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第53話 〇ラゴン〇ール


 巨門星(こもんせい)のマリクは、トリスターの裕福な商家に生まれた。

 だが十五歳の頃、両親は飛空船事故で命を落とし、マリクだけが残される。

 幸い――と言ってはなんだが、両親が遺した莫大な財産のおかげで生活に困ることはなく、趣味である芸術の創作に没頭できた。


 しかし、そうして造られた作品は人に見せられるものではなかった。

 マリクは、この世界の“闇”に潜む者たちに心を惹かれていたからだ。

 恐るべき魔物、呪わしき悪霊、邪悪なデーモン……。

 そうした、人々が忌み嫌う闇の存在にマリクは“美”を見出し、作品の題材に選んでいた。

 これがもし地球の日本ならば、少々奇抜な芸術として受け入れられていただろう。だが、『カンヴァス』では事情が異なる。

 この世界において闇の怪物たちは、空想の産物ではなく人類に仇なす絶対的な悪として実在するのだ。

 だというのに、その“悪”を好き好んで作成している芸術家を、一般大衆はどう思うだろうか?

 最悪、人類の敵を賛美し崇拝している“邪教徒”だと見なされかねない。


 もちろんマリクにはそんな意図はなく、誤解を避けるため、作品を公表せずにいた。

 しかし、自分の作品を誰かに見せたいという衝動は、どうしても消せなかった。

 皆の評価を聞きたい 賛辞なり批判なり引き出して、皆で議論したい。


 そこでマリクは、信頼出来る友人たちだけに公開することにした。

 彼らなら異端審問官に密告するようなことはあるまい。



 ――数日後、マリクの屋敷に異端審問官が雪崩れ込み 火を放った。



 それから更に数日後。


 マリクはフードを目深に被り、トリスターから遠く離れた夜の街道を歩いていた。


 迂闊だった。友人だと思っていた奴らは、マリクの財産が目当てなだけだった。

 密告することでマリクからの借金を踏み倒し、更に捕り物のドサクサに紛れて財産を掻っ攫っていったのだ。


 家も、財産も、社会的地位も失った。

 だが自分自身は五体満足で脱出できた。

 燃えてしまった作品も、頭の中に残っている。

 生きていれば、またやり直せる。

 別の街で、また一から創作を――



「無理だよ」


 耳元で、不意に声がした。


 振り返ると、そこに“闇の塊”のようなものが立っていた。

 マリクは反射的に逃げ出したが、影のように離れない。どこまでもついてくる。


「君の居場所など、もうどこにも無い」


 闇は語りながら、ゆっくりと人型を成していく。目にあたる部位に赤い光が灯る。

 マリクの直感が告げた。これは只の魔物ではない、もっと恐ろしい存在だと。


「おお……かわいそうに……。君にとって命より大切な“芸術”を否定されて……。君には、もう何も無くなってしまった」

「!? ふざけるな!!!」


 恐怖で震える声を無理やり張り上げ、怒鳴り返す。


「私はまだ終わってなどいない! 絵も彫刻もいくらでも作れる!!」


 叫ぶ声とは裏腹に、胸の奥では不安が揺れていた。

 闇の影は、その弱さを見透かしたように口元を歪める。


「そんなの意味がない。いくら描いても君の作品は全て燃やされてしまう。愚かな大衆に君の芸術は理解されない」


 マリクは言葉を失った。

 胸の奥に押し込めていた恐れを、正確に言い当てられたからだ。


「隠れて創作を続けても、いつかは見つかる。仮に死ぬまで隠し通せたとしても、遺された作品は見つかり次第処分される」


