侵蝕
「……いれば……いらない……」
「えっ?」
ダルメシアン君の喉奥から絞り出された低音ボイスが、俺の脳味噌チャンネルを回想モードから現実モードにカチリと切り替えた。
「な、何? え? ……いれば……入れ歯? いらない⁇」
頭上に疑問符を浮かべながら、俺は俯く彼の口元を見遣る。
そしてパチクリ瞬きをしてから、今度は手元の数珠に視線を落とした。
手の中で行儀良く並んだ透明な石達がキラリと妖しく光るので、俺は無意識にそれをそっと右腕に嵌めた。
じゃらん……
灰色の空に腕を掲げて見上げる。
この透明な石は……まぁ一般常識だと水晶……かな? 安物のガラス玉では無さそうだ。
社長曰く、ノキさんのオリジナルグッズらしいが……おいおい、そんなもん作っている資金はどこから出てるの? 手作りだとしても材料費かかるでしょ?
せっせと夜なべしてテグスで数珠ブレスレットを組み上げる銀髪お兄さんを想像すると……少しだけなんだかほっこりした。
クリアな水晶越しに再度、ダルメシアン君を覗き見る。
唇を伝い、ポタポタと地面に滴る墨が彼の前足を染めているが……ノキさんのよくわからん数珠で砕けたガタガタの歯、大丈夫かね?
……ってか、犬用の入れ歯なんてあるのか?
俺は見たことないぞ?
あれ? でも、いらないんだっけ?
このご時世じゃ、おイヌ様界隈の商品ってのも巷には色々出てそうだから、ニッチな品もあり得るな。
犬用を想像しているつもりだったが、俺の頭の中はご老人が愛用するピンクな歯茎の人用入れ歯が思い浮かぶ。
それは呆れる程、愉快にカタカタと上下の歯を噛み合わせて脳内で軽い音を鳴らした。
ゆらり……
突如……水晶の中の彼が……歪んだ?
「エナが……エナがいれば他はいらないっ‼︎ 皆いらないっ‼︎ 全部、全部、全部、全部いらないっ‼︎‼︎」
斑らな躯体をぐいっと反らし、腹の底から出した叫びを空へと解き放つ!
空気がビリビリと振動し、次の瞬間……
ずしんっ‼︎
「うおっ⁉︎」
「や、やだやだ! 地震⁉︎」
「な、なんだ⁉︎」
「お、おい! ちょっと、お前何を……⁇」
感じたことのない重力に一瞬戸惑いながら、白虎さん達が上げた三者三様の声で、思わずそちらに視線を向ける……が、シマウマ君の言葉で慌てて前を向き直る。
ガブッ! ブチブチブチッ……
「うおえっ⁉︎」
俺の目に飛び込んできたのは……トラウマ級の衝撃映像……ダルメシアン君が黒ゴンの首を噛み……千切り……え? ……く、喰った⁉︎
一瞬……頭が真っ白になった。
ガブッ……ガブッ……ガブッ……
スポイトから半身でビチビチしていた黒ゴンをガツガツと喰い漁る……まるで……ハイエナだ。
「シ、シュウジ……?」
白い可愛らしいお顔をさらに蒼白にしたシマエナガさんがまたも彼の生前の名を呟く……が、その声はダルメシアン君の耳にはまるで届いていないだろう。
「ちょっと、ちょっと! 一体、どうなってんのよ⁉︎」
白虎さんが悲鳴に近い声を上げた。




