第27話 託されたもの
「驚いたな……どうしてボクが犯人だと?」
穏やかな口調でそう言ったものの、デュベルは三人娘の乱入にもまるで動じた様子を見せなかった。その異様な落ち着きに気圧されながらも、イリスは一歩前に出て告げる。
「……あ…あなたが殺したエドさんがヒントを残してくれたのよ! ダイイングメッセージってやつね!」
『カンヴァス』にも推理小説は存在する。もっとも、魔法や怪物が当たり前に実在するこの世界の常識に基づいたものなので、地球のミステリとはかなり趣が異なるが。
ちなみにイリスたちは、もし推理が間違っていてデュベルが無実だった場合、全力で土下座するつもりだった。
「へぇ〜、気付かなかったよ。そんな小説みたいなこと本当にするなんてね……」
それは皮肉でも強がりでもなく、心から感心しているような口ぶりだった。
表情も声色も、かつて酒場で出会った時と寸分違わぬ穏やかさで――だからこそ、イリスたちは逆に戸惑った。
「それで? 君たちだけかい? ボクと戦うのに三人だけってことは無いだろ?」
デュベルはそう言うと目を細め、イリスたちの背後に視線を向けた。
「その通りよ! デュベル!!」
声とともに現れたのは、武装したギルド職員を引き連れたランランだった。
そして、その隣には思いがけない姿もあった。
金色に輝く弓を携えた天使族の少女(仮)リリエル。
彼女(仮)は天使族として神殿を護る使命があるため、進んで争いの場に出ることはないのだが――その神殿はデュベルに焼かれてしまった。
にやりと笑いながら、弓矢を犯人に向けて言い放つ。
「よくもうちの神殿を燃やしてくれたな! おかげで合法的にサボり放題だ! ありがとう!」
不謹慎なジョークを口にするリリエル。
……ジョークであるはずだが、彼女の日頃の言動を知る者からすると、もしや本気なのでは……という不安がよぎる。
そして最後に現れたのは、体長二メートルを優に超えるネコ科の猛獣――しかしその声は、聞き覚えのあるものだった。
「よくも我が家を事故物件にしてくれたにゃ!」
ミケーネ先生の声だ。どうやらこれは彼女の戦闘形態らしい。
両名ともハンターではないが、Aランク相当の戦闘力を持つのと、本人たちの強い希望により、今回の捕り物への同行を許可されたのだ。
「原時刻をもって、あなたのハンター資格を剥奪します!」
ランランはよく通る声で、高らかに宣言する。
「屋敷は既にギルド職員が包囲済みよ! もう逃げ場はないわ、大人しく投降しなさい!」
全員が一斉にデュベルを取り囲む。
これだけの戦力に包囲されては、さすがに観念するかと思われた――が。
「残念だな……。正義のハンターごっこ、けっこう楽しかったのに」
遠くを見るような目で、デュベルは呟いた。本当の自分ではない誰かを演じるのは、思っていたよりも楽しかった。
まだ家族がいた頃、近所の子たちと遊んだヒーローごっこのようで。
「まあ、いいや……。これからは本来の使命に徹しよう」
そう言った次の瞬間、デュベルの身体が跳ね上がり地下室の天井を突き破った。明らかに人間離れした跳躍力である。
あまりに予想外の動作に、一同は崩れた天井を見つめ暫し呆然としたが――
「……逃げた! 追うわよ!」
正気に戻ったランランの一声で、全職員が一斉に駆け出した。
再び静けさの戻った地下室で、イリスは拘束された裕真を解放する。
「ユーマ、大丈夫!? ほら、解毒剤あるけど飲む?」
差し出されたのは魔法の解毒剤。大抵の毒はこれで中和できるはずだ。
「もういい……」
「え? いいの? ほんとに大丈夫?」
「もうダメだ……俺はもう耐えられない! 邪神討伐、リタイアする!!」
「……はいっ!?」
◇ ◇ ◇
マイラ市内、中央公園。
その中心に、デュベルの姿があった。
普段なら多くの市民で賑わう場所だが、今はひと気がない。“ある人物”の助言を受け、あらかじめ周囲の市民を避難させていたのだ。
