第37話 ワーストセブン
世界のどこかに、世界から忘れられた古城がある。
そこはかつて、地上侵攻を目論んだ魔界の王が築いた拠点だった。
その魔王はすでに討たれ、城は長らく無人のまま打ち捨てられていたのだが、今その地には、かの魔王をも凌ぐ邪悪たちが集っていた。
薄暗い大広間。中央には巨大な円卓が据えられ、まわりには七つの席が用意されていた。
しかし今、そのうち六つしか埋まっていない。
席についた者たちは、いずれも只者ではない気配をまとい、空気には重苦しい沈黙が漂っていた。
そこへ、一人の少女がゆっくりと歩み寄ってくる。
彼女の装いは、この世界の基準からすれば奇異なものだった。
紺の上着に、同じく紺のスカート。胸元には鮮やかな赤いタイ。
それは日本で「セーラー服」と呼ばれる服装だった。
だがその意味を知る者は、この場には二人しかいない。
少女――『水野愛華』は、腰まで届く艶やかな黒髪を揺らし、深々と一礼した。
「皆様、お忙しい中お集まりいただき、誠にありがとうございます」
その声音は落ち着いており、礼節をわきまえてはいたが、どこか冷めた響きがあった。
愛華は席にはつかず、立ったまま言葉を続けた。
「世界の破壊者、秩序への反逆者、そして大神ゾドの忠実なる使徒……『最悪の七人』の皆様。これより、緊急会議を開会いたします」
最悪の七人
それは邪神ゾドを信奉する邪教団における、最高幹部たちの呼称。
彼らはゾドより『守護七星』の力を授かり、世界が滅ぶと知りながらも己の欲望のために邪神に仕える、最低最悪の外道たちである。
円卓に座る一人の男が、冷ややかな笑みを浮かべた。
「ふむ……緊急、ね。さしずめこの場にいない《貪狼星》についての報告かな?」
最初に口を開いたのは、《廉貞星》を授かりし男、アルフォート。
黝い髪に切れ長の目に細い顎を備えた、まるで彫刻のように整った美青年。
身にまとうのは、紺地に金糸の刺繍を施したフロックコート。その下にはフリル付きのシルクシャツ。
この禍々しい古城には似つかわしくない、まるで貴公子のような出で立ちだった。
「はい。彼は、何者かによって討たれました」
愛華の言葉は簡潔だった。
しかし、それは円卓を揺るがす重大事件である。
「ふ……情けない奴だ。神に選ばれ、人を超える力を与えられたというのに」
アルフォートは、仲間の死に眉一つ動かさず、口元に嘲笑を浮かべる。
そして、それを咎める者も、悼む者も、誰一人としていない。
「ふふ、こう言ってはなんですけど、最初に脱落するのはあいつだと思ってましたわ」
柔らかな笑声を漏らしたのは、緋色の髪をなびかせた少女、《文曲星》の『メグリ』。
片目は髪と同じ緋色、もう片方は沼のように淀んだ緑のオッドアイである。
頭にはヘッドドレスを乗せ、黒地に赤いレースをあしらったゴシックドレスを身に纏っている。肩と胸元は大胆に露出してるのに対し、スカートは幾重にも重ねられ、重厚な存在感を放っていた。
そして、そのドレスには貴金属や宝石の装飾品が無数に縫い留められている。それは彼女曰く単なる御洒落ではなく、軍人の勲章のように己が力を誇示するためのものだった。
「所詮、あいつはゾド様への忠誠心だけで選ばれた凡人……。『最悪の七人』の面汚しですわ」
一見すれば、大きな瞳が印象的な可憐な少女。だがその笑みは、どこか爬虫類じみた歪みがあり、見る者に本能的な警戒を抱かせる。
「そうですねぇ……。教団の大半は、ゾド様の御力目当てで集まった連中ですから、一人ぐらい忠義者を置きたくなるでしょう」
くぐもった声でそう語ったのは、《禄存星》の『サー・フェルダン』。
彼は漆黒の甲冑に全身を包み、さらに同色のサーコートを羽織っていた。
顔は細い十字型のスリットがあるフルフェイスヘルメットで覆われており、その隙間からすら闇しか覗かず、素顔も表情も一切読み取れない。まさに闇そのものが歩いているような異様な存在だった。