 闇の輪郭がさらに明確になり、マリクより頭一つ分小柄な“少年”の姿となる。

 その赤い双眸が、真っ直ぐにこちらを射抜く。


「それとも君は、周囲の目に怯え、自分の芸術を放棄し、描きたくもない絵を描いて生きるのか? それは死んでいるのと何が違う?」

「偉そうに見透かしたような事を!! では、どうすれば良いと言うのだ!?」


 震えながら怒声を上げるマリクに対し、闇は静かに囁いた。


「壊せ」


 その言葉は、闇夜よりも冷たく重かった。


「君を否定する今の世界を壊してしまえ。君が君でいられる理想の世界を、君自身の手で創り出すんだ」


 その提案は、ひどく甘美だった。

 全てを奪われ、ただ逃げ回ることしかできない自分の、壊れかけた自尊心に深く突き刺さる。


「その為の力を君に授けよう。私だけが君の味方だ」



 こうしてマリクは闇――『邪神ゾド』と契約し、《巨門星》を授かった。


 邪神が善意で力をくれたわけではないと分かっている。

 散々利用された挙句に捨てられ、破滅する未来さえ想像できた。

 だが、それでも、他に道がなかった。

 邪神が言うとおり今の世界では、自分と、自分の芸術の居場所が無いのだから。



 ……そう、思っていた。




「確かに俺もこの絵は好きじゃない! だからと言って勝手に燃やすのはイカン! 『表現の自由』は守られるべきだ!!」



 星野裕真のたった一言が、マリクの脳を激しく揺さぶった。

 その揺れは、長く押しつぶされていた何かを、かすかに解き放っていった。



 ◇ ◇ ◇



 【 夢の世界 マリクの屋敷 】



[日本国憲法 第二十一条]


一、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


二、検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。



 裕真は、以上の条文をホワイトボードに書き込んだ。

 このボードとペンはこの世界(カンヴァス)には存在しない道具だが、ここは『夢の世界』なため、自分のイメージを実体化できる。便利だ。


「と、このように俺がいた国では『憲法』で表現の自由が保障されている。だからどんだけ不気味な絵を描いたとしても、それを理由に取り締まられることはないってわけ」


 さらさらと文字を足しながら説明すると、モモが勢いよく手を挙げた。


「はいっ! ケンポーってなんですか?」

「国の基幹に関わる重要な法律だ。総理……国で一番偉い人でも勝手に変えちゃいけない。もし変えたいなら国民全体で投票する必要がある」


 そう口にしながらも、裕真の視線が少し泳ぐ。

 学校で習った程度の知識なので、細部が曖昧で自信がない。


「そのような重要な法律で、『表現の自由』を保証しているというのか!? 普通、権力者は自由な言論を嫌うはずだ! そんな国があるなんて信じられん!!」


 マリクが興奮気味に身を乗り出す。


「……まぁ、信じられんのも当然だ。俺の故郷はこことは違う世界……いわゆる異世界にあるから」


 本来は秘密にするべき話だが、もう自分が普通のカンヴァス人じゃないことはバレているだろうし、地球について触れても問題ないと判断した。

 それにその方が説明がしやすいし。


 ところが返ってきた反応は予想外のものだった。


「異世界……!? そうか! 貴様が『地球』から戻ったという『魔法皇帝』か!! その魔力、どおりで!!」


 裕真はぽかんと口を開けた。


(お? 邪神側も魔法皇帝を知ってるのか? つーか、地球のことまで……?)