「追い詰めた! もう逃げられないわよ!!」
芝生の上に仁王立ちし、ランランが鋭く声を張り上げる。指先はぴたりとデュベルを指し、その目には確かな自信と緊張がにじんでいた。
その声に応じるように、デュベルがゆっくりと振り返る。表情はどこまでも穏やかで、まるでこの状況すら楽しんでいるかのようだった。
「……逃げる? ボクが? 何を勘違いしてるんだい?」
片眉を軽く釣り上げ、ははっと小さく笑う。余裕を通り越したその態度に、ランランの背筋がひやりと冷たくなる。
――やはり、何かがおかしい。
先ほどから感じていた異様な気配が、明らかに強まっていた。それは単なる警戒心ではなく、肌が粟立つような、根源的な「恐れ」を刺激するものだった。
「……あそこじゃ狭くて“本気”で戦えないからね。だから舞台を変えただけさ」
デュベルの声が、ぞわりと耳の奥を撫でる。彼が言い終えるのと同時に、その体に異変が起きた。
まず、顔が歪んだ。単なる表情の変化ではない。骨格ごと、肉体ごと、まるで別の存在に塗り替えられていく。
肌は虹色の鱗へと変わり、肉体の輪郭がぐにゃりと歪みながら、みるみる膨張していく。
「やばいっ! 総員、退避!!」
ランランの叫びは鋭く、的確だった。一瞬の判断が命運を分けた。
デュベルの身体は、瞬く間に5メートル、10メートル、さらに20メートルと膨張していく。退避が遅れていれば、確実にその巨体に押し潰されていただろう。
最終的に彼は、50メートル近い巨体へと変貌していた。街で最も高い時計塔さえ見下ろすほどの姿だ。
ただ巨大というだけではない。全身を覆う虹色の鱗が太陽を乱反射し、まるで生きた宝石のように光をまき散らしていた。背には同色の巨大な翼。頭部は蛇を思わせる異形で、顔には七つの目がぎらぎらと輝いている。
「へ、変身した!? 人間が魔物に!!」
「なんてデカさだ……! トロールの十倍はあるぞ!?」
「こ、これが……邪神の力……」
現場の職員たちが次々に声を上げる。そのどれもが、怯えと混乱に満ちていた。
これまでに邪神の力を得た邪教徒と戦ったことはあったが、せいぜい強めの魔物程度の力に過ぎなかった。
だが、今目の前にいる存在は、完全に次元が違う。
「……なるほど、この図体だけでも、ここらの魔物じゃ歯が立たないな」
リリエルは怯みつつも、妙に納得した表情を浮かべる。
デュベルが討伐した『キング・マイコニド』は、討伐レベル80。Aランクのハンターがパーティを組んでも苦戦する相手のはずだった。
どうやって単独で倒したのか、不思議に思っていたところだ。
「みんな、落ち着くにゃ! 変身する魔物なんて、いくらでも例があるにゃ! 珍しくにゃい!!」
ミケーネは声を張り上げるが、その尻尾はピンと立って膨らんでいた。内心の恐怖と動揺を隠しきれない。
「私たちは魔物退治のプロ! 冷静に対処すれば、何てことないわ!!」
ミケーネに続いて、ランランもわざとらしいほどの強気な声で仲間たちを鼓舞する。手は震えていたが、表情には一切の迷いを見せなかった。
だがデュベルは、そんな人間たちを見下ろしながら、冷ややかに鼻で笑った。
「ククク……ボクが“ただの魔物”に見えるのかい? 大したプロだね」
その一言ごとに、空気が震える。重く、冷たく、圧倒的な力の波動が辺りを覆っていく。
「追い詰められたのは君たちの方さ。ゾド様より賜りし“守護七星”の力……存分に思い知るがいい」
◇ ◇ ◇
「リタイヤ……って、急にどうしたのよ!?」
イリスが困惑の色を浮かべて声を上げる。
裕真はびくりと肩を震わせ、わずかに顔を伏せた。
「デュベルさ……デュベルの目……。今まで戦ったどんな魔物より、ずっと……ずっと恐ろしかった……」
その体は明らかに震えていた。歯の根が合わず、声もかすれている。目の焦点すら定まっていない。
