが、俺の煽りで頭に血が昇ったかのように、さらに激しくヤツが動く……だが、その鋭い牙も爪も俺にはあと数cm届かない。
あえて狭いこの竹林の中に誘い込んだのは、この獣のスピードを殺す為だ。
天然の檻のように、空へと伸びた竹が格子の代わりとなって、獣の大きな体躯と俺との間に確かな距離を作ったのだ。
頭が一つなら器用に竹の間をすり抜けられたかもしれないが、双頭となり横幅が広がった状態では難しい。
獲物に焦点を合わせすぎて、周囲に目がいかなかったのだろう。
まんまと罠にかかった獲物は……お前の方だ。
「攻守交代、今度は俺の番だ……よっ!」
「「ウガァァァァァァァ‼︎」」
言いながら、俺は手に持っていた武器で素早く突きを繰り出す!
狭い場所での攻撃に優れるのは『突き』だと、日本史の授業中、歴史オタクな先生が雑談で語っていたのをふと思い出し、この武器を創造しておいた。
激しく暴れたせいで頭と頭の間に入り込んだ竹に阻まれ、獣は上手く後退りも出来ずに俺の攻撃をモロに食らった! 自業自得だよ。
ドンッ、ビチャッ! ドンッ、ビチャッ! ドンッ、ビチャッ!
一発一発を当てる度に、武器の先端が黒墨のエネルギーをヤツの身体から奪い取る。
確実に当て続け、黒ゴンを吸収し肥大した獣の身体は徐々に縮み始めた。
「「グァァァァァーーッ‼︎」」
己の身体の異変に気づき、焦り、また暴れ始めるオルトロス。
だが、先程よりも小柄になったせいか、竹からようやく抜け出せそうな余白が出来始めた……が、それを見逃すわけにはいかない。
後から生えた獣頭の口に、俺は思いっきり喉元まで深く武器を突き刺した!
ズボッ‼︎ バチュンッ‼︎
水風船の破裂するような音を上げ、片頭が弾け飛んだ。
「⁉︎」
「逃すか……よっ!」
ガコンッ! バサバサバサバサッ!
俺は渾身の力を込めて、竹を一本蹴り飛ばす!
竹はその衝撃で大きく揺すられると、上部の笹の葉が振り乱れ、周辺を巻き込み、そこに仕掛けていたモノが一気に大地へと降り注いだ。
ボトボトボトボトーーッ‼︎
「グァァァァァッ⁉︎」
「これねぇ……さっき竹から降りる直前に仕掛けておいた、もう一種類の『武器』……って、俺の説明はきっと聞こえてないだろうな」
シュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ……
見る見る間に、黒犬の獣は最初のダルメシアンくんのサイズ……いやそれ以下の小型犬、チワワサイズにまで縮まった。
最初と違うのはサイズだけじゃないか、身体の柄が黒地に白の斑ら模様……逆ダルメシアン柄だな。
「グルグルグルゥゥゥゥッ!」
「おいおい、まだ怒ったまんまか……正気には……戻ってねぇな、これ」
数枚の『武器』に覆われていた彼の首根っこを掴まえ、外へと引き摺り出す。
ぐいっ!
「よっ! あ! こら、暴れんな!」
子犬と化したダルメシアンくんに噛みつかれないよう抱っこしていると、後ろから声を掛けられた。
「坊や!」
「白虎さん!」
「よ、良かった……無事なの? 怪我はしてない?」
「はい、おかげさまで。で、どうにか……こうなりました」
「グルグルゥゥッ!」
唸る子犬をひょいっと掴み、彼女へと向ける。
ぷらーーんと吊るされた小っちゃな彼を見て、白虎さんの目がキラキラと輝いた。
「や、やだーーっ! 可愛いっ‼︎‼︎」
「ウゥゥゥゥッ‼︎」
「そうですか? まだ我を忘れて威嚇してくるから、俺としてはあんま可愛くないですけどね」
ジタバタと俺から逃れようと手の中で踠くミニダルメシアンくんを眺めながら、ふうっと溜息を吐き出した。
「んもう、君も危なっかしいんだから……そうそうパンダくん達は気を失ってるけど、大丈夫そうよ。……にしても……だいたい『武器』って……普通さぁ、それ選ぶ?」
「え? 俺としては最適解かと思ったんですけど?」
シマエナガさんと同じ反応だな。
彼女の呆れ声を受け、俺は片手に持った武器にちらりと目を遣る。
俺が武器として創造した物は……『モップ』と『雑巾』。
シンプル・イズ・ザ・ベストの原点回帰。
墨汁吸い込みの効果が抜群な代物って何か考えた結果のコレだ。
で、俺の予想通り、真っ白の素地がぐんぐんと黒滴を取り込み、ヤツのエネルギーを見事に吸い取ったのだ。
ガラガラガラーーッ!
「⁉︎」
そう遠くない距離でまたこの異世界の崩落音が響いてきた。
……あんまし、悠長にはしてられないな。
「さてと……彼に正気に戻ってもらう為に……では、よろしくお願いしますね、元カノさん」
小さくそう呟きながら、モップを離し空いた右手を首の後ろに回し、フードの中を弄り、俺は彼女をそっと掴んだ。