 驚きで思考が空回りしているところに、モモの声が割り込んだ。


「あの~……表現の自由って、ホントに何をやっても許されるんですか?」


 真っ直ぐな問いに、裕真は思わず「いい質問だ」と心の中で頷いた。


「あ~、うん。そこは“社会的法益”が優先されるから、完全に自由ってわけじゃない」

「社会的……ほうえき?」


 裕真はキュキュッとペンを走らせ、“社会的法益”とボードに書き加える。


「要は人様に迷惑かけるような表現はダメってこと。実在する特定の個人、団体を誹謗中傷したり、個人情報を暴露したり――」

「私、あの絵を見たぜいで気分悪くなって迷惑なんですけど、それは社会的ホーエキに反しないのですか?」

「う~ん……」


 確かに鋭い指摘だ。

 どう説明するか考えていると、ふと視線がモモの胸元へ流れた。

 丈の短いビスチェの上から、豊かなバストが今にもこぼれ落ちそうだ。


「例えばモモちゃんの服、露出が多くて刺激的だけど、そんなワイセツな服着るなっ! 目の毒だ!! って言われたらどうする?」

「はい!? ワイセツ!? そんなこと言われたら温厚な私でもブチギレですよ!!」


 頬を赤くし、ふくれっ面になるモモ。怒る仕草もどこか可愛い。


「これは一族に代々伝わる伝統的な衣装なんですから!!」

「そう! そういうこと!!」


 我が意を得たりと言わんばかりに、モモをビシッと指差した。


「人によってはワイセツ物でも、モモちゃんにとっては大切な服だ! こいつの絵も――」

「マリクだ」


 裕真、ここでようやくこの男の名を知った。


裕真「マリクの絵も同じこと!! 人によって価値観は異なる! だからこそお互い理解し合い、譲り合う必要があるんだ!!」


 熱のこもった言葉に、モモは「うーん」と難しい顔をし、やがて正直に言った。


モモ「でも私、この絵はどうしても好きになれそうにないです」

「好き嫌いがあるのはしょーがない。ただ、“そういう趣味もある”と許容しくれれば良いんだ」


 と言いながら、ボードに「許容」と書き加える。


「ダメなのは嫌いだからって排除しようとすることだ! そんなこと続けていたら、いつか自分にも返ってくる。さっきの話で言えば、マリクの絵が不快だなんて理由で排除したら、モモちゃんの服だって“不快だから禁止!”……なんて言われるかもしれない」

「はー……。なるほどー」


 モモはぽんと手を打ち、ようやく腑に落ちた表情を見せた。

 一方で、マリクは完全に圧倒されていた。


(なんだそれは……。まるで賢者か聖人の教えでは無いか! そんなのが一般大衆レベルにまで広まっている世界があるのか!?)


 そう思うと、マリクの好奇心がむくむくと湧いてきた。

 目を輝かせて裕真に問う。


「見たい! “表現の自由”が許されているお前の世界では、どのような芸術があるのだ!? どうか見せてくれ!!」

「……え? 俺の世界の?」


 困惑する裕真の前へ、モモが勢いよく割って入る。


「ちょっとぉ! あなた、そんなお願いできる立場なのですか!?」


 ぷんすか怒るモモの言い分はもっともだった。

 あれほどの大惨事を引き起こした張本人の頼みなど、本来なら聞く筋合いはない。

 だがマリクはひるまず、静かに言った。


「タダでとは言わん。ダンジョン内で死亡した者、『ガーディアン』にした者たち全てを元の姿に戻してやる」


 思わぬ申し出に、裕真たちは目を丸くする。


「そんなことできるのか!?」

「できる。人体なんぞミスリルゴーレムよりも簡単だ」


 それはミスリルゴーレムが凄いのか、それとも人体が思ったより単純なのか。

 いずれにせよ、彼の発言は衝撃的だった。


「お前たちの手で、全住人を修復するのは相当な手間だと思うが、どうだ?」


 手間どころではない。そもそも成功する見通しすら立っていなかった。

 裕真にとって、もはや渡りに船の提案だった。


「分かった。その条件で手を打とう」



 裕真はホワイトボートと同じ要領で、地球の芸術作品を出そうとしたが……


 何を見せるかで盛大に悩んだ。


 正直、芸術にはまったく明るくない。ダヴィンチのモナ・リザやゴッホのひまわりといった超有名作品くらいしか知らない。

 それに加えて、マリクが求めているのは“表現の自由が許された世界の自由な芸術”である。

 裕真の頭の中にある作品で、彼を満足させることができるだろうか?


 しかし熟考の末、裕真の頭にひとつの閃きが走った。


 “あの作品”なら、こいつを満足させられるかもしれない。

 地球最強の芸術といっても過言じゃない、“あの作品”なら!


 裕真の手の上に、数十冊の本が次々と現れた。その中の一冊を取り出し、マリクへ差し出す。


 受け取ったマリクは、怪訝そうに眉を寄せた。

 その本は手の平に収まるサイズで、マリクが知らない未知の材質でできていた。

 表紙にはヤシの葉のような髪型をした少年が、東洋風の細長いドラゴンに跨っている姿が描かれている。 


「なんだこれは……絵本か?」

「俺が知る至高のアート、“漫画”だ! その中でも最高傑作と呼ばれる作品、〇ラゴン〇ールだ!!」


 〇ラゴン〇ール。


 全四十二巻、累計発行部数約二億六千万。

 世界八十カ国以上で読まれ、連載終了から三十年以上経った今でも多くの人から愛され続けている歴史的大傑作。


 得意げに語る裕真へ、マリクは激昂する。


「ふざけるな! こんな児童が読むような本――」

「 い い か ら 読 め !!」


 裕真の迫力に、マリクは思わず鼻白んだ。なんか目が危ない。


「文句はその後で受け付ける。それともお前は、見てもいない作品をエアプで評価するクソ評論家なのか!?」

「むむ……」


 マリクの脳裏に、自分の作品を焼いた審問官たちの姿が浮かぶ。

 自分もそいつらと同じかと言われれば、読まざるを得ない。


「ええいっ! 仕方ないな! つまらなかったら約束は無しだぞ!!」


 こうして、読書が始まった。

 裕真はマリクだけでなく、モモと自分の分も作り、それぞれページを開いた。


[※なお、この漫画は裕真の記憶から作られているので、カンヴァスの言語に自動翻訳されています]