「俺は……邪神と、その手下たちのことを甘く見ていた! あんな奴らがまだ大勢いて、しかも戦わなきゃいけないなんて……考えただけで、もう、震えが止まらない……。しかも、正体を隠して近づいてくるんだぞ……!?」
裕真は頭を抱え、その場にうずくまった。
「怖い……! もう誰も、信用できない……!」
三人娘は顔を見合わせ、思わず「うーん……」と唸った。
少し前なら「情けないこと言ってんじゃないわよ!」と叱り飛ばしたところだが――
部屋の隅で、「アッアッ……」と呻いているポールの姿が、否応なく視界に入る。あの戦慄を間近で見てしまった今では、そんな言葉、とても口にできない。裕真の怯える気持ちが、痛いほど分かる。
「でも、ユーマがリタイヤするってことは……冥界に戻る、つまり……死ぬってことですよ!? それで、いいんですか!」
アニーが思わず叫ぶ。必死に引き留めようとする言葉に、揺らぎが混ざる。
「別に、いい……。少なくとも、脳ミソぐちゃぐちゃにされる心配はなくなるからな……」
裕真はチラリとポールに目をやり、すぐに視線を逸らした。
「ぶっちゃけ、あんな奴らに勝てる気がしない……! 所詮、俺なんかチートを貰っただけのガキだ! 邪神討伐なんてハナから無理だったんだよ……!」
言葉が詰まり、涙が溢れる。張り詰めていた不安が、ついに臨界を超えた。
自分が、あんな恐ろしい連中に勝てるわけがない。世界を滅ぼそうとする邪神に、自分ひとりで立ち向かうなんて――
それでも、「100万MPのチートがあれば、なんとかなる」と、無理やり楽観的に考えてきた。けれど、デュベルが抱える深い闇に触れ、完全に心が折れてしまったのだ。
うずくまる裕真に、イリスがそっと近づき、膝をついて目線を合わせる。ふわりと揺れる前髪の隙間から真剣な眼差しで見つめ、優しい声で囁いた。
「ユーマ……。これを見て」
彼女は懐から包みを取り出し、中を開いて見せる。そこには、親指ほどの大きさのガラス瓶の欠片が入っていた。
「……? これは?」
「ポーション瓶の欠片よ。エドさんの口の中から、見つかったの」
「え……?」
裕真は目を見開き、ガラス片に視線を落としたまま固まった。
こんな大きな欠片が、どうして……?
「こんなの自然に入るようなものじゃないよね? 拷問に使われたようでもないし……だから、私はこう考えたの。これはエドさんからの“メッセージ”なんじゃないかって」
イリスは欠片をそっと指で摘み、光に透かして見せながら、静かに言葉を紡いだ。
「これはつまり、『ポーション』と関係する誰かが犯人だって、伝えたかった。だから瓶の欠片を口に隠した……と推理したの」
語りながら、イリスの声に力がこもる。
「私たちとポーションに関わりのある人といえば……100万マナでポーションを売りつけたシノブさん。再生ポーションをマークに渡したデュベル。あとは、錬金術店のニーアさんとランランさんも関係あるけど……この二人にはアリバイがあったわ」
アニーもそっと膝をつき、裕真と目を合わせる。その瞳にまっすぐ語りかけた。
「シノブさんの件は森の中の出来事だから、エドさんが知るはずもない。だから、消去法でデュベルさ…デュベルが怪しいって結論になったんです」
「……それで、ここに来たのか」
裕真はぽつりと呟いた。力なく、けれど確かに。
エドさん……彼は本当に優秀なハンターだった。
依頼料50万マナ(約5千万円)は高すぎないか思っていたが、全くそんなことはなかった。衛兵隊が手がかりすら掴めなかった事件の真犯人を、たった一日で突き止めたのだから。
――だが、その優秀さゆえに命を奪われることになってしまった。
「エドさんはね……私たちを信じて、後を託してくれたんですよ」
アニーの声は震えていた。
生前の彼と面識はなかったが、残された勇気と覚悟に心から敬意を抱き、その死を惜しんだ。
「チート能力もない只の人間が 最後の最後まで邪神に抗ったのよ! ほんのささやかな抵抗だけど、そのおかげで今、あなたは助かったの」
