契約という名の……
「あのぅ……ご連絡頂いた『ワープルーム』の方ですか?」
「⁉︎」
背後からの声に驚き、ばっと振り返る!
おっとっと、危ない!
もう少しでタブレット落とすとこだった‼︎
アスファルトに落とそうもんなら、地面に当たった瞬間、画面にピシピシッとヒビが入っちまう。
もう弁償沙汰は御免被る!
「えぇ、改めまして、樋田様。私、先日お電話にてご連絡させて頂いた、通屋敷と申します」
「あ、ご丁寧にどうも……」
社長から両手で差し出された名刺を受け取り、男性もぺこりと頭を下げた。
そして彼は、名刺と社長を交互に見遣る。
……少し不躾な感じだな。
警戒している? まぁ、当然か。
こんな若いのに社長だもんな、怪しさ最上級!
年は40代くらい?
この人が……この物件の所有者?
痩せ型でやや猫背の男性……あぁ、胸の前でカバンを抱えこんでいるから、背中が丸いんだな。
その中に何か重要な物でも入ってるのか?
ぱちっ!
俺の視線に気付いた彼と視線が重なる。
怪訝そうにこちらを伺うような……随分と血色の悪い顔だな。
その瞳には怯えが混じる。
「災難でしたね。酷い業者に当たったもんだ……」
「……いえ、こちらも甘かったんです。藁にも縋る思いで掴んだら、その藁をぱっと切られたようなもんで……」
そう言ってさらに顔が曇った……もう血の気が引きすぎて顔が灰色だよ。
あぁ、グレーなんちゃらハウジングに夜逃げされちまったんだっけか。
そりゃ俺らのこと警戒するわ。
「ほ、本当に……この幽霊アパート買い取って頂けるんですか?」
ん?
………………
『幽霊』って言っちゃってるよぉぉぉぉぉ⁉︎
しかも、やっぱり『アパート』じゃん!
………………
ふっ……。
俺は諦めの表情で天を仰いだ。
9割空室の集合住宅なんていわくつき……いや、いやくしか存在しないんじゃない?
超、怖えぇぇぇぇーーっ‼︎
「えぇ、お約束します。金額もこの通り…… 建物部分の価値はほぼ無いと考えても、相場の土地代はこれくらいで……いかがかと……」
タタタタタッ、タンッ!
また背中から取り出した電卓を手早く叩き、数字画面を樋田さんに向ける。
「あ、売却にかかる税金関係はそちらで対処お願いしますね」
「は、はい! 書類はここに全てご用意してありますが……ほ、本当によろしいのでしょうか?」
そう言って彼はカバンから少し厚みのある大判の封筒を取り出した。
不動産あるある、契約関係書類がやたらと多いし、役所で取ってこなきゃいけなくて面倒くさいし、名称もよくわからなすぎて本当わけわからん!
「あぁ、地縛霊に脅されている点につきましては、こちらに一筆頂けると助かります」
「っ‼︎」
うぉぉぉぉぉぉぉい⁉︎
なんか聞こえちゃいけないもんがどぷんと耳に飛び込み営業してきたんすけどーーっ⁉︎
いやぁぁぁぁ! もう帰りたいーーっ‼︎
さらりと不穏なことを言いながら、社長はA4サイズのクリップボードを彼に差し出した。
挟まっている用紙は二枚。
「内容を一読して頂き、ご納得頂けましたら、こことここにご記入を……それをもう一枚。で、こちらは控えとしてお持ち下さい」
「は、はい!」
流れるような小慣れた説明を受け、樋田さんは署名を終えた。
そして控えの一枚を受け取った瞬間、ぼろぼろと大粒の涙と鼻水を流し、彼は感謝の言葉を口にした。
「あ、あ、あ、ありがとう……ご、ございます! あ、貴方様は……ぐすっ、か、神様です!」
え? ……神様? 誰が?
何の? え? ドSをつかさどる神?
思わず社長を振り返る。
そんな俺の顔を見て、社長がニヤリと笑う。
「ハル……お前、俺を何だと思ってんだ?」
「……『何様』かで答えるなら、『俺様』かと……」
「ははっ! 違ぇねぇな!」
俺の嫌味を軽く鼻で笑い飛ばした。
「契約書ってのは『縛り』だ。今、樋田様のご署名によって、今この時点から、この物件の所有者は当社。会社運営における基本方針にそぐわない場合、地縛霊に対して強制退去を執行する権限がある」
「……」
つっこみ所がてんこ盛り過ぎて、俺の頭の理解が追いつかない。
少し間をあけて、俺は口を開いた。
「俺……今回、来た意味あります?」
社長が万事解決して下されば済むお話では?
「俺は不法占拠で棲みつく元凶と別件の契約締結をしないといけない。で、お前はその隣の部屋で同級生を連れ帰りつつ、洗面台の契約を交わす仕事だ。……あぁ、そういえばこれがハルとの初めての共同作業か」
「……そんなウェディングケーキ入刀みたいな言い方されましても……」
俺は深々と溜息を吐き出し、幽霊アパートに視線を向けた。
はぁ、気が重いぜ。