 ◇ ◇ ◇



 一巻の半ばまで読み進めたところで、マリクが興奮気味に立ち上がった。


「絵と文字、線と記号を融合させることによって、画面に流れるような躍動感を作り出している!!」


 カンヴァスにも長い歴史があるが、現代日本式の“漫画”文化は存在しなかった。

 生まれて初めて読む漫画に、マリクの脳は激しく揺さぶられる。


「登場人物が本当に生きているかのようだ! このような表現技法があったなんて!!」


 マリクの喜びように、裕真もにんまりする。

 そのまま敵味方の立場を忘れ、三人は夢中で全四十二巻を読み切った。


 最後の一冊を読み終え、マリクは満足げに息を吐く。


「自由な世界の自由な芸術……しかと目に焼き付けたぞ。ああ……私でも思いつけなかった、素晴らしい『芸術』だった……」

「そうだな! 〇ラゴン〇ールは最高だよな!!」


 裕真がこの作品を知ったのは、劇場版の配信を観たのがきっかけだった。

 それから貯金を崩し、通販で全巻を揃え、貪るように読みふけった。

 しかし歴史的大傑作と言っても、三十年以上前の作品である。

 同年代の間では〇ン〇ースや鬼〇の刃といった新しい作品の方が人気で、語り合える相手がいなかった。

 だから今日、思い切り語れたことが嬉しくて仕方がない。



 そのとき、マリクの身体が霞のように淡く揺れ始めた。


「マリク!? 身体が消えている!?」

「当然だ。本来なら私はもう死んでいるのだから……」


 身体だけでなく、声も弱々しく薄れていた。

 それなのに、マリクの表情はどこか晴れやかだった。


「怒りと憎しみで意識を保っていたが……。ふふっ、〇ラゴン〇ールを読んだらどうでもよくなった」


 裕真の目の前に一冊の本がすうっと現れる。


「その本には私が知る限りの邪神と邪教集団の情報を記しておいた。そこの夢魔なら現実に持ち帰れるだろう」

「え……確かに出来ますが……」


 突然の贈り物に、裕真とモモは言葉を失う。夢魔呼ばわりへのツッコミすら忘れていた。


「邪神を裏切るのか? どうしてそこまでしてくれるんだ?」

「邪神ゾドの目的は、この世界に住む『全生命の抹殺』だ。自分にとって都合の良い世界を創る為にな……」

「えっ!」


 裕真は目を剥いた。

 邪神が危険な存在だとは聞いていたが、具体的な目的までは知らなかった。

 そこまで危険なことを企んでいたことに戦慄する。


「〇ラゴン〇ールを読む前は、こんな世界どうなっても良いと思っていた……」


 マリクはふっと目を伏せ、穏やかな笑みを浮かべる。


「だがこの先、このカンヴァスでも〇ラゴン〇ールのような傑作を生み出す者が出るかもしれない……。そう考えた時、ようやく自分の罪深さに気付いた。はは……愚かな話だ……」


 マリクの姿が砂のように崩れ始めた。終わりが近いようだ。


「私は、私の作品を焼き払った連中と同じことを……新たな芸術の芽を摘もうとしていたのだ……。本当に……愚かだった……」


 もはや人の形を保てず、靄のようになりながら、声だけを響かせる。


「最後にひとつ……私が言えた義理では無いのだが……この世界を……『カンヴァス』を護ってくれ……」



 その言葉を最後に、マリクは完全に消滅した。



 裕真は涙した。

 彼のしてきたことは到底許されるものではない。

 だがそれでも、今この時だけ、裕真はマリクのために泣いた。


 彼に散々命を狙われたモモも、それを咎めなかった。

 なぜなら、彼女も同様に涙を流しているからだ。



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