「……急に何のお話? まさか、私たちに忠誠心がないとでも?」
メグリが手を広げ、首を傾げる。だが、その瞳はわずかに泳いでいた。
図星を突かれたようだ。
「それで? そんなつまらん報告をする為に、わざわざ俺を呼んだのか?」
《武曲星》の『カイヨウ』が、紅茶のカップを傾けながら不機嫌そうに言い放った。
逆立った髪は獅子の鬣のように荒々しく、身の丈は二メートルをゆうに超えている。
その鍛え抜かれた肉体は筋骨隆々だが、オーガやギガースのような異形ではなく、むしろこれこそが人体の理想的だと思わせる均整の取れた肢体だった。
着ているのは武闘家や修験者を思わせる道着――だが、その振る舞いにそうした者たちのようなストイックさは感じられず、余裕と傲慢さを滲ませている。
「そんなの“替わり”を用意すればよいだけの話だろう。あの程度の男の替えなど、いくらでも――」
「それはできません」
愛華がすかさず口を挟む。その表情はいつになく険しかった。
「……なぜなら、《貪狼星》は今、ゾド様の手元にありません。奪われてしまったのです」
場にいた者たちの表情が一斉に変わった。
空気が凍りついたかのような緊張感の中、一人の青年が立ち上がる。 愛華によく似た顔立ちのその青年は、落ち着いた口調で補足した。
「ゾド様が所有していた《貪狼星》を奪える者など、限られている。一つは、ゾド様をも凌駕する魔力を持つ『七柱の神々』。そしてもう一つは……『守護七星』の本来の所有者、『魔法皇帝』」
彼の名は《破軍星》の『水野戒人』。 学生服を着たその姿は、愛華と同じく若々しい。
容姿だけで言えば黒髪黒目、中肉中背という平均的な日本人なのだが、この異様な集団の中でも物怖じすることなく、むしろ王者のような風格を漂わせていた。
場にどよめきが走る。最も動揺を露わにしたのはアルフォートだった。
「……まさか!? 伝説の魔法皇帝が復活したとでも!?」
椅子を大きく軋ませて立ち上がり、声を荒げる。
だが、その反応とは対照的に、フェルダンとカイヨウは冷笑を浮かべた。
「だとしたら素晴らしいですねぇ。歴史上、最も優れた魔導の血脈……ぜひとも研究してみたいものです」
鉄兜の奥から、低く籠もった笑い声が漏れる。
カイヨウもまた、腕を組んで愉快そうに笑った。
「『風の勇者』は歯ごたえがなくて拍子抜けだったが……その皇帝とやらは、楽しませてくれるかな?」
あまりにも緊張感に欠けた態度に、アルフォートが苛立ちをあらわにする。
手の平で机を叩き、大声で叱咤した。
「何を呑気なことを言ってる!! 本当に魔法皇帝だったら、俺たちの『星』まで奪われかねないんだぞ!?」
だが二人は、鼻で笑って取り合わなかった。
代わりに、メグリが青ざめた顔で叫ぶ。
「そ、そんなの困りますわ! もう少しで私の軍団が完成するというのに!!」
ざわつきの中、愛華がすっと一歩前に出る。
「御安心ください。皇帝の力といえど、ゾド様の御加護には到底及びません。即座に『星』を奪われるようなことはないでしょう。……こちらから戦いを挑み、命ごと奪われでもしない限りは」
その言葉に、アルフォートとメグリはほっと安堵の息をついた。
「な……なるほど。直接戦わなければ良いわけか」
「ならば、いつも通り暗殺すれば良いですわね♪」
自信たっぷりに微笑むメグリ。
彼女はこれまで幾度となく、教団の敵を排除してきた。いわば暗殺のエキスパートである。
「……ところで、相手は何処の誰ですの? もう調べはついているのでしょう?」
「……不明です」
「……は?」
メグリは聞き間違いかと思い、思わず眉をひそめた。
邪教団は邪神の力で社会の暗部に深く食い込んでいる。その情報網は全世界規模だ。
そんな教団をもってしても、掴めない情報があるとは想定外だった。