言い終えたイリスの目は潤んでいた。怒りと悲しみがせめぎ合うように込み上げ、それでも必死に言葉を絞り出す。
そのとき、ラナンが裕真の肩に手を置いた。その手は驚くほど熱い。
「ユーマ……邪神と戦ってるのは、あんた一人じゃないってことだ!」
短くも真っ直ぐな言葉が、張り詰めていた裕真の内側に突き刺さる。
こらえていた感情が、わずかに軋む音を立てた。視界の輪郭が揺れて、目の奥が熱くなる
「いえ、一人にさせない! 私達も一緒に戦う!! だから、信じて!! 私達を……この世界の人達を!!」
イリスの叫びが、裕真の胸を深く貫いた。
仲間たちの言葉が、じんわりと胸の奥に染み込んでいく。
凍りついていた心が、少しずつ動き始めた。
「……俺は勘違いしてた。邪神を倒せるのは自分……自分のチート能力だけ。だから自分一人だけで邪神とその手下たちと戦わなきゃいけないって……」
裕真はゆっくりと立ち上がる。胸の奥にあった不安や孤独が、少しずつ霧のように晴れていく。
「でもそうじゃない! トドメをさせるのは俺だけかもだけど、それだけが“戦い”じゃないんだ!!」
拳を強く握りしめ、頬をつたった涙を乱暴に拭う。
「邪神の下僕が何人いようと関係ない! 俺にはそれ以上の味方がいて、背中を支えてくれてる! 恐れるものなんて何も無いんだ!!」
そして――満面の笑顔で叫んだ。
「ありがとう! 泣いたらスッキリした!! よし、これからデュベルをぶん殴ってくる!!」
仲間たちも思わず笑みをこぼす。緊張がほどけ、空気がやわらぐ。
「……あ、でもリリエルもミケ先生も強いから、もう決着ついてるかもしれないわよ♪」
「え〜? だったら残念。騙してくれた仕返ししたかったのに」
ははっと一同が笑いあう。
デュベルがいかに強かろうと、ギルドと街の精鋭を相手にして勝てるはずがない。
――誰もが、そう信じていた。
その瞬間だった。
「おい! お前ら!! 早く逃げろ!!!」
突如、地下室にシノブが飛び込んできた。鬼気迫る形相に、誰もが息を呑む。
「!!?」
一瞬、何が起きたのか分からない。だがシノブはそれに構わず、ポールを椅子ごと抱えあげ、走り去る。
その異様な光景に裕真たちも本能的に危機を察し、一斉に屋敷の出口へと走った。
そして、屋敷の外に出たその瞬間――
轟音とともに、屋敷が爆発した。
「な……な……!?」
上空から閃光のようなものが降り注いでいたように見えた……が、それはほんの一瞬のことだった。
「あ……危なかったぁ!」
「屋敷と一緒に吹き飛ぶところだったわね……」
「何が起きたんです!? 誰かの攻撃!?」
そこへ、慌ただしく駆けつけてきた人影があった。シノブに負けないほど鬼気迫る表情のランランだ。
「あなたたち、大丈夫!?」
「ランランさん!? いったい何が――」
裕真の問いに答えるより先に、ランランはある方向を指差す。その視線の先にいたのは――
「……え、なにあの怪獣」
そこには今まで見たことのない怪物――虹色に輝く翼と蛇の頭を持つ巨人が佇んでいた。
「デュベルが邪神の力で変身したのよ! ここまで凄まじいとは、予想外だったわ……」
裕真の中で、再び戦意がシュシュシュと萎んでいく。
思わず膝が震え、涙がまた浮かびそうになった――が。
ふとシノブに抱えられたポールへと視線を向けた。
脳を菌類に支配され、あっあっとしか言えない無惨な姿……。
それが裕真の心に再び火を灯す。
「巨大化したからなんだってんだよ! そんなの、ニチアサで見飽きてるわ!!」
(怒りでなんとか持ちこたえたのね……)
また「リタイアする」とか言い出さなくてよかった、とイリスは胸を撫で下ろす。
――いや、安心している場合じゃない!
今現在、自分たちはまたしても窮地に立たされている。
正体を現したデュベル。おそらく、今まで戦ってきたどんな賞金首とも比べ物にならない、規格外の強敵だ。