「現在の魔法皇帝がどのような姿をしているのか、まったく把握できていません。デュベル様がマイラの街で消息を絶った後、調査のために教団員を三十名ほど派遣しましたが……全員、行方不明となりました。三十名、誰一人として戻ってきていないのです」
愛華が眉をしかめて報告する。
フェルダンが感心したように唸った。
「ほう……なるほど。魔法皇帝は諜報戦においても並外れた能力を有しておられるようで」
「何を呑気な!」
また同じ言葉を吐いてしまった。
興奮と焦燥で、思考も言葉も空回りしている。
「一人残らず消されたということは、奴は教団の動向を完全に把握していたということだぞ!? 我らの素性も筒抜けになっている可能性がある!」
「……迂闊に近づけば、返り討ちに遭いかねませんわね」
メグリは悔しげに爪を噛む。脳裏では、未知の強敵に対する対策がぐるぐると渦巻いていた。
張り詰めた空気の中――それまで黙していた最後の一人が、不意に口を開いた。
「くだらない。私はもう帰らせてもらう」
痩せぎすの男が、短く刈り込んだ銀髪をわしわしと掻きながら、椅子を引いた。
黒のタートルネックに麻のズボンという、簡素な服装。
異様な装束の者が揃うこの場では、かえって異質に映る。
その男の名は、《巨門星》の『マリク』。
「おい! 今は重大な話をしているんだぞ! 魔法皇帝への対策を――!」
思わず声を荒げるアルフォートに、マリクは背を向けたまま言い放つ。
「心配するな。魔法皇帝など、私の敵ではない」
静かに、しかし確信を込めた声。
「もうすぐ完成する私の“作品”で、もろとも挽き潰す」
「……“作品”?」
怪訝そうに尋ねるアルフォートに、マリクは今度こそ振り返った。
目をぎらつかせ、どこか陶酔したような声で言う。
「そうだ。もうじき完成するのだ! 我が最高傑作が!! 数多の欲
望を糧とし、至高の芸術が産声を上げる!!」
思わず、アルフォートはたじろいだ。
最もひ弱そうに見えた男が、今この場で誰よりも強烈な熱気を放っている。
その狂気すら帯びた気迫が、室内の空気を震わせた。
「魔法皇帝とやらも、愚かな民衆も、すべて飲み込んでくれよう!
我が“芸術作品”にな!!」
◇ ◇ ◇
古城の会議より、時は少し遡る。
マイラの街へと続く街道。
その道中に、無数の亡骸が転がっている。それはキャラバンに扮した邪教徒の一団だった。
今、その場に立つ者は、ただ一人。
黒髪で長身痩躯、生白い顔をした男――『時野忍』。
この惨状は、彼一人の手によるものだった。
忍のチート『百万通りの未来』は、直接戦闘向きではない。
だが、未来を読むことで敵の行動を先回りし、さらに稼いだ資金で揃えた一流の装備、そして複数の『祝福』と『精霊契約』による強化が加われば、常人相手に敗れる道理はなかった。
地面を這うようにして、まだ息のある男が呻く。
「た……たすけてくれ……教団は抜ける……もう邪神にはかかわらない……」
懇願の声だった。
だが、忍は一切のためらいもなく剣を振り下ろし、その胸を貫いた。
邪教徒は、大きく分けて二種類に分かれる。
ひとつは、邪神の邪悪さを理解しながら己の欲望のために加わる者。
もうひとつは、脅されるか騙されるかして、望まぬ形で巻き込まれる者。
今しがた絶命した男は、後者だった。
邪教団とは知らずに協力させられ、気づいたときには弱みを握られ、抜け出せなくなっていた。
家には妻も子供もいて、更生の余地は十分にあった。
それでも、忍は殺した。
魔法皇帝を――星野裕真の正体を探る者を、一人残らず排除する必要があった。
そうすることで、敵に恐怖と警戒心を植え付け、安易に近づけないようにする。
だから、殺さなければいけなかった。
「……すまない」
忍は誰にも届かぬ声で呟き、静かにその場を去った。
この世界では、大抵の傷は魔法で癒せる。
千切れた手足は再生できるし、なんなら首を落とされても、一分以内であれば繋げることもできる。
だが、心の傷は癒せない。
魔法では癒せないのだ。




